強烈なオヤジが高校も塾も通わせずに3人の息子を京都大学に放り込んだ話 パート3 オヤジの教育論編

前話: 強烈なオヤジが高校も塾も通わせずに3人の息子を京都大学に放り込んだ話 パート2 受験編

家庭教育の役割って何だろう


破天荒で型破りなオヤジが繰り広げる家庭教育のストーリーもいよいよ最終章。 パート3では、家庭教育の役割についてオヤジや僕の意見を書かせて頂こうと思います。 前回まではオヤジのぶっとびエピソードが中心でしたが、今回はマジメに教育論を語っています のでご了承ください。




まず、興味関心を育てることに心血を注ぐ。


お父さん・お母さんが子どもの教育に関わるとき、考え方や価値観は様々だと思います。

・学ぶことを好きになってもらいたい
・「勉強しなさい!」と言わなくても自分からする様になって欲しい 
・成績を上げて将来の受験に備えさせたい


そんな中でオヤジが最も大事にしていたのは 「人類が積み上げてきた学問に強い興味関心をもって欲しい」 ということだったと思います。


・この世界には、名著・名作・名言とよばれるものがあふれている
・将来人生を選択する時に、よりどころにして欲しい考え方や価値観がある
・役に立つ知識やスキルとは違う、人物を磨く教養というものがある


オヤジ自身が人生を通じて出会ってきた、素晴らしい人・モノ・コトを、しっかりと息子達に伝えたい、共有したいという思いがあったんだと思います。


しかし、無理やり与えてもダメ。一から十まで指示するのもナンセンス・・・
要は、子どもが自力で発見し、身につけることが重要なので、
学習の原動力となる「興味関心」づくりに心血を注いでいました。


だからこそオヤジは、学び取った知識そのものではなく、
学ぼうとする態度そのもの、好奇心や探究心を評価の対象としました。


「結果よりもプロセスを重視する」という評価のあり方です。


正しい知識を身につけているか、ちゃんと覚えているかよりも、
「知りたい」「もっとやりたい」という姿勢を褒めてくれました。

子どもにとって信頼する大人の評価は、大きな影響力を持っています。
当然オヤジの発言や表情は、3兄弟の行動指針に強い影響力を与えます。 


「そうか、『知りたい』という気持ちが大事なんだ!」

というように。
いま振り返ると、これは偉大なプレゼント。楽しみながら色々な学問に触れることができました。身についているかどうかは分かりませんが、「学び」に日常的に取組めてこれたのは、オヤジの手ほどきのお陰だと思っています。






興味関心を育てる、長男の挑戦


どんな人も、自分が受けてきた教育体験をベースに「教育論」を語りがち。僕も例外ではありません。僕が受け取ってきた「興味関心を育てる教育」は、きっと多くの子どもにとっても価値ある教育のはずだ・・・

そんな思いもあって2年前に学習塾を立ち上げました。「やる気・探究心を磨く学習塾」というコンセプトの塾です。

当初は様々な葛藤がありました。友人達からは「塾って結局、成績や偏差値を上げる仕事でしょ?なんでお前が塾をやるのか?」といった批判を受けましたし、自分も「これで生徒が集まるのか?」という不安もありました。


また実際にやってみると簡単ではありません。どんな教材やテーマを選んだらいいのか。授業の進行で気をつけることは何か。塾でやること、家庭でやることの線をどこに引いたら良いか・・・オヤジの教育論を思い出しつつ、試行錯誤を重ねる日々。


そうして作り上げてきたのが「探究学習」というプログラムです。以下にご紹介するのは小学生が作成したノートです。



小学校5・6年生、「宇宙の始まり:ビッグバン理論」をテーマとして取組んだ探究学習。NHKや色々な本を参考資料・教材に1ヶ月に渡って取組みました。




「生命史」をテーマにした探究学習。人類の起源を追いかける。ホモサピエンスとネアンデルタール人の対決はいつも盛り上がります(笑)




