「過激派」といわれた新左翼系セクトの友人が、突然アパートに泊まりにきた夜。

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昼間の熱気がそのまま居座ったような、蒸し暑いある夏の日の深夜。


突然、アパートの通路に面した明り取りの窓が開く音が聞こえた。

「……えっ、誰?」


眠い目をこじ開けると、暗闇のなかに、通路の暗い蛍光灯に逆光で映し出された男の影が見えた。背丈よりも高いところにある窓によじ登り、男はすでに部屋の中に入ろうとしている。


「誰!」

もう一度、今度は少し大きな声で聞いた。

「Mだよ。悪いが今晩泊めてもらえないか……」


Mは僕と同じ大学の、3歳ほど年上の先輩だった。新左翼系セクトに所属しており、活動家としてそれなりに名前を知られていた。決して親しい間柄というわけではない。そのMが突然、それも深夜の1時をまわった時間に訪ねてきたのだ。


「Mさん、こんな時間にどうしたの?」

「いや、ちょっと事情があってな。行くところがないんだよ」

部屋の灯りをつけると、黒縁のメガネをかけ無精髭で覆われた顔がニヤリと笑った。


「話は明日するよ」

よほど疲れていたのだろう。Mはそう言うと、僕が渡したタオルケットにくるまり、床ですぐに寝息を立て始めた。


部屋にはエアコンはおろか、扇風機もない。薄い油膜のような汗で、シャツが身体にはりついている。暑さからくる苛立ちに、Mの闖入が輪をかけた。いったいこの人は何なんだ。


窓の網戸の外には、せめてもの涼感を求めて商店街で買った風鈴が吊るしてあった。夜がふけて少し風が出てきたのか、その風鈴が僕の苛立ちを静めるようにチリンチリンと鳴った。


● ● ●


その頃、僕は大学2年生で、東急大井町線の中延駅近くのアパートに住んでいた。六畳ひと間で、水道とトイレは共有。台所や風呂もなく、週に数回の銭湯通いのついでにコインランドリーで洗濯をするという生活だった。地方出身の大学生としては、当時それが普通の暮らしだったのだと思う。


大学へ入学すると、僕はすぐに新聞部に入部した。高校時代はバスケ部で典型的な体育会系の生活を送っていたのだが、1年間の浪人生活のなかで読書に目覚め、モノを書くということに憧れをもっていた。ただ、何を書きたいのかはぼんやりしていたのだけれど。


僕が入部した新聞部は、学生運動の影響で左派の色合いが濃かった。掲載される記事も、高橋和巳や吉本隆明に関する評論、疎外物象化論などマルクス系の哲学小論が大半を占め、複数の新左翼系セクトが議論を吹っかけによく出入りしていた。毎月1回、ブランケット版8ページの新聞を発行し、広告収入のおかげで資金も潤沢だった新聞部は、政治セクトにとって格好のオルグの対象となっていたわけだ。


大学の校舎の地下にあったその新聞部の部室で、僕はMと出会った。キャンパスの銀杏が見事に黄葉した、大学1年目の秋のことだ。好奇心旺盛な僕を、Mはしつこくオルグした。新聞部の部室で、学食で、喫茶店で、地下鉄のなかで、Mは革命の必然性と自派の正当性を滔々と説いた。それは1年近くも続いた。


ズカズカと土足で人の心に侵入してくるMを、僕は鬱陶しく感じてはいた。しかし、まっすぐに目を見て話すMの純粋さは、僕の警戒心を解いた。そして学内の政治情勢をつかむ上で、Mは格好の情報源でもあった。


そんなMが、夏の深夜に突然訪ねてきたのだ。翌朝、Mは「敵対するセクトから狙われているようなんだ」と、僕に事情を打ち明けた。



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