【12】パニック障害と診断された私が飛行機に乗って海を渡り、海外で4年暮らしてみた話。

【12. 孤独との戦い】


真夏のオーストラリアに到着したけれど、その日は小雨の降る肌寒い日だった。
とりあえずで取った最安値のシドニー行きのチケット。
当然ながらシドニーに到着したものの、そこは右も左も分からない大都会だった。

NZの移民局に心をコテンパンにやられた私は、オーストラリアの入国でも非常に気を揉んだ。

張り切ってぶっちぎり先頭で挑んだ入国審査。
若い女性の審査員が表情のない顔で座っていた。
日本に帰国することなくNZから直接やってきた私には想像以上に質問が相次いだ。

パスポートとVISAを見せて。
滞在の目的は?

ワーキングホリデーです。

滞在中に働く予定がありますか?
どんな仕事をするつもりですか?

旅行資金の足しに、オーストラリアらしい仕事をしてみたいです。
ファームで働いたり、フルーツピッキングをしたり。

NZに居たのですね。
何をしていたのですか?

学生として英語を勉強して、現地でローカルの人たちと働くというそこでしか出来ない経験をしてきました。

そうですか。
あなたは十分に英語も話せますから、きっとすぐにいい仕事が見つかるでしょう!
求人サイトのアドレスを教えてあげるから、役立ててくださいね。

オーストラリアをエンジョイしてください!



そういって、無表情だった審査員は笑顔になり、航空券の裏にローカルが使う求人サイトのアドレスを書いてくれた。

入国管理局職員が率先して就職アドバイスしてくれるなんて、幸先がいいな!
…と思ったのも束の間だった。



NZの何倍も大きなオーストラリアのどこへ行ったらいいのかもわからない。
チケットが安かったというだけでやってきたここシドニーは、オーストラリア随一の大都会。

相変わらず人混みや公共バス、電車が苦手でいつも避けていた私だけれど、幸いNZで住んでいた町はとても小さかったので公共交通機関も殆どなく移動は常に徒歩だった。
願わくば、オーストラリアでもそんな小さな町に住みたい。
でも、オーストラリア情報で出てくるのはガイドブックに載っているような大きな町だけで、小さな町の情報など殆どなかった。

さらにNZから直接やってきた私は既に日本円など持っておらず、NZドルから豪ドルへの換金となった。
が、当時のレートでNZドルは$1 約65円。
豪ドルは約80円くらい?
断然豪ドルの方が通貨価値が高い。
約$2500しかなかった私のNZDは、有無を言わさず、たったの約$1800AUDとなってしまった。
(為替手数料、換金手数料など全て引かれた後の残金)
現在のレートで約16万円程度だろうか?

お金もない、友達もいない、外へ出るだけで鼓動が早くなって行くような大都会で、早速孤独な日々が始まった。
唯一の救いは、日常生活には全く支障を感じない程度の英会話が出来ることだけだった。

翌朝、とにかく差し当たり必要な銀行口座の開設と携帯電話の契約に向かった。
ただただお金がない私は、オーストラリア全土に支店があり、尚且つ口座維持費が年間無料の銀行口座を探さなければならない。
幸い時間だけは有り余っているので、シドニーのシティセンターにある主要銀行すべてを訪ね歩いた。

そしてここで第一発目の孤独の洗礼を受ける。

銀行口座の開設には、現地での住所が必要なのだ。
でも私は入国2日目で、更にシドニーに圧倒されて移動を考えていたため、安定した住所がない。
銀行カードが送られてくるまでの間、シドニーに留まることが出来るかと言われたが、オーストラリアイチ物価の高いシドニーに何週間も無職で滞在出来るほどのお金もなかった。

ここで一旦引き下がった私は、その他の銀行も訪ねて回ったけれど、結局口座維持費のかからない銀行はその銀行だけで、更にどの銀行でも結局は住所が必要だった。

再度、先の銀行へ戻り
どうしても口座を作りたいが、入国したてで住所がない!なんとかならないか?
と尋ねてみると、行員の答えは残酷だった。

誰かお友達は居ませんか?
間借りの住所でも構いませんよ!



