イスラエルに行った時のこと

 入国時は国賓待遇、出国時は一般旅行者待遇。この差は大きすぎます。

 もう4年近く前の話です。自営時代に知り合った元経済公使で、現在の政府の局長さんの人と知り合ったことがきっかけでイスラエルとご縁が出来ました。

 最初、イスラエルのハイテク産業の導出先探索のお手伝いみたいなことをやっていたのですが、そのうちにお手伝いを超えるお付き合いに。もちろん怪しい付き合いじゃないです。

 自営から会社勤めになって入社した会社が求めていた技術を、たまたま探索していた時、辿り着いた先がイスラエルの会社でして、イスラエルに行く前に、まずはワシントンで会おうということになりました。

 その時のことはよく覚えているのですが、相手の会社はウルトラオーソドックス派の投資家出身の社長さん、昔の勤務先(米国系バイオ企業)のアメリカ人の知り合い(これが偶然で、たまたま顧問になっていた)、CTOでアメリカにいくつも会社を作って成功させて、イスラエルで訪問先の会社を創業した女性が出てきました。

 こちらは同僚と同席になったわけですが、同僚はウルトラオーソドックス派の社長の姿を見て涙目になっていました。話をする前に、まずはお茶でもとなった時も、ウルトラオーソドックスの人はコーシャ認証のハーブティーしか飲まない関係で、「コーシャのハーブティーはないのか」と店員に詰め寄って大揉め。結局、ご希望のものはなく水を飲んでいました。その時の外は38度もありましたので、水で正解だったでしょう。

 お話内容は、勤務先を紹介し合い、提携シナジーなどのディスカッションですが、そこでもウルトラオーソドックスの社長さんは、テーブルを揺すりながら一つ一つ質問が入り面白いことになってしまいました。私はこの程度の揺さぶりはどうということはなく、こっちも負けずに机をゆすり、拳で叩きながらの応酬でしたが、同僚は本当に泣いていました。気の毒なことをしました。某社でのユダヤ系の上司のおかげです。しかし日本人相手にやると浮きます。

 そして2ヶ月後、イスラエル訪問を迎えます。

 この時はスケジュールに余裕を持たせて、フランクフルト経由でテルアビブまで行きました。今でも覚えていますが、フランクフルトではフライトの関係で2日滞在になってしまったんですが、翌日、奥さんは国内の秘境に里帰りすることになって、結局、彼女は途中の列車で缶詰になってしまったんですね。私が脳天気に、散策中のフランクフルト市内から日本に電話したら、何と「電車の中で5時間も缶詰」と情けない声を出していました。確かにフランクフルトの午後は日本の深夜ですからね。ご苦労なことです。

 そんなこんなで私はフランクフルトで穏やかな日々を過ごした後、また空港まで行ってテルアビブ行きに搭乗なんですが、イスラエル線は特別な搭乗待合室経由です。荷物検査を2回、ボディーチェック付きで山ほどの質問付き。「イスラエル線は3時間前に来い」という注意喚起を出国時になされましたが、これなんですね。

 そしてテルアビブ線に搭乗。そこでまた驚きだったのはファーストとビジネスばかりでエコノミークラスがあまりない不思議な便。長距離国際線並みの機材で、たったの4時間。これは贅沢です。「金持ち多いんだな~」と実感。

 フランクフルトを出て5時間後にテルアビブに到着。

 そこからが物語です。

 飛行機の扉が開く前に機内で私の名前が告げられ、「至急出口まで」と。人をかき分けて飛行機の扉まで行くと、CAから「係員が待っているので、その人の言うことに従ってください」とのこと。

 そして扉が開くと、私の名前を書いたバカでかいプレートを持った、いかにもお役人様という感じの人が待っていて、私が自分の名前を告げると「これからラウンジにお連れします。迎えの車が来ています。荷物はお持ちします」と。

 搭乗口にあるちょっと怪しげな扉を開けると、そこにはエレベータがあって、床は赤絨毯敷。それに乗って地上に出ました。そこには一台の豪華なリムジンが止まっていて乗車を促されました。

 そこからが圧巻ですが、赤絨毯を敷いた道をひたすら走ります。空港の中なんですよね。そして日の丸とイスラエル国旗がクロスしたポールが延々と続きます。「俺って何?」と思い始めたのです。

 5分くらい後にリムジンがラウンジに到着。「マサダラウンジ」と書いてあります。大きなマンション(豪邸)ですね。マサダとは地名でして、最後までローマ軍と交戦して、最後に全員が自刃した場所というユダヤ民族なら誰でも知っている場所です。その地名を冠したラウンジです。

