ラクな生き方は「絶望」と「孤独」と「意外な人」が教えてくれた ① 絶望

後編: ラクな生き方は「絶望」と「孤独」と「意外な人」が教えてくれた ② 孤独


私はメンヘラと精神科医が大っ嫌いだった。主な理由はふたつ。

1.幼馴染が精神科に通っているにも関わらず、何年も回復の兆しは無く

ほぼニート、たまにフリーターのような状態が続いているのを知っていたから。

2.兄が鬱になり、通っていた精神科で出会った人の誘いでカルトにのめり込み、

親族中をかきまわした挙句、死んでしまったから。


精神科への風当たりが冷たいのも手伝って、精神を病んだらアウト。精神科医なんかヤブだ。

と思っていた。




しかし、兄の死から数年後、私はこてこてのメンヘラになった。

2ヶ月半も閉鎖病棟に放り込まれ、初日は窓には鉄柵、便器とベットしかない保護室に入れられた。

手足をベットに縛り付けられた日も2〜3日あった。


もちろん仕事なんてできなくなった。

友達と関わるのも辛くなり、家族はもとからぐちゃぐちゃ。

テレビをつければ雑音でしかなく、好きだった音楽すら耳が受けつけない。

食欲もないし、眠ることもできない。


そんな状態で考えることなんて「死」以外無かった。

死後の世界があるかないかなんて知らない。

ただ、兄の葬儀後、祖母が言った一言が耳に残っていた。

「これで◯◯(兄の名前)も楽になったね」


兄は鬱で数年苦しみ、カルトにのめりこみ、カルトから抜けつつあった頃の死だったから

そんな一言が出たのだと今は思う。

けれど、その当時の私は「死んだら楽になれる」としか思えなかった。


家族が精神を病むと、とても辛いんだということを私は経験して知った。

そして、その辛さの100万倍くらい、自分自身が精神を病むことの方が辛いということも

体験して分かった。

家族のことなら、1週間に数分程度であったとしても何か気分転換ができるから。

自分が病んでしまうと、寝ても覚めても闇の中。そもそも、まともに眠ることすらできない。


生きている意味も分からなければ、生きていく希望もない。何をしても楽しくない。

ただ横たわっている日々。

あの時の苦しさを表現する言葉は、いまだに分からない。

言葉にならない苦しみはそのうち絶望感に変わった。

そして私がとった行動は、首吊り。

死にたいけど部屋から出られない。

目についたのはカーテンレールだった。

紐なんかじゃ切れてしまいそうだなと思い、長袖をカーテンレールにくくりつけて首を通し

踏み台にしていた椅子を蹴った。


次の瞬間、カーテンレールが外れて私はカーテンレールと共に床に落ちた。


はっと我に返ったら、怖くて怖くて仕方が無かった。

泣きながら母に電話をしたのは覚えているが

「カーテンレールが、カーテンレールが・・」と何度か繰り返した後、

何を話したかは覚えていない。


それだけ怖くて苦しい思いをしたにも関わらず、しばらく経ってからまた私は現実の苦しさに

耐えられなくなってしまった。

今度は薬を飲んだ。処方された薬を2週間分くらいまとめて。

この時の記憶は数時間無い。

目が覚めた時は、とにかく気持ち悪くてたまらなかった。

でも、吐くことはできず、それから3〜4日フラフラしながら生きていた。



それ以来、こういう類の行動はとっていない。

自ら命を絶とうとすることが、苦しくて痛いことだと分かったから。

それが簡単なことでは無いということが分かったから。

死ぬことを考えながら生きる、という頭と体が真逆な状態で生きるから苦しいんだと

分かったから。


























続きのストーリーはこちら!

ラクな生き方は「絶望」と「孤独」と「意外な人」が教えてくれた ② 孤独

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。