コミュニケーション能力欠落社員が塾講師に転職→塾生より「初めて自信が持てるようになりました」との言葉をいただきました…のその後

高専入試を経て県立高校受験

高等専門学校入試不合格を聞いたとき、T君(仮名)は私が送迎を行っている車の中では気丈にふるまっていましたが、いざ教室(実家の一室)に入ると、一言も話さずずっと下を向いていました。

この状態ではさすがに勉強できないと判断し、中止を彼に進言したところ、「いや、やらせてください」と直訴してきました。


そこまで強く進言するので、私は第2志望である県立高校に確実に入学できるようモチベーションを高めることから始めました。どのようにしたのかというと…


①高専入試を通じ、どこに弱点があったのかを洗い出した

②高専より問題が簡単でかつ合格ラインが大幅に下がるので、今の力を維持できれば十分合格できる

 ということをもう一度説明した

③「落ち込むと事まで落ち込んだのだから後は上がるだけ」だから難しく考えないようにと

 アドバイスをした…ということです


その日は②についてじっくり説明したのち、①を洗い出して克服すべき点を見つけたところで家に

帰しました。


県立高校入試直前まで

翌日から、気分を改めて最後の受験勉強に入りました。送迎の車の中で「問題の難易度と合格ラインが大幅に下がるので今の力を十分維持できれば十分合格できる」「慢心、ダメ、絶対」の2点を常に言い聞かせていました。そして、彼も本来の明るさを取り戻し受験勉強に取り組むようになりました。


しかし、模擬試験を解かせているとき、非常に簡単な問題で計算ミスを乱発しているときがありました。彼を家に送った後、家族と食事をしているときにそのことを話すと母親はT君のことを非常に心配してくれましたが父親は「私立高校受かっているのだから落ちても大丈夫だろう」と言い出す始末…これにはさすがに私も参ってしまいました。


私の前では彼は明るく振舞っており、「大丈夫か?」と聞いても「無問題です」と答えていましたが、正直県立高校入試まで「高専に落ちた」ことを引きずっているのではないのか?と非常に不安になり、合格発表まであまりよく眠れませんでした。


試験終了~合格発表

3月11日にすべての日程を終え、試験が終了しました。そして本人に試験の結果を聞いたところ「大体できました」との回答が返ってきたので、私は「まあ大丈夫だろう」と思っていました。


中学校の卒業式の翌日正午、私の住んでいる県では県立高校の合格発表があります。その日私はNAVER(ネイバー)のまとめを更新し、一休みするため昼寝をしていました。そして午後1時に私の携帯電話にT君からの電話がありました。「先生、合格しました!」と。


それを聞いて私は「おめでとう。そしてお疲れ様」と答えました。ゆっくり話を聞こうと思い、教室(自宅の一室)に来てもらいました。その時の顔は高専不合格だったときとは大きく異なり、非常にニコニコしていました。自分が進みたかった道を自分の手でつかみ取ったことが非常に大きな自信になったようです。


これは後日談なのですが、彼の弟から「兄ちゃん入学式で入学生総代として挨拶する」と聞きました。これを聞いたとき「非常に好成績で合格したのだな」と確信しました。そして、春休みに彼にその話をすると「俺最上位で入学したそうです」といいました。これにはさすがに私もびっくりしました。


高校入学~その後


桜がちょうど満開になった4月8日に入学式を迎えるという最高の舞台で彼は入学生総代として挨拶を行いました。高校に入学すると同時に彼は剣道部に入部しました。そこは全国ランカーが大勢所属しているところなので、学校から帰ってくるのはいつも午後8時以降になってしまいました。そのため、私の塾には通うことができなくなり4月末日をもって無事卒業いたしました。


そのとき彼が私に言った言葉がこれです。

「俺、勉強が楽しくて楽しくてたまりません」と。これを聞いたとき、本当に彼は私の下で勉強をして工業に興味を持ったのだなと確信しました。


別れ際、将来何になる?と聞いたところ、

はっきりと私に「エンジニアになる」と述べました。


エンジニアになるには、大学・大学院へ進学しなければなりませんが、彼ならきっと乗り越えることができるでしょう。


次の進路を決めるまで残り3年…悔いの無いよう学問に部活に精を出して青春を謳歌してください。

そして自分が掲げた目標に向かって一歩ずつ着実に邁進してください。(完)

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