 係員に案内されたラウンジの入り口には入国管理官がいましたが、そこでは私の名前を告げるだけ。その後、すぐに別の係員がやってきて、「長旅お疲れ様でした。一休みしてください。食べ物、飲み物は用意してあります」ということでゲストルームに通されました。立派なお部屋でしたね。

 そこでジュースなんか飲んでいると入国管理官がやってきて、「これから入国管理局がお手伝いしますので、書類を書いてください。また、その間にチェックインした荷物を取りに行きます。半券をください。パスポートも同時に処理します。笹嶋さんは、そのままお休みください」と。

 訳も分からずに、全ておかませモードで45分ほどして全ての手続が完了です。パスポートにはしっかりとイスラエル入国の証のスタンプが。そうこうするうちに私を招いた人たちがやってきました。政府高官と訪問先のCTOです。どうやらこの2名はイスラエルで知らない人はいないほど有名らしいことをその時に認識しました。管理官の態度がまるで違うからです。明らかに緊張しているんです。

 これまた偶然なんですが、ラウンジの隣の部屋が騒がしくなっているんです。外も大変な騒ぎになってきました。私を迎えに来た2名に「なんだろうね」とお尋ねすると、「アルゼンチンの国家的なエンターテナーがイスラエル初公演なんだよ」とね。「ファンが空港の外に数千人集まっているんだよ」と。

 こりゃエライ時にやってきてしまったなと思いつつも、2名とラウンジの外に出ると、私が乗るリムジンとパトカーが2台。そう、パトカーで挟み撃ちになって市内まで移動なんです。それと、これも笑ってしまいましたが、アルゼンチンの芸人のファンが、こっちにも手を振っているじゃないですか。変な感じでしたね。

 そんなこんなで市内まで移動。信号が全部青で移動です。パトカーから何か発信でもしているんでしょうね。信号が車の進行とともに青になっていく。

 空港から30分ほどで宿泊場所に到着。そこにも山のような若い女の子たち。そう、泊まる場所もアルゼンチンのエンターテナーと同じ。そこでも私はなぜか皆さんの祝福を受けることに。変な気持ちででしたよ。日本にいても女性に手を振られるのは奥さんだけですから。

 通常の金属探知機検査だけはやって、そこからはホテルの人が全部やってくれてあっという間にチェックイン。この2名とは一旦ここでお別れ。午後7時にロビーで待ち合わせということで私は部屋へ。

 なぜかとんでもなく広い最上階のジュニアスイートルーム。ホテルのポイントが貯まってスイートルームというのはたまにありますが、最上階はあまり経験なし。奥さんとの結婚20年旅行以来です。

 午後7時になってロビーにて先ほどの2名と待ち合わせ。なぜかロビーが騒がしいのは、私のせいではなく、私の相手方を皆が知っているため。きっと「あの東洋人がなんで彼らといるんだろう」みたいな噂話でもしていたのでしょう。

 ちょうどユダヤの正月のちょっと後くらいの一番よい時期で、テルアビブ市街地の海岸にて食事。私が好き嫌いだらけであることを相手方はよく知っていて、迷わず「焼き魚」を勧められ、その通りにオーダー。そこで4時間以上もお話をしながら食事。私はユダヤ人もびっくりというほど話好きなので、4時間なんてあっという間です。

 隣には家族連れがいましたが、子供が親に何か食い下がっています。そこでホストに尋ねました。「何しゃべっているの」と。そうすると「子供が親に向かって「いいアイディアがあるから聞いてくれ」と言っているんだよ」と。そして「親もそのアイディアを引き出そうと質問攻めにしているんだ」と。いわゆるユダヤ式教育です。

 その後、名物のソフトクリーム屋やら、野菜の夜市みたいな場所やら、唯一の日本料理店「やくざ」にちょっとだけ行ってみたりと夜は更けていきます。「なんで「やくざ」なんだろう?」と囁いた時、「おい、あれってあまりよい意味じゃないよね」と日本のことを全く知らないCTOが聞いてきたので、「ギャングスターですよ」とね。野菜はイスラエルの名物です。ハイテク農業で砂漠の中で最高の野菜を作るテクノロジーを築き上げたのです。あっちの野菜は本当に美味しい。日本の野菜はまだ全然努力不足です。TPPごときでビクビクする暇があれば、やるべきことがあるだろうと思います。

