ど田舎にできた高校アメフト部がたった2年で関西大会に出た話(14.身をもって抗議する15.怪我を恐れるな)

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僕はそのうちに痛みが和らぐだろうと、高をくくっていたが夜中になっても状態は変わらなかった。痛みのせいで眠ることができない。仕方なくベッドから抜け出して、こっそりと冷蔵庫から氷を取り出し、ビニール袋に詰めて冷やそうとした。

それを母親に見つかった。

「こんな夜中に何をしとんの」

僕はびくっとした。

「ちょっと、のどが乾いたから」

そういってその場をごまかした。

その夜は痛みで一睡もできずに朝を迎えることになった。

顔には、べっとりと、脂汗がにじんでいた。

痛みに腹がたって、ベッドの上をたたきまわり、眠れないことの苦痛と、夜の長さを思い知らされた。

やっと朝がきたときには、痛みは変らなかったが、窓から差し込む太陽の光を見て、何かから解放されたような気分になった。

 

自転車の片手運転を母親に見つからないようにして、学校に出発した。

(あかん。痛みがとれへん)

手首を見ると倍くらいの太さに腫れ上がっていた。

(放課後病院に行こ)

僕はようやく、病院にいく気分になった。

放課後、Mに病院に行くことを告げると、僕は高校の近くの外科へ向かった。

その外科は、三木高校から自転車で2分のところにある。

病院に到着して、入り口のドアを開けると、そこには、見たことのある看護婦さんがいた。いや、看護婦さんではなく、見習さんだった。

僕にはすぐにそれが誰であるか分かった。中学の同級生のKDだ。少しボーイッシュなところは今も変っていない。

「僕君、元気」

「元気やけど、病院に来た」

冗談交じりにいった。

「どないしたん」

KDが心配そうな顔をした。

「左手首が動かへんのや」

僕が手首を見せた。

「え、それは大変」

KDは、僕の手首を見るなり、先生を呼びに中へ入っていった。

この病院には、予約や順番待ちというものがない。僕はすぐに診察室に通され、先生にレントゲンを撮ってもらい、診察を受けた。

頭がハゲあがり、目がギョロっとした年配の先生だった。   

先生はレントゲンの結果を見ながら僕に向かって、ニヤリとした。

「折れとる」

「ええ…、折れとるって、骨折のことですか」

「そうや、骨折や。ようがまんできたな。このまま放っといたら曲がったままくっ付いてしまうところやった」

そういうと先生は、早速手首にギブスをする準備にとりかかった。

「先生、ギブスは止めてもらえませんか」

僕はあわてて先生の動作を遮った。

おそらく2週間はギブスをすることになる。ギブスをすると1週間で間接が固まって動かなくなる。そして、筋肉も落ちて骨だけの腕になる。そうなると練習に復帰するのに余計に時間がかかる。そのことが分かっていたので、僕は先生に頼みこんだ。

しかし先生はこれを聞かなかった。

「あかん。ギブスをせな早よ治らん」

そういって、あっという間に慣れた手つきで僕の手首にギブスをしてしまった。

(どないしよう)

僕は見事に巻かれたギブスを見て落ち込んだ。

 

2週間ほどしてギブスは取れた。予想どおり間接が固まって手首は動かない。おまけに肘から先はごっそりと筋肉が落ちて骨だけになっていた。まるで老人の手のようだった。

「試合に間にあわへん。どないしよう」

僕が練習前に心配してMに話していると、それを聞いたU先生が、近寄ってきた。

先生は大真面目な顔でいった。

「石膏で固めて試合にでえ。日体大ではようやっとる」

(ええ、今、外したばっかりやのにそんな無茶な・・。そんなんで試合できるんやろか)

結局また、手首を石膏で固めることになった。

 

そんなときに、地元の新聞社が、「田舎に珍しくフットボール部ができた」ということで取材に来た。新聞記者は、手首に石膏をまいた僕に取材をすると、写真を何枚か撮って帰った。

翌朝、新聞を見ると、石膏で固められた腕をつった自分の姿が載っていた。その石膏の表面には、みごとな落書きがしてあることもはっきりと写っている。その落書きは、クラブの僕らが面白がって、赤いマジックで書いたものだ。

(かっこわる)

僕は、自分の写真を見てそう思った。

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