コミュニケーション能力欠落社員が塾講師に転職→塾生より「初めて自信が持てるようになりました」との言葉をいただきました。
わずか2年でリストラ
私は富山県のある都市で小さな私塾を経営しています。それ以前はメーカおよび工場に勤務していました。
円高不況をの影響を受け勤務していた工場が経営難に陥り、私を含め4人が6月までに退職を余儀なくされました。そして、5月の連休が明けて私が所属していた部署の職員全員が管理職(部長・課長)に呼び出され「面談」させられました。
その時、言われた言葉がこれです。
「宮島君はコミュニケーション能力に乏しいからこの会社でやってゆくのは無理でない?」
この言葉を聞いたとき、管理職がいう「コミュニケーション能力」とはいったい何なのかと疑問を抱いたと同時に私は「こんな訳の分からない組織で生きてゆくのはもう無理」と悟りました。
全員の面談が終わって、部署の人たちと今後のことについて話し合いました。「給料を最低賃金まで下げられても会社に残る」か「辞表を書いてこの会社を去るか」について。
話し合った結果…
会社に残る…2名
会社を去る…4名(声がかかったら即辞めるが2名)
という結果になりました。
そして、5月30日…私は社長および管理職に呼び出されました。その時のやりとりはこうです。
部長:「宮島、どうする?」
私 :「ここにいてもあなたたちの迷惑になりますので去らせていただきます」
「ただし辞表を書くことを拒否します」
課長:「………」
(別室に移動後、数十分待たされる)
部長:「離職票と解雇通知だ。離職票に必要事項を記入してくれ」
私 :「わかりました」
(必要事項を記入する)
部長:「今月分と来月分の給料を振り込んでおくから」
私 :「(書き終わったのち)短い期間でしたがお世話になりました」
離職(解雇)手続きが完了したのち、お世話になった社員に挨拶をし会社の正門に頭を下げて出てゆきました。この時思ったことが「ああ、終わった」でした。
私がリストラに遭ったときと同時に退職した先輩の言葉「俺は15年間この会社で一生懸命働いてきたのにこの仕打ちは何だ…」という言葉と表情を一生忘れることができません。
1年間の専門学校通学
会社をリストラされる直前、私は所属していた部署の班長より、「宮島、お前はIT関係の仕事に就いたほうがいいんじゃないか」といわれたのをきっかけに、そういう職業を探しました。リストラ3日前インターネットで「パソコンインストラクターになる方法」を検索してた時に偶然引っかかったのが「日本パソコンインストラクター協会(以下JPITA)※」というキーワードでした。
私は「オフィスの使い方さえ知っていればパソコンインストラクターというのは簡単になれるもの」と高をくくっていたのですが、そこに書いてあったことを読んでいくとやるべきことが非常にたくさんありました。これを読んで「すぐに勉強しなければならない」と感じ、締切3日前に願書を急いで作成し郵送しました。
合格できるわけがない…と思っていましたので、結果は期待していませんでした。選考結果を見ると見事合格。はっきり言って信じられなかったと同時に当分の間「ニート」にならずに済むな…と思っていました。
(※ちなみにこの団体が主催する専門学校の倍率は高く合格するのが難しい)
しかもその結果を知ったのが、リストラが宣告される1日前。両親に「一年間学校に通ってよいか」と聞いてみたところOKが出たので、東京まで通うことが決まりました。
JPITAが主催する専門学校は、東京八丁堀にある京華スクエアの会議室を借りて開かれていました。初めて学校に通って自己紹介をすると、周りの生徒はSEや外資系企業でシステム開発を行っていた人、カスタマーサービスを行っている人…など、私よりはるかにパソコンの知識が豊富な生徒ばかりでした。
正直こんなレベルの高い人たちに囲まれて1年間やっていけるのかな…と初日から不安になりました。
しかし、実際に話してみると皆視野が広く非常に気さくな人たちばかりですぐ友人になることができました。
ここの先生が言うには、この学校を出てほとんどの人がプロになって活躍しているといっていました。
この瞬間まで「会社の経営者になりたい」とも金輪際思ったことのなかった私は初めて「独立・起業」という道を選択いたしました。
ここで習ったことはどのようなものかというと…
・パソコンの基本的な操作方法
・オフィスソフト(ワード・エクセル・パワーポイント)の操作方法
・トラブルの対処方法
・操作方法やトラブル対処法を「どのように」他人に伝えるのか
・ホームページビルダー以外のホームページ作成支援ソフトを使ったホームページの
作成方法
・アフィリエイトの原理およびノウハウ
・接客マナーなど多数
私は「独立起業」という目標に向かい、QHM(Quick Homepage Maker)と呼ばれるサーバにインストールするホームページ作成支援ツールを導入してホームページ作成し、授業がある日に先生に見てもらってここはこうすべきなどの助言をもらい、それを元にホームページを改造しまた先生に見せる…ということを学校が終わるまで続けていました。
塾講師デビュー
本来はパソコンインストラクター1本で独立して食べてゆこうと考えていました。しかし、そのことを先生に話すと「宮島さん、それだと危ないので3つか4つコアにある業務を持ったほうがいい」といわれました。