私には住所をお借りできるような友達はたったの一人もこのオーストラリアにはいなかった。
でもこれ以上なけなしの全財産を持ち歩くような危険なマネはしたくなかったので、必死で頼み込んだ結果、NZの住所で口座を開設し、オーストラリア国内に安定した住所ができたら、最寄りの支店で住所変更をしたら、その住所にカードが送られてきて、それまでの間はカウンターでなら現金の引き下ろしができることになった。
不便ではあるけれど、僅かな全財産を持ち歩かなくても済むだけでも一安心だった。

一人ぼっちでは、銀行の開設すらスムーズにいかない世の中なのだ。
ともあれ無事に口座開設は成功し、携帯電話の方も問題無くゲットした。

あとは早くシドニーを出て、落ち着ける場所を探そう。
そして私はゴールドコーストへ飛ぶことにした。
NZのパブでカウンターのお姉さんと喋っていたら、ゴールドコーストを勧められたのが決め手だった。

暖かくて、海が近くて、カフェがたくさんあるから仕事もきっとすぐに見つかるだろうし、給料もゴールドコーストはなかなかいいわよ!

と、お姉さんゴリ押しのゴールドコーストに行ってみることにした。
実際のところ、ゴールドコーストの給料はそんなによくはなかったのだけれど、それはまた別の話。

さっそくチケットを購入して、ゴールドコーストへ飛び、ひとまず中心地のサーファーズパラダイスへ。

夏が嫌い、暑いの嫌い、汗かくの嫌い、マリンスポーツ一切やらない、そんな私がサーファーズパラダイスへ。
この街で一番浮いた存在なんじゃないかっていうくらい私には不似合いの街だった。
シドニー程じゃないにしても、やはりバスや電車が走る大きな街だった。

でも、海を見るのは好きだ。
お金がない私は、よくビーチに座り込んで何時間も海を眺めては、折れそうな心を自分で労った。
そうしているうちにオーストラリアに入国して3週間程が経った。

NZ滞在中に出来た友達の中でも、一番と言っていいほど仲良くなったお姉さん的存在のT子さんがオーストラリアに遊びに来た。
約1週間一緒にいられるということで、久々に心オドル日々だった。

ゴールドコーストで再会を果たし、現地在住のT子さんのお友達が車で隣街のブリスベンまで送ってくれた。
ゴールドコーストにも降参した私は、T子さんとの旅行がてら次の地を探すことにしたのだ。

T子さんが来てくれたので、毎日が楽しかった。
それまでは毎日孤独と貧乏に耐えながら、自分の居場所を模索し続けていた。
自覚はなかったけれど、体はしんどかったのかもしれない。

ブリスベンまで連れて行ってもらったその日は少し体調が悪かった。
ゴールドコーストからブリスベンは車で約2〜3時間だろうか??
高速道路に乗った瞬間だった。
猛烈な吐き気に襲われてしまった。
我慢できそうになかった。
出来るだけ急いでどこかに車を停めてくださいと頼んだ。

駆け込んだショッピングセンターのトイレで私は嘔吐してしまった。
何度も何度も戻してしまった。
薬もミントも何も効かなかった。
そしてその後は涙が止まらなかった。

決して悲しいとか、辛いなんて思ってはいなかったのに、溢れ出続ける涙。
私はきっと、話し相手さえなく一人ぼっちでいる寂しさやNZとオーストラリアのギャップ、いろんな感情に蓋をしていたのだ。
そして久しぶりに心許せる友人との日々に体が安心したような、そんな感情だった。
そして 物理的に 全て出し切ってしまったあとの私はとても気分が軽くなっていた。
ずっとしんどかったんだと思う、でもT子さんに会えて、安心したら今まで我慢していたものが爆発しちゃったみたい。
でも全部出したから大丈夫!笑
と言った私を、T子さんは心配しながらも笑い飛ばしてくれた。おかげで私はまた一つ強くなった。

例え私がこの病気の事で人に多少の迷惑をかけたとしても、相手は大して気にもしていないし、ましてやそれが自分の友人や、友人の友人なら、いつだって彼らは迷惑がらずに心配してくれたり、優しくしてくれる。
今までみんなそうだった。
私が気にしすぎているばかりだった。
嫌な顔をする人もいるかもしれない。
避けてゆく人もいるだろう。
それでもそんな人には、以降二度と会わないのだから気にする必要すらない。
心配してくれる人や、助けてくれる人に感謝すればいいのだと、思えるようになっていた。


そうしてたどり着いたブリスベン。
そこはまた、ゴールドコーストよりももっと大きな大都会で、私はここでもまたオーストラリアの洗礼を受けることになる。

オーストラリアでの生活は、NZを出る前に友人のNZ人Cが言っていた、

オーストラリアに行ったらきっと最初は今よりもっと孤独でもっと辛いだろう

という言葉まさにそのものだった。

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