雑誌を作っていたころ(16)

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新企画


「おとこの遊び専科」は快進撃を続け、部数も安定してきた。すると、誌面にマンネリズムの影が差すようになってきた。

 読者というのは敏感なもので、ちょっとでもこちらが手を抜くと、てきめんに実売率に跳ね返ってくる。ぼくは毎晩、編集長と飲みながら打開策を練った。


「こんなのはできないだろうか」と、ある日編集長が言い出した。

「きのうベッドでぼけっと寝そべっていたら、天井のシミが女の子のヌードに見えてきたんだよ。で、思ったんだけど『等身大のヌードポスター』とかがあったら、彼女のいない男が天井に貼って楽しむんじゃないか」

 等身大ということは、天地1.7mの印刷物だ。撮影はなんとかできるとして、問題は製版と印刷。駅貼りポスターの大きさを考えれば、不可能ではないかもしれないが、コストがどのくらいかかるか想像もつかない。

 しかし今までに見たことのないものができたら、きっと話題になるだろう。

「明日、学研の生産管理部に聞いてみます。ほかの出版社にできなくても、学研ならできるかもしれません」

 ぼくはそう答えた。


 翌日、上池台の学研本社を訪ねた。生産管理の人たちには、麻雀の時にいつも社の駐車場を貸してあげているし、ぼくが特殊印刷や製本工程のことに興味を持って聞きに行くので、みんな顔なじみだ。

「やあ久しぶり。今日は何の用事?」

「じつは編集長が等身大ポスターを付録にしたいと言い始めたんで、可能かどうか聞きに来たんです」

「あー、等身大ね。たぶんできるけど、付録はむずかしいよ」

「どうしてですか?」

「折らないと雑誌付録にならないでしょ。等身大のでかいコート紙をA4に折ったら、たぶん割れちゃうよ。折る機械もないし」

「なるほど。そこまで考えていませんでした」

「業者に聞いてみるけど、あまり期待しないでね。あと、販売局にもひと声かけておいたほうがいいよ。やることになったら、結束だの梱包だので大騒ぎになるから。それに、取次がOKするかどうかわからないでしょ」

「わかりました。お願いします」

 その足で販売局の雑誌販売部を訪ねた。ちょうど懇意にしている次長がいた。

「おお、君か。『おとこの遊び専科』、いい感じじゃない」

「その件なんですけど、マンネリになる前に手を打ちたいと編集長が」

「いいことだよ。落ち目になる前に新しい手を打つ。やっぱり勢いのある雑誌は違うね」

「等身大のヌードポスターを付録にしたいんです」

「おいおい、巻物はつけられないよ」

「折る方向で考えているんですけど」

「できるのかなあ。生管は何て?」

「折る業者を探してくれるそうです」

「でも、綴じこめないだろう?」

「そうですね。たぶん無理でしょう」

「可能性が見えたら、教えてよ。取次と相談するから」

「よろしくお願いします」

 実現の可能性は、あまり高くなさそうに思われた。誰もやっていないことというのは、思いつかなかったからではなく、不可能だからできなかったということのほうが多いのだろう。


 数日後、生産管理部から電話があった。

「やれますよ。印刷も、折りもOKです。苦労しましたが、テスト結果も上々です」

 日本に1台しかないという「A4倍判(A3が32枚並んだ大きさが印刷できる)」の4色オフセット印刷機を使って、等身大ポスターを縦に2枚並べて印刷。その印刷所が持っている断裁機で周囲とまん中をカットし、それを折り工場に運ぶ。折り工場では畳表を折る機械でまずポスターを半分に折り、そのあとは普通の折り機でA4判の雑誌に挟めるサイズにまで折るのだそうだ。心配された「割れ」も、畳表を折る機械を使うことで回避できた。

 さすがは学研。普通の出版社では、こういう発想は出てこない。

 すぐに販売局と打ち合わせし、折ったポスターをビニールの袋に入れ、袋に雑誌名と雑誌コードを印刷することで、取次の了承を取ってもらう。あとは撮影の段取りだけだ。

 編集プロダクションの社長とは、かんかんがくがくの議論となった。彼は編集よりもキャスティングと撮影が専門なので、こういう話になると熱が入る。

「用途を考えると、寝かせて撮りたいですね。真俯瞰の撮影ができるスタジオを探す必要があります。印刷の大きさを考えればカメラは4×5、レンズは360ミリ。だとすれば、撮影距離は10mはほしいですね」

 探したところ、意外に近い場所に条件に合うスタジオが見つかった。天井が3階の高さにあり、屋上の小屋から天井に開いた穴を通して真俯瞰の撮影ができる。すぐに機材を持って確認に行ったが、編集部員を寝かせて撮ったポラロイド写真は、歪みもなく撮れていた。

 そして記念すべき第1回の撮影日。何が起るのか、よく飲み込めていない様子のAV嬢を台に寝かせ、左右を3台ずつの大型ストロボで挟み、撮影はスタートした。

 モデルには恥じらいを含んだ驚きの表情をしてもらい、手の指を大きく広げ、脚はやや内股気味に。髪はふわっと周囲に広げる。何度も巻尺で寸法をチェックし、撮影終了。いい感じの写真が撮れた。

