【6】パニック障害と診断された私が飛行機に乗って海を渡り、海外で4年暮らしてみた話。

【6.人生の転機】



その後、再就職した先では仕事が自分に合っていたのか、人にも恵まれ、楽しく働いていた。

そんな矢先のリーマンショック。


派遣社員だった私に、選択肢が与えられた。


1) ワークシェアで、勤務時間を大幅に減らす。その場合月給手取りで13万程になる。

2) 契約を終了する


残業代も入れて、月に手取りで20〜25万ほどあった収入が大幅に減る。

そんな仕事を続けるわけにはいかなかった。
それまでは、派遣社員としては破格の給料をもらい、実家で甘えて暮らしていた私には留学するのには足りるであろう貯金があった。


今しかない、留学しよう!と決めた。


24歳の夏のことだった。




ただの派遣社員の私に、会社の皆さんはわざわざ送別会を開いてくださり、最終日には花束までもらった。
全国各支店の担当者や、得意先でお世話になった方々へ挨拶をすると、そこでもまた退職を惜しんで頂いた。
この会社で私は社会経験を本格的に積み、日本社会の常識も叩き込まれた。
懇意にして頂いていた先輩たちとは時今でも連絡を取り合っている。

こうして会社を辞め、留学を決めた私に長期での仕事はできない。
ただでさえリーマンショックで失業者が溢れた日本に、私に都合のいい仕事などなかった。
派遣会社からの紹介は激減、面接に行っても結果は惨敗。

ハローワークの失業保険受給手続きに行って驚愕した。
ハローワーク内の会議室では収まらない失業者のために、名古屋市の市民ホールのような施設を貸し切っての受給説明会だったのだ。

こんなの、私に仕事なんかあるはずない。
酷く絶望したのを覚えている。

しかし私は留学を決めたばかり。
これからパスポートの申請から始めなければいけない。
その間無職でいるわけにはいかないのだ。

粘った甲斐あって、3ヶ月の短期の仕事が決まった。
その割には暇な仕事で、空いた時間に航空券、ビザの手配をする。
語学学校への送金には非常に気を揉んだ。


外国に65万もの大金を振り込むのだ。
ビビらないわけがない。


65万円の大まかな内訳は

語学学校授業料半年分 55万
現地の留学生保険料 5万
ホームステイ一ヶ月分 5万



大金を振り込むのにビビっていたのもあるけれど、とにかく私は一挙一動が遅かった。
毎回、留学への何かを決めるたびに躊躇っていた。

もちろん原因は、持病のパニック障害。


そしてもう一つ、私の後ろ髪を猛烈に引っ張るものがあった。

でも最終的には、その存在に大きく背中を押されて私は日本を飛び立つこととなる。

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