初めて会った時は怯えていたガイジンサンがエネルギー源になっているような気がしている

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私はSTORYSに出会ってまだ2ヶ月程なのですが、

このストーリーは記念すべき私の10個目のストーリーです。


が、

今まで書いたもの以上に、自分自身でもハッキリしない話です。

想いを言葉にすることで力に変えたいような、そんな気分で文字を並べます。

STORYS.JP関係者の皆様、素敵な場を乱用してすみません。





私はいろいろなことがあって、心と体がぶっ壊れました。

(詳細が気になるという奇特な方は他の9個のストーリーを読んでいただけると

いろいろの55%ほどは知っていただけるかと思います。)


心身の大きな不調が現れ始めてから、2年半たった今もまだ元気だった頃のようには

暮らせていません。

山あり、谷あり、谷あり、谷あり、谷あり、谷あり、山あり、谷あり、谷あり、山あり…

そんな2年半でした。

要するに「谷」だらけだったということでございます。


最近ふと、何度も谷に転がり落ちては這い上がれたのはなんでだろう?と考えることがあります。

そして、その時々できっかけは違うのですが、芯の部分にいつもある人たちがいるような

気がしてきたのです。


それが「初めて会った時は怯えていたガイジンサン」です。


私がガイジンサンと出逢ったのは幼稚園の頃。

当時住んでいたアパートの隣の隣に引っ越してきたカップルでした。

詳しいことは覚えていないけれど、お引越しの挨拶にきたらしいです。

突然現れたガイジンサンに恐怖を感じて

年中さんか年長さんだった私はドアのうしろに隠れてチラチラ見ることしかできませんでした。


でも、十数年経って、大学生になった私はガイジンサンにこんな嬉しいことを言われました。

「Yukira覚えてる?Yukiraが小さかった時、わたしに“お花どうぞ”って言ってくれたの。

 私、とても嬉しかった。」


いつからかは覚えていないけれど、ガイジンサンが怖くなくなっていたようです。


ガイジンサンは私を家に招いてくれたり、一緒に棚を作ってくれたり、

キャンプやハイキングに連れて行ってくれたり、

知り合いのガイジンサンとお友達にならせてくれたりといろいろな経験をさせてくれました。


でも、強烈に覚えているのは、ガイジンサン夫婦が見つめあって甘ーい声でなにかを囁きあったり、

笑顔でハグしあったり、子どもを前にして真っ昼間からチューしたりしていたことと、

私の両親が離婚した直後の出来事。

ガイジンサン夫婦は「Congratulation!」とオレンジ系の花束を持って家にやってきました。

離婚しておめでとう、なんて嫌がらせ?ではないんです。

「これから新しい生活だね。」って言ってくれました。



来日してから数年後、ガイジンサンカップルは夫婦になりました。

これまたよく覚えていないのが残念なのですが、小学1年生だった私も結婚式にお招きいただき

オクサンの母国へ行きました。

親族一同国際的な夫婦だったようで、結婚式では何カ国もの衣装を見ることができました。

ちゃっかり朱色の着物を着せてもらった私もその一員。


でも、式が行われた大きな教会で式が終わってから大号泣しました。

どういうわけだか、一緒に渡航した日本人と離れて前の方の良い席で参列させていただいたのですが

怖かったんです。

知らない場所で、知らない人だらけで、何を言ってるんだか分からない言葉を聞き、

時には大勢の人が声を揃えてなんか言ってる…という状態が。しかも慣れない着物。


式の記憶はほぼありません。とにかく怖かったというだけ。

式が終わって見慣れた顔を見て「こわかったー(>_<)」と大泣きしたというわけです。

式が終わってからわんわん泣いているもんだから、挙式直後の新婦さんにも慰められるという始末。

でも、披露宴の時には、美味しいものを目の前にしてご機嫌になっていたようです。



それから数年後、ガイジンサン夫婦はパパとママになりました。

これもまたよく覚えていないけれど、産婦人科に行ってガイジンサンの赤ちゃんを

抱っこさせてもらいました。

パパもママも美形だから、ほんっとーうにかわいかったです。

ちなみに、ガイジンサンカゾクは子沢山だけれど、みんな美男美女に育っています。羨ましい。笑


数年後、ガイジンサンカゾクはママの母国に引っ越しました。

それからは、たまに手紙のやりとりをしていました。写真が入っていたこともありました。

彼らのおかげで私は物心ついた頃から、ガイコクゴが好きなんだと思います。

彼らと話したいなという大きなものではなくて、ただただ彼らと過ごす時間が愉しくて

好きな時間でした。

どれだけ好きだったかというと、小学校3年生の時に作った文集の将来の夢に

「えいごの先生になりたい」

と書いていたほどです。


でも、純粋な気持ちは、自分が大きくなるにつれて薄れていってしまいました。


中学生になると、部活、勉強、生徒会(と恋)に燃えました。

部活は今思うと楽しかったけれど、かなり厳しかった。

生徒会は大変だったけど、楽しかった。

勉強は「評価」が欲しかった。


この頃から英語が楽しいという思いは小さくなっていました。


高校の頃は英語に力を入れた学校に行ったことと、時間的な余裕が少し増えたのもあって

「想いを伝える手段としての英語」を少し楽しめていた時期もありました。

でも、まぁ、家庭でいろいろありましたし、大学受験に備えて単語、文法、構文を叩き込むために

必死だった時期の方が多かったです。


今、振り返っても悪夢の方がよっぽどマシだと思うような日々をなんとかしのいで

大学生になった私ですが、燃え尽き症候群だったのか完全に人生の迷子でした。

とにかく家庭がいろいろだったので、それまではリスク回避が精一杯で

なかなか自分と向き合うことができていませんでした。

しかし、幸か不幸か大学生になってから出逢った人には自分のやりたいことが明確で

それを支える強い何かがある人が多かったです。


私は学生生活を継続するために必要なお金を得るため、また大学を4年で卒業し職を得るために

「やらなければならないこと」が山積みで、「やりたいこと」が完全に埋れてしまっていました。


そんな私の数少ない「やりたいこと」のひとつがガイジンサンカゾクに会いにいくことでした。

学校行って、バイトして、課題やって、家事して、寝て起きて、学校行って…

お金を貯めながら、渡航するのに必要な情報を集めました。

その頃はふりかけごはんともやしをよく食べていたような気がします。


ハタチになって、10年有効のパスポートをとれるようになってからパスポートをとり、

ハタチの夏、私はガイジンサンママの母国へ行きました。


ガイジンサンカゾクと過ごした2週間は私の大切な宝物です。

子どもたちとキャーキャー言いながら走り回って遊んだこと、

一緒にアンパンマンやクレヨンしんちゃんのビデオを見たり、折り紙をしたこと、

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