私のアメリカ移住 (3)
離婚後、3歳の息子の手を引き渡米。私の条件下で出来たアメリカ移住。その経緯を語る、連載実話。
その後、小さな町から、宮崎市に引っ越し、学校も変わったが、
いじめに合うことも無く、大勢の新しい友達に恵まれ、順調に楽しい毎日を過ごす。
高校卒業後、大学進学を母や親戚は望んだが、お金も掛かるし、これ以上、母親への負担を増やすのは気が引けて、就職する。
しかも勉強は面倒くさいし。
就職先は、全く希望の所では無かった…親戚一同が、将来の私の結婚の為にと、大きなお世話を焼いて、当時、県のお偉いさんの一部に入っていた、母親の叔父さんに頼み込んで、私の就職先を勝手に決めて来た!
一応、面接に行ったが、全くやる気なしの面接にも関わらず、他の素直な人達を落としてでも、コネで面接にやって来た私を合格にしてくれた…
なんと言う日本社会…
が、一応、仕事を頂いた以上、精一杯自分の出来る限り、働かせて頂いた。職場でも、みんなと仲良く、毎日笑いが絶えず、全く問題無く過ごしたが、
違う…何かが違う…
将来の結婚の為や、その相手を見つける為に、私は生きて居るのでは無い!!
と、その就職先を一年で辞めて、
先ずはブテイックのバイトにつく。
母親は、ものすごーく怒った!!
安定した職場から、バイトに成ったからだ…しかも、親に相談なしで…
私は、ポジティブで無鉄砲で無計画
気持ちの向くままに行動するのが大好き
それで、間違ったり、後悔したことは、生まれて一度も無い!
親にも相談しない。
結果だけ報告する。
大事な決断は、今まで全て、自分一人で決めて来た!
自慢だ!!?
その後、東京にも、一年ちょっと住んだ。
どんな所か、田舎者なので、感じてみたかった。
感想は、私には、ぜんぜん向いていない
東京で働かれてる人達は、本当に偉いと思った。
私は、あの、混雑した重圧感に、耐えられなかった…
のんびり、海の近くの、
サーファー天国 = 宮崎が向いている
地元に戻り、デパートの中のブランドもののブテイックで接客業につく。
その後、数年後知り合った人と結婚する。
彼氏は、常に居た。
いろんな人との恋愛は楽しかった。
でも、結婚と言う経験もしてみたく成った。
結婚適齢期だったのも有る。
そんな時に、現れた人が、私と同じ誕生日の人だった。
アホみたいに、運命を感じて、結婚!
若気の至りでは無い。場数は踏んで居たので、落ち着いてみようかなあ?と思ったのだ。
結婚はトントントンと進み、その後、男の子を出産。
結婚した相手は、料理屋の息子。
地元では、老舗で、彼のお婆さんの代から続いて居た。
お婆さんの代には、総理大臣もお見えに成った事が有ると、自慢話を聞いたことがある。
彼の両親は、彼が中学生の時に離婚している。父親の暴力が原因らしい。
彼は、母親の元で育った。父親を、非常に憎んでいた。
母親を毎晩の様に、酔っ払っては、暴力を振るって殴っていたからだ…
母親は、暴力を振るわれても、子供達の将来の為、離婚せずに我慢していたが、そのうち父親に愛人が出来て、その人と一緒になる為、離婚をさせられたらしい。
が、長男で有る彼は、親が離婚していても、父親の料理屋の後取りとして、私との結婚後に、家の家業を継ぐ為に戻って行った。
その後、彼との結婚は、私の息子が1歳半の時に終わりを迎えた。
理由は、
まあ、離婚は、
どちらが悪いでは無く、
どちらも悪い。
彼の父親へ対する、怒り等の愚痴を、毎日毎日聞かされ、
子供を産んだばかりで、ホルモンのバランスが、崩れに崩れていた私は、そういう事を聞くのに嫌気がさした。
器が小さく成ったのだ。
人のことをかまっていられない状態だった。
ケミストリーも、全く感じなかった。
あの、同じ誕生日のミラクルはどこに行ったのやら…
ふと、思った。
こういう環境下で、子供を育てて、息子は幸せと思うのかなあ…?
私は何をする為に、この世界にいるのか?
夢ってなんだったっけ?
息子が、1歳の時に別居、
1歳半の時に離婚が成立。
その後、シングルママと成り、仕事の毎日。
母子家庭だから、貧乏だ。
特に、実家が裕福とかでは無いから、とにかく働いた。
でも、辛いとか全く感じなかった!
離婚して、解放され、ウキウキだった!
そんなある日、私の故郷である町役場から、緊急の連絡が入る…
続く
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