私のアメリカ移住 (5)

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離婚後、3歳の息子の手を引き渡米。私の条件下で出来たアメリカ移住。その経緯を語る。連載実話。



そう、ラスベガスの旅。

たった一泊の、駆け足で、Sのお父さんに会いに行った旅だったが、たいへん充実した旅に成った。

ベガスに着いたのが、午前10時頃、空港には迎えが来てくれていた。

幼馴染 S のお父さんと、その一番の付き人で、
日本人では有るが、その人が子供の時に家族の仕事の都合でアメリカに永住されたので、日本語も英語も完璧な人。

お父さんと、その一番の付き人は、直ぐに仕事に戻らなければならず、
その後、紹介された人の案内で、ラスベガス観光。

車で回ってくれて、色んな説明をしてくれた。

なんでも、昼間の観光案内をしてくれた人は、若い男性の日本人留学生で、お父さんのレストランでバイトをしていた。

ホテルマネージメントを勉強する為に、ラスベガスに留学していたので、カジノや、観光、ベガスの歴史に関して、とっても詳しかった。

夜は、お父さんのレストランで働く日本人従業員と、日本人では無いが、日本語が話せる従業員を20人以上集めて、私の旅行?歓迎会をしてもらった。

その時に、お父さんのレストランで鉄板焼きを担当するシェフの M さんと、特に、いろいろ話をさせて頂いた。

彼は、その当時、アメリカ生活11年位だったと思う。

元々、NYの方に永住目的で、仕事を探して日本からやって来た。

Mさんがアメリカに来た当時は、日本食がブームで、寿司職人を探していたレストランが多かった。

寿司が握れ無くても、料理が出来て、日本人だったら、就労ビザを出すのを条件に、雇ってくれた。

Mさんは、器用だったので、鉄板焼きの修行をし、就労ビザを出してもらったらしい。

その後、そのビザを永住権のグリーンカードに切り替え、州を渡り、ラスベガスで働いていた。

その Mさんに

「アメリカに住めばいいのに!」

と、いとも簡単に言われた。

「僕に出来たから、君も出来るよ!必要だったら、なんでもお手伝いするよ!」

なんていい人…

Mさんには、かいつまんでだが、私の現状も話した。

離婚して、息子を育てている。
母子家庭だ。
その他もろもろ。

それでも、アメリカ移住と言うのは、可能だろうか?
とも話した…

それでも、Mさんは、

「例えば、日本人以外の、メキシカンや、他のアジア系の国の人で、シングルマザーで、アメリカに渡って来た人達を、僕は結構知っているし、見て来ているよ。その人達に出来るんだから、君にも出来るよ!」


その後、Mさんと連絡先を交換して、翌日私は、友達の待つロスアンゼルスに戻った。

ロスでは、もちろんラスベガスの話に成る。

ラスベガスは華やかだった。
とっても楽しかった。
沢山のアメリカに住む日本人に出会った。
Mさんと言う人に会った。
アメリカ移住を応援してくれた。
Mさんは、こんな感じで、アメリカに住み始めたんだって。

こういう会話だ。

私の中では、もう、答えが出ていた。

アメリカに渡ろう!

息子を、アメリカで育てたい!

自分へのお土産


友達とのアメリカ旅行最終日。

ベニスビーチに行った。 

自分へのおみやげを買うつもりだ。

そこで、タトウー屋に入った。

目的は、一つ。

タトウーを入れる為。

それがおみやげ。

絶対に消えないおみやげ。

なぜ、タトウーを入れたかったのか?

二つ理由が有る。

離婚をして、子供と2人での独立のお祝い


もう一つは、

アメリカ移住への決意


もう、今から、18年程前の話。

その当時、日本人でタトウーを入れている
             
              "一般人女性 "

は、非常に少なかったと思われる。

タトウーと言っても、俗に言う刺青の様なデザインを入れたわけではない。

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