 その日はホテルに戻りそのまま就寝。翌日は午前10時にCTOがピックアップ。そしてワイズマン研究所まで移動。お化けのような優秀な研究者がたくさんいる超研究所です。ここで生まれたものも多いんですよね。ちなみにCTOはテクニオンの出身でここも凄いのです。「面白い話のワンダーランド」ですね。感覚的にはイスラエルのMITってとこかな。

 仕事場はそこにあって、そこで昼食を挟んで午後6時まで交渉。こちらは私一名。相手は会社の人、投資家、政府機関の人、ワイズマン研究所の人など20名。1対20ですよ。それも議論が大好きなユダヤ人と。

 こういう場所では喋らないと負けというか「バカ=無能」です。休むまもなく延々喋り、相手の質問にも片っ端から答え、あっという間に夕方です。何しろ質問大好き集団です。アメリカ人なんかかわいいものです。私の頭のレベルを完全にテストしていると分かります。少なくとも無能とは判断されなかったようです。

 そして、そこから皆さんと夕食タイム。ウルトラオーソドックスから世俗派までごちゃまぜでの夕食は賑やかなものです。ユダヤ教徒は「ユダヤ教の存在すら疑ってかかる」のが基本的な教えです。そりゃ、地球の端っこからやってきた黄色い人間を質問攻めにするのは当然ですね。

 私はこういう時、敢えて宗教の話をします。普通は政治と宗教は避けるといいますが、私はイスラエルではむしろこのネタがいいと思いました。こういう時のネタは「日本人の宗教観=神様は自分の周りの自然構成物そのもの」。この考えはユダヤ教と正反対ですから、ユダヤ教の話を引き出すには最高のネタです。タルムード話が多かったですね。

 また政治の話ですが、その時お世話になってお役人様が、かつて首相補佐官だったという話だったので、こういう話で「混沌とした政治の話」を引き出すのもよろしかろうと。結局大盛り上がりであっという間に午後11時。5時間以上お話をしていたことになります。

 翌日は「一般人としての出国」。実は入国時に「帰りはどうする」と入国管理官に聞かれたのですが、「帰りは一般客でいいですよ。勉強のためにね」と。

 午前8時にホテルを出てタクシーで空港まで。そこからが凄い。搭乗便は午後2時でしたが、なかなか大変でした。

 ターミナルの玄関で早速質問。「どちらへ」と。「ドイツまで」と答え、何歩か歩くとまた質問。似たような質問の嵐のチェーンが延々続きます。そして手荷物とチェックインの貨物検査。写真を撮られ、内容物も全部説明が必要です。英語を多少なりともしゃべることができてよかったと思います。

 内容物説明の時、私の手荷物には電気カミソリがあったのですが、彼らには馴染みがなかったようでして、「それは何?」と恐る恐る聞いてきました。「これ、髭剃りでして、2週間前に日本の横浜で買いました。パナソニックが作った日本製です」とね。でも信じてくれません。「じゃあ、点けますよ」というと、「ちょっと待って。買ったことを証明できないか」と。「いや、無理です。時差の関係でまだメーカーも販社も開いていません」と。

 結局、シェーバーを点けることになりましたが、係官は皆、蜘蛛の子を散らすように逃げました。よほど怖かったのでしょうね。結局「ほら、大丈夫でしょう」と。係官は「さっさと行け」と。

 そうしてようやくチェックイン。その後も延々と質問攻めに遭いつつ、ターミナルに入ってから2時間が経過。まだ出国手続き前。そこにお役人様から電話が一本。「今どこだ」と。「出国検査場にいるんですが、もう2時間です。噂通りに大変ですね」と。そうしたら「私の名前と電話番号を近くの係官に伝えてくれ。折り返し電話してくれるように伝えてくれ。事態は変わるから」と。その指示通りに近くにいた質問攻めの係官に伝えて、彼が電話に出たところ態度が急変して、そこからはゴボウ抜きで出国審査もパスして、あっという間に出国。

 そこからは金製品漁りをしつつ、予定通りフランクフルト便に。出発が少し遅延しフランクフルトには午後10時に到着。そして中央駅前のホテルに宿泊。すごく綺麗なホテルだったのですが、翌日は朝8時にチェックアウトで、実にもったいないことをしました。

 そこからは何事もなく帰国と相成りました。

 そうそう、その後イスラエル人脈が拡大し、元モサドのNo.2というビジネスマンとも知り合うことに。凄く仕事には厳しいけれど面白い人です。それにしても彼らの創造力はどこから来るのかと。教育熱心だけではここまでにはならないと感じる今日このごろです。「命がけ」のアイディアという感じがします。

 死ぬまでにもう一度行きたい場所の一つがイスラエルです。

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