31歳で初めて海外に行った俺が、5年半後に海外で生活していた話

若い頃はそもそも海外になんて全く興味がなかったのに。


20歳の時に1つ下の女の子と出来ちゃった結婚をした俺は、海外になど行く機会もきっかけもないまま、日々の生活に追われる毎日を過ごしていました。中2の時に両親が離婚して、それからは基本は親父、時々お袋や祖父母と暮らすような学生時代を過ごしたせいもあってか、家庭・家族に対する憧れのようなものも確かにあったと思います。あっと言う間に子供も2人出来て、それこそ旅行なんてせいぜい近場の温泉が関の山。

そんな生活も6年ちょっとで終わりを迎えます。若過ぎた2人は、我慢やお互いに対する思いやりが少し足りず、自分たちのいろいろな欲求を抑えることが出来なかったのでした。

27歳で再び一人暮らしをすることになった俺は、とりあえず当座のしのぎに始めた家庭教師業が評判になり、29歳で学習塾の教室を持つまでになりました。その後、教室は最大で4つまで増え、地元の商工会青年部に入会し、31歳のときにその青年部の親睦旅行で、初めて海外に行く事になるのです。

私が入っていたのは福島県双葉郡大熊町(今では福島第一原発ですっかり有名になってしまいました)の商工会。ここの会員の皆さんは、その当時は原発のおかげもあってか非常に羽振りが良く、毎年5泊、6泊の日程でバンコク・プーケットに行っていました。

当時、全く海外に興味が無かった俺は、一週間近くも授業を休むのが嫌でたまらず、何とか旅行を回避する方法はないか思案に暮れていましたが、先輩たちの誘い(と言う名の強制)を断る事が出来ず、結局2000年11月23~29日の6泊7日の旅行に参加したのです。


見ると聞くとじゃ大違い。

初めて行った海外。東南アジアの照りつける太陽、青い海、極彩色の仏教寺院。



あれほど気が進まなかったのが嘘のようにすっかり魅せられてしまった私は、その後タイだけでなく、グアム、ハワイ、フィリピンと南国ばかり年に5回6回と訪れるようになりました。

そのうち、行く場所はハワイとフィリピンに絞られていきます。タイは英語があまり通じないので、どうも意思の疎通がうまくいかない。グアムは逆に日本語が通じ過ぎて面白くない。やはり、仕事柄どうせ行くなら英語を話したい。そういう訳で、自然と行き先が決まっていったのでした。

そうやって毎年、何度も何度も行っているうちに、だんだんと本格的に英語を勉強したいという気持ちが生まれてきました。さて、どうしたものか。ハワイは治安はいいが生活のコストが高い。フィリピンはコストは安いが治安が悪い。

なんて迷っていた矢先、フィリピンに彼女が出来ました。当時、原発の近くのフィリピンパブに働きに来ていた子の従姉。青年部の先輩と時々お店に遊びに行っていた時に

コージ、今度フィリピンに行ったらあたしの従姉に会ってみてよ
OK!

という訳で、2004年7月に彼女と初めてマニラで会いました。

午前中にホテルに来て、一緒に食事に行ったり買い物に行ったり飲みに行ったり。でも、夜はちゃんと帰宅して。そんな風に3泊過ごした最後の夜、彼女は俺の部屋に泊まっていきました。

彼女は日本に来たこともなければ、日本人と関わる事自体が初めてです。当然、コミュニケーションは英語。彼女との電話やショートメールは俺の英語力の向上に一役も二役も買っていたことは言うまでもありません。彼女との出会いが、俺にフィリピンへの移住を決意させたのでした。

問題は塾。当時、高校生まで見ていましたが、預かっていた生徒をきちんと卒業させない訳にはいきません。それで、新規の生徒募集はストップし、高校生の進路が確定する2006年3月で教室を閉鎖してフィリピンへ移住する計画を立てました。でも、最後の1年はキツかった。生徒数が減ってましたので、近くのコンビニでバイトしたりもしました。

そんな苦心の末、高校生たちはみんな健闘し、1人が法大、2人が帝京大に合格。私もほっと胸をなでおろして教室の看板を下ろしました。そして、2006年4月22日、フィリピンでの生活を始めたのです。紆余曲折はありましたが、今ではフィリピンの大学と連携し、日本の大学や企業と産学連携事業を進めています。

2000年11月に初めて海外に行ってから5年半で海外移住まで突っ走ってしまった私。今の若者たちのように、若いうちから海外慣れしていたら、ここまで極端な事にはなっていなかったかもしれません。どっちが良かったかは分かりませんが、まあ、大変ながらもそれなりに楽しんで暮らしています。

ちなみに、2013年2月9日に二度目の結婚をしました。相手は…あの彼女ではありません。(-_-;

あの彼女とは、私がフィリピンに移住する直前、2006年1月に別れてしまいました。でも、その段階で撤退なんか出来ませんもんね。それも含めて、全ては神様の思し召しだったのでしょう。

著者の小元 恒治さんに人生相談を申込む

著者の小元 恒治さんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。