【6】禁煙ゲーム✖️バツ〜禁煙をやめた僕が、7年間、ストレスなく吸わないだけを追究し、愛煙家友達との出会いから愛煙を深め、吸えない不自由から完全に解放された話〜【午前中だけタバコを必要としない人生を楽しむ。】
【禁煙ゲーム✖️バツ〜実況セラピー〜】
まぐまぐから無料配信中です!
午前中だけタバコを必要としない人生を楽しむ。
禁煙宣言、もしくはタバコを吸わないことを決めたあと、
「もう吸えない」
という思いがどこからかやってくる。
吸わないでいられるような気持ちになった瞬間は
「やめられるかも!」
と気分上々になるんだけど、
時間が立つにつれ、タバコの煙が体内から抜け出すにつれ、
「あぁ、美味そうに吸ってるなぁ〜。」
と人の一服に誘惑を受ける。
なぜ、この誘惑が生じて、さらに、なぜ、いつまでも負けないでいないといけないのか。
それは、
「禁煙ブームに従ってやめようとするから」
なのだ。
つまり、タバコをやめる、または吸わないでいようとする考え方が禁煙世界にあるため、誘惑を受け、吸わされる。
「たった一日、吸わないでいることができない。」
まあ、別に悩む問題でもない。
とても厄介で解決が難しいように思い込む人は多いんだろうけど、
考えてること、思ってることを素直に吐き出していけば、あっけなく解決してしまう。
「一日も禁煙できなかった私があっけなく夜まで吸わないでいられた!」
このページの最初に紹介してる、僕がここ数年書いてきたエッセイを読んでくれた、ある女性からのコメント。
夜も、そんなに吸いたい気持ちにならなかったと書いていたけれど、
たぶん、吸わないで眠りにつけたのではないかと想う。
夜までタバコを吸わない。
つまり、
「朝、目が覚めてからお昼までは間違いなく吸っていない」
ということになる。
6時に起きたとして12時まで吸わない人生を満喫。
睡眠中はタバコを吸わないとして、
一日の三分の一のときを、タバコを必要とせずに、タバコのことを考えることもなく生きられるわけだ。
多少、誘惑があったとしても、
「夜、楽しんでもいい。」
という設定をしておけば、吸えない不満はそれほど強くないと想う。
少なくとも禁煙信者よりは弱い。
一日の三分の一とき。
一ヶ月で言えば十日。
三ヶ月で言えば一ヶ月。
半年で言えば二ヶ月。
一年で言えば四ヶ月。
ここで、
「吸わないことを続ければそうなるわな。」
と考えてしまううちは、まだ禁煙毒が脳に残っている状態。
「午前中は吸わないということを毎日続ければ」
といった低レベルな話をするつもりはない。
そういう
「いかにも禁煙成功できそうな話」
を聞きたいのであれば、
禁煙成功者が主催する禁煙セミナーに参加したりメルマガを読むなりしたほうがいい。
僕はあくまでも、
「タバコの必要ない人生を、その人なりに満喫する」
という角度から話をしている。
「タバコが好きな人間として、好きなタバコでも吸いたくないときは吸わない感覚」
を大切にすることが、
タバコをやめたい人には最も重要だと確信している。
「たまに朝から吸うこともあるけど、基本的に午前中は吸わない。」
たった一日も禁煙できなかった人が、ある日からタバコとの付き合いかたが変わる。
「二度と吸わない!生涯吸わない人になりたい!」
とは思いながらも朝からプカプカ吸わされてきた人が、お昼まではタバコを必要としない人になる。
もう少し細かく言えば、
「お昼まではタバコを必要としない人にもなれる」
ということだ。
さらに分解すれば、
「禁煙信者を楽しもうと思えば、敢えてそうすることもできるようになる」
という話になる。
簡単に言えば、禁煙者は禁煙ブームを都合のいいように利用できる。
逆に、禁煙信者は禁煙ブームに都合のいいように振り回されまくる。
禁煙者は愛煙家寄りな考え方、禁煙信者は嫌煙者寄りな考え方。
つまり、
「タバコをやめるのは難しい」
と思っている、または思って生きていたいのであれば、
それこそ生涯、禁煙宣言しては挫折の繰り返しを続ける禁煙人生から抜け出すことはできない。
「そんなことはない!」
と否定してくれるのは全然構わないが、
残念ながら、その否定は虚しく散る。