「歴史」も探究心をくすぐるテーマの宝庫。バルチック艦隊を撃破した当時の英雄:東郷平八郎は、現代の子どもたちにとってもやっぱり英雄でした。





偉人伝にも取組みました。スティーブ・ジョブズの生き様からは「失敗しても途中であきらめない情熱が大切」という教訓を学ぶことができます。



探究学習は、テストや成績に直結するものではありません。「これが将来どう役に立つ?」と保護者の方から疑問を提示されることもしばしばです。その度に「学ぶ心に火をつける」「探究心の種をまく」と自分にも言い聞かせながら、理解を得て進めてきました。



そして2年の時が立ち・・・


実は、紹介したノートはある1人の女の子のもので、この半年間で作成されたものです。とてもキレイに、丁寧に作成してありますが、実は一番最初はこんなに雑なノートだったんです苦笑



当初、何となく書いているに過ぎなかったノートも、学習の情熱が高まると、出会った知識をまとめ・保管しておくための「宝箱」になるんでしょう。今では「ストップ!!まとめるから!!」と授業の進行にどんどん割り込んできます(笑)


また、変化はこれだけではありません。最近はほとんど毎日自習にやってきます。



女の子「先生、NHKオンデマンドで調べたいことあるからiPad貸して!」

「ゴメン・・・今日は家に忘れてきた・・・」

女の子「じゃあ家に帰ってとって来て!!!」



という風に、自分から探究学習に取組み始めたり



女の子「先生、もっと算数とか英語の勉強もしたい。もっと宿題出して!!」

「どうした・・・熱でも出たのか・・・」

女の子「もっとできるようになりたいの!!出して!!」


という風に、あれだけ嫌いだったドリルにも一生懸命取組む様になりました。2年前の彼女を知っている人からすれば、凄まじい変化です。正直僕もビックリ。

 単なる信念ではなく、「知りたい」という気持ちが原動力になるって本当なんだ、とようやく確信が持てる様になりました。

「知りたい」という気持ちが引き出す、「自らすすんで学ぶ」という姿勢。
僕がこのモデルを追いかける様になったのも、ある2人の人物との出会いが影響しています。






センス・オブ・ワンダーの力を信じる



1人目の人物は、レイチェル・カーソンとの出会いです。彼女は『沈黙の春』で有名な環境学者で、既にこの世を去っています。


 彼女との出会いはオヤジがきっかけ。子どもの頃からよく耳にしていた言葉、それが「センス・オブ・ワンダー」です。


これはレイチェル・カーソンの著書の名前であり、「神秘さや不思議さに目をみはる感性」と本では紹介されていますが、オヤジは「知的好奇心・探究心」という文脈で使っていました。


ちなみに『センス・オブ・ワンダー』は子供たちを自然の中に連れて行き、神秘さや不思議さに目を見張る感性を育むことの大切さを伝える名著です。


大人になって、この著書をとった時の衝撃は今でも忘れられません。
そうか!そういうことだったのか!!と興奮して眠れませんでした(笑)


以下、青文字が本の引用


子ども達の世界は、いつも生き生きとして新鮮で美しく、驚きと感激にみちあふれています。残念なことに、わたしたちの多くは大人になる前に澄みきった洞察力や、美しいもの、 畏怖すべきものへの直感力をにぶらせ、あるときはまったく失ってしまいます。


なるほど。確かに大人になると「何で空が青いか?」といちいち気にしなくなるもの。でも子どもにとっては全てが新鮮で、驚きと感動に溢れているんだ!という著者のメッセージは、私たちに大切な何かを気づかせてくれます。



もし、あなた自身は知識をほんの少ししかもっていないと感じていたとしても、親として、たくさんのことを子どもにしてやることができます。例えば、子どもと一緒に空を見あげてみましょう。そこには夜明けや黄昏の美しさがあり、流れる雲、夜空にまたたく星があります。


驚きと感動を解説できなくとも、ただ出会わせてあげればいい。
そうすれば、子どもは自 らその感動を抱くのだ・・・。
そういえばオヤジも、釣りにキャンプ、美術館や博物館と、ともかく色々な場所に連れてってくれました。

 群馬県の尾瀬で、見たことのない大自然に心を躍らせながら「夏の思い出」を一緒に歌ったり。
山中にキャンプを張り、麓まで買い出しに行って返ってくると、大雨でテントが全壊・・・自然の力に驚いたり。
モネやピカソの絵画には、印象派が作り出そうとした新たな芸術の息吹があることを知り、 物事の見方が変わったり。