 雑誌のレイアウトは通常、原寸で指定するのだが、等身大ポスターはそういうわけにはいかない。デザイナーのところには、そんな拡大率のトレーススコープがないからだ。しかたがないのでレイアウトは実寸の6分の1で作ることにした。製版もそのサイズで行い、あとで「目伸ばし」をする予定だったからだ。

 ところで、この時代はまだアンダーヘアが解禁になっていない。ところが撮影したフィルムにはヘアがばっちり。当然、製版時にモザイク処理をすることとなる。

 それをどう指定したものか悩んでいたら、印刷所から「立ち会ってくれ」と連絡が入った。アンダーヘアのモザイク処理をやったことがないのだそうだ。

 この時代に、それをしたことがないとは、どんな高貴な印刷所だろうと名前を聞いてびっくり。「東京印書館」という、平凡社の兄弟会社だったのだ。もちろん、「月刊太陽」「別冊太陽」でさんざんお世話になったところである。知り合いだってたくさんいる。

 製版当日、デザイナーと東武東上線の成増駅で待ち合わせ、通い慣れた道を歩いて東京印書館へ。まず営業部に顔を出すと、学研担当の土師さん、平凡社担当の大友さん、ほか何人か知った顔がいる。

「やあ久しぶり。今回はすごい仕事を持ってきてくれたんだって」

 と大友さんが言う。新人のころ、彼にはずいぶん迷惑をかけた。原稿の分量を間違えて発注してしまい、一度打った写植が全部無駄になったこともある。

「すみません。原稿の文字組みを変更します」

 と伝えたら、無駄になった写植の印画紙を「二度と間違えないように、これを持っていなさい」と渡されたのだった。

 製版室からは、女子社員が全員外に出された。ヌード写真の加工なので、オペレーターの気が散らないようにするためだという。この会社は、いつでも本気の製版をしてくれるが、それにしてもすごい対応だ。

 デザイナーと2人で製版オペレーターを挟み、サイテックス社のレスポンスでモザイク加工を進めていく。

 今ならフォトショップで一発だが、当時はイスラエル製のこの機械でなければ、モザイク処理はできなかった。登場したとき、「写真から電線が消せる」というので有名になった機械だ。

 AV嬢のアンダーヘアは、普通の女の子よりかなり刈り込まれている。ハイレグに対応するためと、いろいろなポーズを取ってもヘアが写らないようにするためだ。だから股間に縦に味付海苔が貼ってあるように見えてしまう。それをそのままモザイク処理すると、かなり不自然だ。そこでデザイナーと2人で、モザイクに色をつける注文を始めた。

「そこ、それは煉瓦色」

「もうちょっと暗く、どどめ色」

「ヘアの中にちらっとピンク色を見せましょう」

「このへんまではみだしているみたいに」

 仕事なのだが、どうにも妙な気分だった。

 数日後、またデザイナーと成増に行く。今度は印刷立会いだ。

 三菱重工製のA4倍判試作4色オフセット印刷機は、輪転機が全盛になる前に作られたものだ。多面付けでコストダウンを図ろうとした機械だが、現実には操作が難しく、色調整にも熟練の技が必要だったため、試作のみに終わったという印刷機である。

 今までは駅貼りポスターの用途でかろうじて生き延びてきたのだが、ぼくらの妙な企画のおかげで、急に日の目を浴びたのだという。

 最新の印刷機はコンピュータ制御なので、1人のオペレーターがコントロールするが、この機械はなんと8人で動かす。

 4色の各シリンダーに1人ずつ、給紙と排紙に1人ずつ、油をさして回る人が1人、そして全体の指揮を執る班長さんだ。

「まるで小さな軍艦ですね」

 と、ぼくが言ったら、班長さんは嬉しそうだった。

 テスト刷りを始めるが、色ムラがひどくて、とても見られたものじゃない。30分くらい調整して、かなりマシになったが、写真原稿からはほど遠い。すると班長さんは刷版の現場に電話をかけ、版を作り替えることを指示した。巨大なアルミ板のオフセット刷版が4枚、無駄になったのだ。

 そういう大がかりな作業を繰り返し、6時間後に満足できる刷り出しが得られた。ぼくは赤マジックで刷り出しに「OK」とサインして、印刷現場を後にした。

 翌日、折りの現場に立会いに行く。今度はぼくと生産管理部の人の2人だ。いかにも町工場然としたところに入っていくと、奥から見たことのあるおばさんが駆け寄ってきた。

「オサムちゃん、オサムちゃんね。まあ、立派になって」

 板橋に住んでいたとき、隣の路地の奥に住んでいた矢野さんだった。「立派」とは言えないかもしれない仕事なのだが、昔なじみにこんなところで出会うとは思わなかった。

 母と話がしたいという矢野さんに実家の電話番号を教え、折り機のところに向かう。

 断裁が済んだ等身大ポスターは、みごとだった。それを職人さんたちが熟練の手つきで折り機にセットしていく。その作業は鮮やかだったが、それを見ているうちに、

「折っていないポスターは、通販商品になるかも」

 とひらめいた。そこで、

「予備のポスターは、折らないで青人社に送ってください」

 と伝える。これが後日、ドル箱となる通販ビジネスにつながったのだ。

「雑誌界初の等身大ヌードポスター」を付録にした「おとこの遊び専科」は、完売した。そして毎号レギュラーの付録となり、この雑誌の黄金時代を迎える。苦労したが、達成感のほうがずっと大きかった。


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