タバコを楽しめる人間として吸わないだけ、喫煙者、愛煙家として吸いたくないから吸わないだけ、
その感覚以外でタバコが必要なくなるとすれば、
その人はもともと
「タバコは好きでもなかった」
ということになる。
当然、タバコにはデメリットしか感じなくなるだろう。
禁煙は愛、喫煙は悪で間違いない。
それがわかったならそれでいいんじゃないだろうか、タバコを楽しめる人を批判さえしなければいいだけだと想う。
「お昼までタバコが必要ない人生を楽しめるようになれば、完全にタバコを吸わなくなるのも時間の問題。」
睡眠時間を除き、一日の三分の一のとき、タバコが必要ない人生を楽しめるようになれば、
「吸わない人の感覚」
が体感として染みついてくる。
朝、寝起きの一服でタバコ人間として生きてきた人にとっては、
昼すぎまで吸わない人を楽しみたくて楽しめる人生は輝かしいと想う。
吸えないストレスを持つこともなく、自然とタバコを吸わない自分。
仮に、夜まで吸わないことを楽しめるようになったとすれば、
もはや喫煙者とは言わないし、タバコを吸わない人生を考えることも少なくなってくる。
一日の三分の一のとき。
一ヶ月で言えば十日。
三ヶ月で言えば一ヶ月。
半年で言えば二ヶ月。
一年で言えば四ヶ月。
先ほど書いたこれは、
「昼までタバコが必要ない人生」
を考えたときに現実になる話。
年間、「四ヶ月も」タバコを必要としない時間を豊かに過ごしてるということになる。
ちょっと、冷静に考えてみて欲しいんだけど、
「二度と吸わない!」
と決めつけて吸わないことを貫く場合を考えたら、明らかに幸せな人生になっている、と僕は想う。
いや、幸せな人生なのだ。
禁煙に疲れて禁煙をやめた僕が、実際に今、タバコを必要としない時間を満喫できているのだから。
「二度と吸わない!」
と決意するだけの元気があるのなら、
その元気を
「昼すぎまでは吸わない人を生きよう!」
という決意に使ったほうがお得だ。
二度と吸わない、生涯吸わない、そんなもんはこの世を去る瞬間、結果として確認すればいい。
禁煙人生ではなく愛煙人生を満喫するほうがどう考えても自然だし自由。
愛煙人生だからタバコを吸わなきゃいけないなんてバカな話はないのだから。
もし、そうは思わない、思えないのであれば、自分が納得できる考え方を探し、タバコを吸わない人生を歩めばいい。
吸わないことを貫くことに意地を張り、禁煙成功を自慢したいのであれば、それもまた人生だと思う。
まあ、お勧めはしないが。
僕は、僕の吸わないだけの感覚に共感してくれる人を全力で応援する。
だからこそ、今こうして自分が追究してきた事実を書いている。
共感してもらえたら勝手に真似して、どうか、吸えないストレスを持たずに吸わない人生を歩んで欲しい。
不味いタバコしか吸えなかったのが、美味いタバコを吸えるようになったという声も僕にとっては癒しになる。
愛を持って吸うだけ、吸わないだけ、好きなタバコに対し、感謝できる生き方を望む人が僕は大好きなのだ。
そういう人たちを、吸えない苦しみ、吸ってしまいそうな不安から解放してあげたいというのが本心。
「昼すぎまでタバコを必要としないということは、一日の三分の一ときを、完全に吸わない人を生きている。」
この事実を真剣に考え、実践に移せたとき既に、あなたは吸わない人。
タバコを持ち歩いていようが、相変わらずの喫煙者であろうが、吸わない人。
パチスロを打つときだけ美味い一服を楽しむこともある僕と感覚が似ていて、
いつでも吸えるんだけど、吸いたくないから今は吸わないだけ。
いいよね、タバコを楽しめる考え方でいながら、吸わないことに対しても楽しくいられるのって。
愛煙家友達と出会ってから吸える人生を楽しめるようになったんだけど、本当にありがたい。
あなたに想いを伝えることができる自分が好きで仕方がない。
今、あなたが僕の言葉に耳を傾けてくれていることがたまらなく嬉しい。
ありがとう、僕は今、最高に幸せだ。
著者の志村 嘉仁さんに人生相談を申込む
著者の志村 嘉仁さんにメッセージを送る
メッセージを送る
著者の方だけが読めます