音楽に国境は存在しなかった。言葉がなくても語ることのできたカナダ5ヶ月留学。

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前話: 音楽との出逢い。それは人生の大きなターニングポイントの一つとなった。

こんにちは。長野県小谷村-OTARI-の古民家で宿を運営しているたつみです。

自分の過去を書きまとめる作業、5回目でございます。

誰もが持つ過去から紡がれる物語の断片を。

自己満足にもネットの世界へ解き放つ次第です。

お暇な方はどうぞお付き合いいただければこれ幸いにございます。



さーむおあてぃけん?

-2004年1月

さらば日本!!

当時高校二年生で17歳のぼくは上空何万mに浮かぶ鉄の塊の中で快適な空の旅を満喫しておりました。

両親とコーディネーターのお姉さんに見送られ半日くらいが過ぎた頃。

ぼくは両親から贈られたおニューの電子辞書を開いたり閉じたりしながら持て余す時間を長くない半生と、1年半くらい過ごした高校生活を振り返っておりました。

10時間程の空の旅は果てしなく長く感じる時間ではありますが、これから始まる異国の地での新生活のエピローグとしては最適な時間でもありました。


機内を世話する乗務員は日本人と外国人の半々で、中には男性の乗務員の方も交じっております。

機内の時点でなんだか国際的。

席に設置された文字媒体の冊子なんかも至る所にアルファベットがちりばめられております。


「きっと英語なんてのはぼくからすれば得意な範囲だろう。」

留学を決めた当時から、ぼくは根拠のない自信をかいがぶっておりました。

コミュニケーションや友人関係に不自由をおぼえたことのないキャラであったその頃の自分。

山村留学という過酷な幼少期を過ごしてきたぼくには、外国だって持ち前のテンションで乗り切れる!!そんな非論理的で楽観的な考えでおりました。

若き自分はなんとも純粋無垢であっぱれな17歳だったのです。

(幼少期に過ごした山村留学については、過去に書いた「古民家ゲストハウスの創り方」をご参照ください)


そんなあっぱれ男子の根拠の無い自信はまだ留学が始まってもいない上空の機内で、一瞬に粉砕され天空の塵と化しました。

それはいまでも忘れない機内食の配膳での一幕です。

ワゴンを押して進む長身の白人男性の添乗員がなにやら小声で客とぶつぶつとやり取りをしながら機内食を手渡しておりました。

ぼくの右前方に背の高い青い目の添乗員がぼくを見下ろしながらつぶやきます。


外国人添乗員
さーむおあてぃけん?
たつみかずき(17歳)
。。。??
わっと??
外国人添乗員
あー。
(ちょっと大きな声で)
さーむおあてぃけん?!
たつみかずき(17歳)
えーー。なになに。えーーー?!!
さーむ??


