「恋」 じゃなくて「依存」だったのかなー。


中学3年の時、初めて「彼氏」ができてから、私は結構「恋多き…」っていうタイプだった。

でも振り返ると「依存多き…」の間違いな気がする。

当時は、相手のことが好きで好きで一緒にいたいって思ってた。

「大切にされてる感」があったからだと思う。

裏返せば「大切にされてる感」が無くなると、相手のことを大切に思えなくなりがちだった。


私がしていたのは「恋」じゃなくて「絶対的な味方探し」だったんだと思う。


幼い頃からのいろいろで私の心はずっと何かがおかしかった。

心理学で使われる「抑圧」という言葉を知った時、コレだと思った。

辛いことに直面した時にそれを「なかったことにしようとする」、自己防衛のひとつのよう。

物心ついた頃からそれが自分の中ではフツーだった。


「抑圧」しても耐えきれなくなった心が完全に壊れて、壊れた部品を別の物に交換してようやく

今までの自分の心がおかしかったんだって気づいた。


時間をかけていろいろなことによって辛い過去が消化され、癒されていくうちに

心が安定するようになってきた。


安定して初めて、ずっと傾いてたんだなーって気づいた。

ピサの斜塔みたいに、傾いてるのになぜか立っていられたんだなって。


心が安定したら、物事や人のこと、そして自分のことをじっとみつめられるようになった。

今までそれが出来なかったのは、直視するには耐え難い現実があったから。

辛くてみつめられなかった過去を医師や心理士、看護師さんたちが一緒に見てくれた。

辛さが少し和らぐ見方を教えてもらった。

一人で直視するのがキツくても、一緒ならみつめられる。

あの方向から見るのは辛くても、この方向からなら見られる。


それでもやっぱり辛さはあって、体の症状としても現れた。

それは薬や時間、そして支えてくれる人の暖かさに助けられた。


そんなこんなで、穏やかな心の安定を知った。


自分自身で、心の状態を+(プラス)にできるようになった。



過去の私がずーっと求めて、探していたのは、

−(マイナス)な状態を0(ゼロ)や+にしてくれる存在だったんだと思う。

彼氏に限らず、友達とか先輩とかでも。

だけど、そんな「都合のいい」人は多くない。

全部現実を知ってる自分でさえ、0にも+にもできなかったんだもん。

状況を知らない人にそれを求めざるをえない環境が酷だった。

タイミングか運か、なにかが悪かったんだと思う。


自分自身で心の状態を+に保てるようになったら

求める人間関係が++になった。

だから、うまくいかなくても+。


過去の私は求める人間関係が手に入れば+、手に入らなければ−、っていう感じだった。

だから、手に入るとそこに頼ってしまう。執着してしまう。

これが「依存」だったと思う。

−を0にしてくれる友達。

−を+にしてくれる友達。

−を++にしてくれる彼氏。

どれも大切なはずなのに、強く求めてしまっていたのは、−を++にしてくれる存在だった。


今ならわかる。

それ自分でやれよって。

それが「自分を大切にする」ってことなんだよって。

それができてから、「恋」ができるんだよって。





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