何か明確な知識や能力を得たわけではないけれど、「ワクワクしている」自分に出会っていたのは確かです。美しさや驚嘆すべきものと出会うと、感性が動いて何かを感じる。 その心の動きこそが、自分がもっと知りたいことを教えてくれるのかもしれません。



「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではないと固く信じています。


カーソンの名言中の名言!!(だと僕は思っている)
そう、ともかく、驚く・感動する・ワクワクする、感性を働かせることが最も大切なんだ!そのことを痛烈に思い出させてくれる言葉です。




子どもたちが出会う事実のひとつひとつが、やがて知識や知恵を生みだす種子だとしたら、さまざまな情緒や豊かな感受性は、この種子をはぐくむ肥沃な土壌です。幼い子ども時代は、この土壌を耕すときです。美しいものを美しいと感じる感覚、新しいものや未知なものにふれたときの感激、思いやり、憐れみ、賛嘆や愛情などの様々な形の感情がひとたち呼び覚まされると、次はその対象となるものについてもっとよく知りたいと思うようになります。そのようにして見つけ出した知識は、しっかりと身につきます。


素晴らしい文章ですよね。
知りたいという気持ちがなぜ生まれ、どうすればしっかり身につくか。

何かに出会う→感性が動く(驚きと興奮)→もっと知りたい→しっかりと身につく

こんなにシンプルに、そして力強く表現した文章を、僕は他に知りません。




消化する能力がまだ備わっていない子どもに、事実を鵜呑みにさせるよりも、むしろ子どもが知りたがる様な道を切りひらいてやることの方がどんなに大切であるか分かりません。


名言中の名言パート2!!
「とにかく覚えろ」「これは○○と決まってるんだ」という教え方は、「結果」を作る上では効率的です。でもそれは短期的な、目の前の結果をつくるだけ。長い目で見て、子ど もが人生を通じて学び続ける様になるには、逆のアプローチも必要です。

大人になると円周率が3.14であるとか、水は0度で凍るとか、ひとつひとつの知識が既に常識になってしまい、いちいちなぜなのか?と考えたりもしなくなります。

でもその事実と初めて出会う子どもは、きっと「???」がたくさんあるのでしょう。だからこそ、彼らの目線にたち、なぜなのか、と一緒になって考えて、答えにたどり着く道筋を示してあげることが大切なのではないでしょうか。





全ては 子どもの「知りたい」から 始まる。


もう1人の人物、それは大学時代に出会った「ちょびヒゲの校長先生」です。「知りたい」という気持ちこそ、全ての原動力だ。 文字通り本当に、そのように唱えている先生との出会いがありました。

全ては 君の「知りたい 」から 始まる。


京都市立堀川高校が掲げる言葉です。当時校長先生を勤めていた荒瀬克己校長は新入生には必ずこのメッセージを伝えていました。

僕にとっては(きっと堀川の生徒にとっても)電撃的なメッセージ。
なるほど!やっぱりそうだよな!!と、とても感動しました。

堀川高校の生徒達は驚異的で、コンピューターで衛星の軌道を計算する実験や万葉集や古事記の研究、ハチの生態系から進化論を証明する研究と、大学生・大学院生顔負けの研究に取組んでいました。その結果、毎年数十人の京都大学合格者が誕生しています。京都大学の教授からも「こいつは!と思う学生はだいたい堀川出身」という評価をされているとか。

「知りたい」という気持ちを育てることは、学力にも研究にも、 そして人生を通じて学び続ける姿勢につながっていくのだと知りました。


荒瀬校長先生との出会いは、やはりあのオヤジがきっかけでした(笑)
ある晩、酔っぱらった調子で「お〜い、面白い人を連れてきたぞ〜」といつもの調子のオヤジ。玄関を開けるとそこには背の高い「ちょびヒゲ」の紳士が立っています。夜も遅いのでと丁寧に挨拶をされて帰っていかれる紳士。これが出会いでした笑 それから荒瀬先生に教育について様々なことを教えてもらいました。


