障害と普通と“普通じゃない"
僕には障害がある。さて、ここで聞きたい。
五体満足でなければ“普通ではない”のだろうか。
まず、普通とは何だ。普通学級に通えれば普通だと言うのなら、小中高、そして大学生の現在に至るまで、全て普通学級に通っている僕は普通じゃないか?
お前は仕方ない、と何度も言われた。仕方ないってなんだ?なぜ僕だけが許される?例えば持久走。僕だけ距離を短くしてもらえた、けど、体育が苦手な友達は、甘えるなと距離を短くしてもらえなかった。僕と彼は体育が苦手だというところは変わらないはずだ、だったら彼も短くしてもらえたっていいだろう?体育はいつも3だった。どれだけ頑張っても4にはならず、どれだけ怠けても2にはならない3、そんな評価にどれだけの価値があるって言うんだ。
僕だって走れるから僕にだって走らせてくれたっていいじゃないかと思っていた。
教師として配慮してくれたのだと理解はしている。しかし、最初から決め付けられるのは悲しい。頼んでもいないのに配慮されるのは、お前は普通じゃないと付きつけられている気がした。
だから、僕は普通になろうと努力した。しかし、どれだけ近付こうと、失敗したらすぐ“出来なくても仕方ない”で片付けられた。
現在、僕は就職活動を行っている。
“普通じゃない”自分を僕だけの武器にして。
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