私は教員免許を持っており「先生になりたい」と本気で思っていました。しかし「どうやって先生になればいいのか」知らなかったため、先生になることを諦めていました。
もう「正社員に戻るのはほぼ不可能」と悟っていたため、生涯の職業を「指導する」職業に決めて今まで学んだ知識を多くの人に知ってもらいたいけれど、その練習場所がない…と考えていたところ、ハローワークで塾講師募集の求人を見つけさっそく応募いたしました。
長岡にあるメーカを退職して就職先を探すまでの間、塾講師になりたいと思い、応募したところ「塾講師としての経験がない」「センター試験を受けずに大学に入っている※」という理由で不採用になった経験があります。だから、応募しても受からないと思っていました。
※私は高専から大学、大学院と推薦入試で進んでいるため、1回も試験を受けていない
いざ面接に臨んでいろいろ話をしていると…「じゃあ2月1日からさっそく指導してください」とのこと。即決でした。拍子抜けしたのと同時に今まで培ってきた知識がフル活用できる機会と場所ができたとの喜びが込み上げてきました。しかし、年齢が彼らより15歳以上年上だから話をしてもちゃんと応対してくれるのか、生徒になめられるのでは…という不安を抱えていました。
そして、講師デビュー初日…受験が近かったので受験対策を行いました。生徒一人一人に「こういう風に進めてほしい」「ケアレスミスはなくすように」といくつか受験の心得をまとめて生徒一人一人自己紹介しながら手渡ししました。そうすると、じっくり食い入るように私が書いた心得を読んでくれました。その後本格的な指導に入りましたが、非常に素直に聞いてくれました。授業終了後のアンケートでも最高評価をつけていただきました。
T君との出会い
それからしばらくして、T君(男子中学生)という生徒と出会いました。彼は1年のころから塾に通っていましたがなかなか成績が伸びませんでした。期末テスト対策で彼の指導を受け持った時の第一印象は「十分力を持っているけれど、力の発揮する方法をわかっていない」というものでした。そこで、私が高専~大学院までやっていた勉強法を紹介したところ、非常に興味を持ってくれました。
それをきっかけに彼とよく話すようになりました。そして彼も私に「先生の勉強法は俺に合わない部分があるので、このように修正したいのですが」という質問をするようになりました。この時点で彼は「本気で成績を上げようと考えているな」と思うようになりました。
3年の1学期~夏休み終了
教室長も「私と彼は非常に相性がいい」と判断し、テスト対策時や夏期講習で私を指名することが多くなりました。さらに私は彼に「勉強のスケジューリングの仕方」や「優先順位の付け方」などを教えました。そうすると中教研で5教科平均70点台後半をたたき出すようになりました。そして、それにおごることなく邁進した結果、1学期末テストでは9教科平均85点をたたき出しました。
この結果を私に報告したとき、彼が私に言った言葉が「初めて自信が持てるようになりました」です。本人曰く「今まで平均点が40点、よくて50点しか取れなかったのだけれど、先生の指導を受けて初めて85点取れるようになったのは非常にうれしい」とのことでした。今でもこの言葉を思い浮かべると涙がこみ上げてきます。
これで完全に私のことを信頼してくれるようになったので、最終目標を「進学校への合格」あるいは私の母校である「富山高等専門学校射水キャンパス(旧・富山商船高等専門学校)への進学」に設定し夏期講習に挑んでもらいました。
授業の一端を紐解くと…
生徒:「先生、これは○○でいいんですよね」
私 :「どうしてそうなったのか説明してみ?」
生徒:「うーん…(そのあと黙り込む)」
私 :「これはこういう理由だからこうなったわけだよ、わかったかね?」
生徒:「はい」
(別の日だと)
私 :「生徒君、喜べ!ありがたくない問題をたくさん持ってきてあげたぞ」
生徒:「本当にありがたくない問題ですね」
私 :「あと半年の辛抱だ。我慢してくれ。お前さんが憎くてやっているわけじゃないぞ」
生徒:「わかってますって」
こんなノリで夏期講習をこなしてもらいました。
そして高専入試へ…
2学期も終わりになって、そろそろ志望校の最終決定の日が迫ってまいりました。どこを受けるのか一生懸命考えていました。そして出した結論が「富山高等専門学校射水キャンパス・電子情報工学科」を第1志望にしました。これを聞いて「俺の14期下の後輩ができる」とうれしく思った反面、2学期末テストが思ったほど良い結果ではなかったので「合格は厳しいだろうな」と考えていました。
そして、最終模試で高専合格「B」判定を取り、合格できる可能性がそれなりにあるなと判断し送り出しました。
受験した結果…残念な結果に終わりました。
しかし、本人がそこに至るまでの過程で多くのものを得たそうです。
最後に
彼を第1志望の高校である高専に入学させることはかないませんでした。私は彼が1年間の受験勉強を通じて「勉強法」と「勉強の面白さ」を学んでくれたことは非常にありがたいです。
この気持ちを高校に入っても忘れずにしてもらいたいです。
まだ「最後の試験」が残っていますので、しっかり気を抜かずに頑張ってください。
著者の宮島 央介さんに人生相談を申込む
著者の宮島 央介さんにメッセージを送る
著者の方だけが読めます