大きな空腹と小さな夜景

 四六時中空腹だった時期があった。
 「空腹」というのは、経済的に貧しかったということもあるが、なにより精神的ななにかが枯渇していたという意味だ。

 そんな頃に、しりあった女性がいて、彼女は僕と同い年で、近くの女子大に通っていた。
 かわいい女性に「いい夜景をさがそう」なんてさそわれたらそりゃあだれだって舞い上がる。洗濯が終わるのも待たずに自転車をこいで、夜の町を疾走(SHISSOU)して、音速を超えたはやさで待ち合わせに向かった。ちょうどナンバーガールの全盛期だった。

 二十歳そこいらの僕は、誰しもがそうであるように苦悩するウェルテルちゃんだった。今にして思えば何を苦悩していたのかもよくわからないが、月が陰っては「ああ」と呻き、雨が降りだしては「うう」と唸った。バカみたいだけど実際そうだったのでバカだったんだと思う。池袋の狭いアパートの日当りの悪さも手伝って、こころはいつも曇っていた。
 彼女がそんな僕をどう見ていたのかは知らない。僕は彼女と会うたびにすかすかの苦悩を吐露し、安い酒に混ぜて飲んだ。僕からしたら彼女はすべて持っているように見えた。何不自由なく前向きに生活している彼女と、一切が不自由な自分の釣り合わなさが時にみじめにも思えたのは確かだ。


 それでも、彼女は夜な夜な良い夜景を探しに連れ出した。マンションの最上階や、高台の公園のジャングルジム。立入禁止の民家の屋上。毎日のようにいい見晴らしを探すのにつき合わされ、結局見つけたそこら一帯での一番の夜景は、小さな坂道の中腹だった。
「この場所、すげえ好きだわ」
「そうだね、全然有名じゃないのに」
 坂道からは文京区が見渡せる。地味で、やさしい夜景だった。空気が澄んでいて静かな場所だった。僕らはことある毎にそこへ足を運んだ。

 その後のストーリーは割愛するけれど、かいつまんで言うと、僕は彼女と会わなくなった。今後も二度と会わないかもしれないし、そんなもんなのかもしれないな、と思う。


 数年が経って、いつの間にか「空腹病」も去り、まがりなりにも社会に出た。
 元気の無い奴や迷ってる奴に相談を受ける機会も多くなって、その度に自分の経験から言葉をひねり出した。言葉で気が休まるならなによりだけど、それでどうにもならないときには、おいしいご飯や酒のある場所に誘う。憂鬱は気休めを毎日続けてるだけで去ることも多い。大概は時間の解決する問題で、解決するまでの期間を何を以って誤魔化していくかが大事なんだと思った。

 後輩からの電話を受けて、泣いていたので酒を飲みに行った。帰り道で、偶然その坂道にさしかかって、そこに寄ってみた。数年ぶりのことだった。ナンバーガールはもうあんまり聴かないようになっていた。
 住宅が何軒か潰されたらしい。以前よりも見晴らしが良くなっていた。曇っていたために闇はくすんでいたけれど地味で安い、やさしい夜景があいかわらず静かにきらきらしていた。
「未だに、この場所、すげえ好きだわ」と口にしてみた時に、ふと、何であの人は夜な夜な僕を引っ張りまわしていたのか、その理由が分かった気がした。



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