アレを捨ててコレを持ったら生きやすくなった



○捨てたアレ

「こだわりの逸品」なんて売り出されている商品があるように、

良いイメージの多かった「こだわり」。

時には自分を苦しめるものでもあるんだと思うようになった。




例えば

毎日学校に行かなきゃ。

生活のために嫌でも働かなきゃ。

家族は仲良くないと。

一日三食ちゃんと食べよう



こういうことにこだわって苦しんでいる人は、過去の私だけではないと思う。

こだわっているという意識が無くても、無意識のうちに縛られている人まで含めたら

多いと思う。


でも、なんで?

それ本当に必要なこと?

たまにはそうじゃなくてもいいよね?



でも、「こだわり」を捨てるということにもこだわらない。

私のちっちゃな「こだわり」は、家事の順番。

どれからやってもいいけれど、自分の中でしっくりくる順序がある。

スッキリ気分が良くなるから、こだわっているのだと思う。


あれもこれも流されるままでいいや、となってしまったら、それはそれでつまらない。

たぶん「こうしたい!という想い」にはこだわったらいいのだと思う。




○持ったコレ

「こだわり」を捨てたら、

まぁいいか!

それもいいね!

と思う機会がぐんと増えた。

そうなった私の心に芽生えたのは「本当のことを言おう」という覚悟。


この人と繋がっていたい、見捨てられたくない、変な目で見られたくない、という思いから

言えなかった本音やごまかしていた事実を打ち明けられるようになり始めた。

すると、起こったのは意外な感覚だった。


え?非難しないの?私のこと責めないの?

あれでよかったんだ?


近くにいる人は認めてくれなかった。あんなに沢山話しても伝わらなかった本音。

受け止めてくれる人がいるんだ!認めてくれる人がいるんだ!


一度その感覚を味わってから、本音を言えるハードルがかなり低くなった。

必然的に本音を言える人が増える。

受け止めてもらえるかは別として、単純に母数が増えるということ。

そうなると、あの人も受け止めてくれた、この人はあれを受け止めてくれた、と

どんどんハードルは低くなっていく。

そして感じたのは





ラク






という感覚。

世の中ってこんなに穏やかだったのかと不思議なくらいになった。


こんなこと言って大丈夫かな?と心配になることもあるけれど

そういうことを言って、相手がどんな反応をするか楽しめる時もある。

もちろん、いつも良い反応が返ってくるわけではない。

でも、自分が相手に対してする反応だってそう。

相手に求めている時は、自分も良い反応をしないと、ってどこかで思ってると思う。

それが求められる関係性もあるし。(仕事上のお付き合いとか…)


自分が本音を言えると、相手から返ってくる言葉のストライクゾーンが広がるのだと思う。

自分の心の中で抱えなくて良い分だけ。



育った環境がワケアリだったり、イジメられたりして

自分の感情や本音を抑えずには生きてこられなかった人には信じてほしい。

絶対だれかは受け止めてくれる。

分かってはくれないかもしれない。

でも、受け止めてくれる人は必ずいるって。

「今」、「近く」にはいないかもしれない。

でも、いつかどこかで出会えるって信じて生きてほしい。








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