荒瀬「学力というのは1つではない。『見える学力』と『見えない学力』というものがある。」


見える学力とは、テストを通じて数値化できる学力のこと。志望校に合格するための学力 と言ってもいいでしょう。一方で見えない学力とは、数値化できない力で、探究心や姿勢、調べる力や段取る力などを総合した力のことです。

ただ単に、テストや模擬試験の得点や成績だけを追いかけていてもダメで、見えない学力をじっくり育てることがかえって見える学力も伸ばすことにつながるのだと、先生は教えてくれました。


荒瀬「だから堀川の生徒は『二兎を追う』のです。」


二兎を追うものは一兎も得ず、という諺がありますが、二兎を追うことで一兎を追う以上の可能性をひらくのだとか。 とても示唆に溢れた言葉だなと思うと同時に、これはひとつの信念でもあると感じました。


荒瀬「教育は、数字に頼り過ぎると歪むことになってしまう。」


テストの点数や偏差値など、見える学力を測る指標ばかりを気にしていると、本当に大事なことが見えてこない。結果を出せと、ついつい子どもを小突き回し、強制的に勉強に向かわせる様になってしまいかねない。だから数字に頼りすぎず、見えないものを見ようとする、その心が大切なのだと教えてくれました。


荒瀬自ら探究する心を育てること。そうすれば生徒は自然と学びだすんです。」


子どもたちへの愛と信念に溢れた言葉、そして優しいまなざし(&面白いちょびヒゲ)にすっかり魅了された僕は、荒瀬先生の教えを胸に刻みます。今日、探究学舎という名前を塾につけたのも、先生の影響です。



・あいつに勝ちたい!という競争心
・あの学校の生徒になりたいという名誉心
・こんな成績では自分に納得できないという自尊心


勉強を支える原動力、モチベーションになるものはもちろん色々あるでしょう。でももっと根源的で長続きする心理、それが「知りたい」という知的好奇心・探究心なのだと思います。「知りたい!」という気持ちに火がつけば、もうワクワクしている訳ですから放っておいても勉強に取組みます。


そして、何よりも楽しい!!!
危機感や脅迫感で勉強するのも時に大事ですが、やっぱり辛いもの・・・
楽しさ・面白さを味わうことができるというのは、やっぱりステキです。

荒瀬先生のお考えや実践は『奇跡と呼ばれた学校(書籍)』や『プロフェッショナル仕事の流儀(NHK)』でまとめられていますので、ぜひご覧下さい。






学校教育に頼りすぎない、利用する。


学校は確かに、まんべんなく色々なことを学び、身につけていくにはとても優れた教育機関です。勉強だけでなく、スポーツや集団活動など、学校には様々な体験と学びの要素があふれています。

しかし、もっと知りたい!という気持ちを育てるのはあまり上手ではありません。

小学生に「勉強は好きか?」と聞くと半分以上の子が手を挙げます。しかし中学生に聞くと減り、高校生に聞くとさらに減ります。

「勉強が好きか?」という質問に約7割の高校生が「嫌い」「あまり好きでない」という回答をするという報告結果を、文部科学省の調査からうかがい知ることもできます。

僕自身も学年があがるに従って、徐々に授業が面白くないなぁという感覚が強くなっていったのをよく覚えています。

学校(特に義務教育)は最低限読み書き計算の力を身につけさせる、とか、社会に適応するための基本スキルを身につけさせる、とか、そういうことが主旨であって、興味関心をガンガン育てることに心血を注いでいる訳ではありません。堀川高校の様な学校もあるでしょうが、まだまだ少数というのが現状です。

だからオヤジは、基本的な読み書き計算能力の向上は学校に任せつつ、 知的好奇心を育てる教育を、家庭の中で実践したのだろうと思います。


学校にも得意なこと、不得意なことがあります。
学校教育が全てではありませんし、テストや成績の評価は、あくまで子どもの一面を切り取っているに過ぎません。 荒瀬先生の言葉を借りれば、見える学力が上がっているかどうかしか見えてこない。 

だからこそ、家庭が(親が)教育上の価値観や評価軸をきちんと定め、学校とは適度な距離をおきながら「利用する」ことができるといいのかもしれません。

見えない学力を評価するのは、私たち親にとって簡単なことではありません。
ついついテストや成績の結果に右往左往してしまうもの・・・
だからこそ、信念を持って子どもの多様な力と成長を評価していきましょう!!