まるで巨人のように見下ろし威圧するかのような青い目の添乗員に、ぼくはクエッションマークいっぱいの「さーむ??」を投げかけました。

すると彼は首を傾げながらぼくの席のテーブルに機内食を置いてそそくさの次の客に配膳をしていきました。

なにが起こったのはわからず、呆然とアルミホイルが被せられた四角い皿の中身を覗くと。。


そこには鮭のムニエルが美味しそうに湯気を立てておりました。

隣のおじ様の皿の上には、ハーブがふりかけられた鳥のオーブン焼きが湯気を立てておりました。

機内で「さーむおあてぃけん?」を理解できずにいたのは、きっとぼくだけであったでしょう。

根拠の無い自信を天空の塵へとあっけなく明け渡してしまったぼくは、赤く焼けたサーモンを見つめながら。

これから始まる5ヶ月間のカナダ留学への不安の重力に押しつぶされそうになっている。

ぼくのカナダ留学は、こんな感じになんともさい先悪くスタートするのでした。



とぅないと・ぱーりー♪

ぼくが目指すはカナダアルバータ州のエドモンという、事前知識皆無の町でありました。

エドモントンはカナダ南西の玄関口バンクーバーより、飛行機でロッキー山脈を東に越えた1時間程の町。

この町がぼくの留学先となった理由は、バンクーバーやトロントの大都会と違い圧倒的に日本人留学生が少ない!!というものでした。


コーディネーターのお姉さん
語学を身につける為には日本人が多く住む町に行ってはだめよ



との、コーディネーターのお姉さんの教えによるもので。

特に土地柄や事前知識を知っておきたくない!というぼくの意向で、ほぼ無作為に選ばれた町がこのエドモントンだったのです。


自信喪失の中バンクーバーに降り立ったぼくは、巨大なスタイリッシュ館溢れる空港ターミナルの中で独り彷徨い、視界に入る全ての光景が異国の人々で埋め尽くされ。

「ここは日本ではない!!」という当たり前の事実を再確認したのでした。

「I'm in Canada!!」

当時日本に当たり前には無かったスタバでコーヒーを飲む外国人を眺めながら、ぼくは心の中で叫びました。

異国の地で独りぼっちな自分。

なんだか不思議でたまらなく、ここが現実の中であるのかすら定かではありませんでした。

とは言え、現実的にぼくは国際線から国内線へ乗り継ぎを果たさなくてはなりません。

コーディネーターのお姉さんが丁寧に書き記してくれた留学先までたどり着く為のメモを何度も何度も凝視し、国内線を目指したのです。


日本からぼくを運んだものと比べるとあからさまに小降りな飛行機は、暗闇が支配する大地への滑走路に降り立ちました。

飛行機の車輪が機体を減速させながら、流れるアナウンスは全てが外国語で。

ぼくが理解できたフレーズは「気温、マイナス43度」だけでした。

え?なにそれ??そんな寒いの?!!!

幼少期を過ごしてた小谷村の真冬の最低気温がマイナス10度前後。

冷凍庫も同じくらいでしょう。

雪国育ちのぼくはさほど寒さに驚くことはありませんが、まさかのまさかのマイナス40度台。

驚愕の温度です。

寒さとプラス、窓の外は滑走路に転々と光る灯り以外は確認できず、ぼくはどんなところに来てしまったのだろう??

と、不安しか持ち合わせていない精神状態でありました。


小さな空港のターミナルに出ると、そこには初老の夫婦に見える二人が「Kazuki」と書かれた画用紙を持ち微笑んでおりました。

1日の半分以上を移動に費やし、開口をしたのは必死に絞り出した「さーむ??」とパスポートを出した時だけでだったぼくは。

異国に降り立つ不安も合わせ、この初老の二人の微笑みに心底安心したのでした。

「はい。あいむかずき!!」

満面の笑みを惜しげも無くご披露したぼくは自己紹介も早々に車に案内され、極寒と暗闇が支配する大地へと、この二人に誘われるがまま走り出したのです。


ぼくの留学生活がここから始まる!!

そんな期待に満ち溢れた新生活のスタートは、機内同様極寒の大地に注ぐ一滴の雫と化したのでした。。


ホストママであるジュリーが走らせる車はひたすら暗闇の大地を進んでいきます。

時折現れるオレンジの光を照らす外灯と看板で、この道はフリーウェイだということがわかりました。

ジュリーの隣に座る男性はマイク。この時点では彼の存在は謎でしかありませんでした。

「確か、ジュリーは離婚し息子さんと二人暮らしだったはず。」

エージェントのお姉さんからホストファミリーにについての話は簡単にだけ聞かされており、一度だけホストママのジュリーとはメールでのやりとりをしたことがあったのです。


ネイティブカナディアンの初老の二人から発せられるネイティブイングリッシュは、ぼくの脳みそを何回転もし処理できない解読不能な単語と文法はすぐさま脳内から泡のように蒸発していきました。

「こんなにもぼくは英語が理解できなかったのか。。」

「さーむおあてぃけん?」の時点から広がった黒雲は乗車5分の時点でいくつもの稲妻を轟かせておりました。

舐めてた。海外。完全に舐めてた。。

時、既に遅し。引き返そうにも引き返すにはそれなりの語学力が必要であるのです。

5ヶ月間のカナダ留学は開始してものの5分。

ぼくは自分自身の脳みそのスペックを生まれて初めて呪いました。

とは言え、ただただ落ち込んでいても仕方ない。

ぼくはどうにかどん底に沈みかけているテンションを保ち、明るく「ぱーどぅん??」を繰り返したのでした。


車内での英語論争が繰り広げること約10分。

余りにもぼくが言葉を理解できないことを理解した初老の二人は黙り込んでしまいました。

この10分にぼくが理解できた言葉は


①ようこそカナダへ。〜自己紹介〜よろしくね。

②これから家に帰るよ

③今夜はパーティーがあるの♪


の3つでした。

ぼくはこれから家に帰り歓迎のもてなしをしてもらう。それがジェリーの言う「パーティー」なのだと思い込みました。

長旅の疲れはあるものの、一日でも早くホストファミリーと仲良くなりたい!

その想い一心で、新居でのパーティーが楽しみでなりませんでした。


車は30分程でホストファミリーのお家へ到着。

極寒マイナス40度に再び足を踏み入れ、呼吸をすると。肺の中まで凍ったような感覚でした。

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