【10】パニック障害と診断された私が飛行機に乗って海を渡り、海外で4年暮らしてみた話。

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しばらくボー然とした。


やばい!これはやばい!!!
ネット!インターネット!!
震源地は?!
お母さんは?!お父さんは?!


被災地が東北であることがわかり、私は日本へ連絡するのは控えた。
さすがに名古屋までは、ここまでの被害はないだろう。
私より連絡したい人がきっとたくさんいるはずだ。


この夜は眠れなかった。
日本中が大混乱に陥る中、私はその混乱すら知らなかった。
心配に思えど、私には今日何に怯えることもなく眠れる部屋があり十分な食料も電力もあった。

それでも、自分の母国が大変なことになっているときに何も出来ない自分の無力さを思い知り、改めて遠く離れた国に暮らしているのだと知った。


余談だが、この時私の友達で東北寄りの北関東出身の人がいた。
NZの携帯電話は、とにかく高い。
そしてNZ人を含む殆どの人がプリペイド携帯を使っている。
国際電話なんてしたら、5分と経たずに切れてしまう。
それでも連絡せずにはいられない事態に彼女は50ドルのバウチャーを購入して日本に電話した。

震災から一週間ほど経った頃だった。
彼女の携帯へ、ボーダフォンNZからメールがきた。


3.11〜18にかけて、日本へ国際電話を掛けた方にお送りしています。
我々は、この期間に日本へかけた国際電話への課金は致しません。


涙が出た。
NZの企業の粋な計らい、そして政府もまた。
自国の震災から一ヶ月そこそこで、この日本の震災。
まだまだ復興へは程遠いクライストチャーチ。

でも、NZのキー首相は迷うことなく、翌週には日本へレスキューチームを送ってくれた。

kia kaha 


NZの先住民のマオリ族の言葉。

強くあれ。



一緒に頑張りましょう、日本の皆さん。



そう言ってくれたNZの人々の優しさが本当に有難かった。



遠く離れた母国。何も出来ない自分。
でも、私が日本人だと分かると声を掛けて励ましてくれるNZや世界中の人たち。

そして私の職場であり、住んでいた安宿にはバルコニーに国旗掲揚ポールが2本立っていて日替わりで世界各国の国旗を掲揚している。
でも、リッキーは日本の国旗は持っていなかった。

ある日、仕事中に背後からリッキーに呼ばれた。


リサ。これをつけておいてくれるか。


はい?


そこには大きな日の丸の旗を持ったリッキーが立っていた。


僕にはたくさんの日本人スタッフが居たのにね。
まだ日本の国旗は持っていなかったんだ。
やっと買ったよ。
さぁ、これをNZの旗と一緒に掲揚しておいてくれ。

私は思わずリッキーに抱きついて泣いた。

私は、何も出来ないけど、世界中で応援してくれる人たちに感謝することだけは忘れないようにしようと思った。



そんな頃だった。

一緒に働いていた日本人が仕事を辞めた。
元々、辞めることは決めていたらしい。

些細なことから、震災の話が原因で関係が拗れてしまった。


大事な友達だと思っていた。
でも、彼にとっては私はそうでもなかったらしい。
きっと、それまでもずっと私に対する不満があったのだと思う。
共に暮らし、働き、近すぎた私には言えなかったのだろう。

そして彼は、私と話し合う時間があるなら、自分は自分のすべきことをする、と言った。
その彼の目を見た途端に、私は嘔吐してしまった。


パニック発作だった。


ずっと穏やかだった心に、クライストチャーチと日本の大震災。
爆発寸前の不安は、私の心に突き刺さった彼の言葉で爆発してしまった。


この時初めて、私は分かり合えない人も居るのだと知った。



それ以来、彼には会ってもいないし、連絡もしていない。



私は、初めて発作から本当に嘔吐してしまった。

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