改めて考えたい「勉強しろ!」の意味



親になればつい口から出てしまう「勉強しろ!」という言葉・・・ テレビやゲームなんて無駄な時間を過ごしてないで、ちゃんと将来につながる時間の使い方をしてほしい。光陰矢の如し。大人になってから気づいたってダメ。後で後悔しても遅 いのだから・・・


大人になると、子ども時代の勉強には価値があることが見えてきます。 そしてつい、自分が言われて嫌だったこの言葉が口から出てしまいがち・・・


多くの場合、この言葉は「勉強をしろ=学校の勉強をしろ=教科書を開いて勉強をしろ」ということを指していると思います。
そして・・・

教科書を開く→正しい知識を身につける→テストで高得点→親を安心させてくれ!


結局は親が自分の安心のために、子どもに勉強させようとしているのかもしれません。そういう意味では、愛があるようで、愛のない言葉なのかもしれません・・・


また「勉強しろ」というとき、その対象は教科書であって、
 マンガやゲームやテレビ番組は、その対象外。
そこにあるのは学校的な勉強観・教育観だと思います。


「机に座り、前を向き、教科書を開いて、黙々と正しい知識を身につける」


これが「勉強する」ことの意味として、親子で共有されているのが現実ではないでしょうか。だからこそ、子どもにとって勉強は窮屈で面倒くさいものに映るのではないでしょうか。





狭い勉強観を越えて、広い意味で学ぶということを促せると良いと思います。




※生涯にわたって、様々なことを学ぶことが重視されている時代。学校で提供される「勉強」はオレンジの領域でしかない。




「勉強しろ!」ではなくて、意識的に「学ぼう!」という言葉に変えるといいのかもしれません。勉強というと、どうしても狭いイメージがありますよね。 だからもっと広いイメージで、楽しいイメージで、積極的に「学ぶ」という言葉を使うのもひとつのアイデア。





この世界には、たくさんのおもちゃがあって、遊びがあって、物語がある。


この世界には、たくさんの人物との出会い、生き様との出会いが待っている。


この世界には、たくさんの驚きと感動があふれている。




ただ「勉強しろ」「成績を上げろ」というのではなく、見える力も見えない力もひっくるめて、「一緒に学ぼう!」というお父さん・お母さんが増えていってくれたらいいなと思います。



またこのストーリーがそのきっかけになれば、これ以上嬉しいことはありません。



最後までお読み頂きありがとうございました!!!





ここでは書けなかったこと・・・
文章があまりにも長くなりすぎてしまうので、ここでは書けなかったこと。


・なぜ音読・暗唱が大事なのか
・勉強もスポーツも上達の原理は同じ:徹底的な反復練習
・北風か太陽か。無理やり圧力をかけるより、自らやる様に褒めて育てよう。
・ギャップアプローチかポジティブアプローチか。苦手克服よりも得意を伸ばす。
・自分で学び取るプロセスをどう支援するか。ファシリテーションのすすめ。


など、パート4、パート5として、時間をかけて書いていければと思っています。




最後に


このストーリーを書こうと思ったのも、自分が親となり、また学習塾を運営し、改めて家庭教育の可能性・重要性に気づいたことがきっかけでした。


そして、家庭教育の充実に向けて自分が何かできるのではないか。 具体的な情報やサービスを届けることができるのではないか。


そうした思いが日に日に強くなり、ストーリーを投稿することになりました。 思いがけずたくさんのコメントやメッセージを頂き、これから頑張ろう!という気持ちがとても強くなりました。ありがとうございます。今後、家庭教育の支援サービスをきちんと準備して作っていきたいと思っています。


小さいお子さんや、小学生のお子さんをおもちのお父さん・お母さんなど、興味を持って頂ける方がいらっしゃいましたら、ぜひ寳槻泰伸にメッセージまたは友達申請をお送りください!また下記の欄にコメントを頂けば、できる限り丁寧にご返信させて頂きます。




つづく・・・・・

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