音楽に国境は存在しなかった。言葉がなくても語ることのできたカナダ5ヶ月留学。
雪はあまり多くなく、家の周りに15㎝程が積もるのみでした。
家の扉を開き中に入ると、それはまさに海外のお家!!
キッチンとリビングが繋がった広い空間は白を基調とした清潔感漂い明るく輝き、食卓の上に豪華な食事が並び大柄なホストファミリーの息子さんが出迎えてくれて!!
。。。
て。。。??
あれ?おかしいな?
案内されるまま入った家の中は暗く、ダイニングテーブルにぼくを歓迎する豪華な料理が並ぶことも無く。。
ぼくを歓迎して止まないはずのホストママは、ハテナが脳内を占拠しているぼくの速度を無視しながら足早にリビング、バスルーム、キッチンを紹介していきます。
そう。次々と。
大きなオーブンを開け、「らざにあ」とジェリーは眼鏡越しにぼくにつぶやきました。
それから階段を下り、ぼくがこれから生活をする部屋を案内しました。
リビングに戻るとジェリーとマイクは玄関からまさに出て行こうとしいるところ体制で
「とぅないと・ぱーりー♪しーーやっ!!」
と、出て行きました。
ぼくは暗いリビングに立ち尽くし、いままでの過去に飛び交った英文を少しずつ整理していきました。
。。。
あ!!!
パーティーって、ぼくのやないんや!!!
衝撃的な事実を推測の上で理解し、ぼくは大変な勘違いをしていたことに気がつきました。
そして、到着の夜にホストファミリーがぼくを独り家に取り残し自分たちのパーティーに出掛けていってしまうという大胆不敵な行動に唖然としたことを、いまでも鮮明におぼえています。
暖かいのはオーブンの中のラザニアだけ。
これから始まる異国の地での留学生活は、不安の暗闇の中で、静かにスタートしたのです。
ハイスクールライフ in カナダ
カナダでの新生活が始まり1週間。
初めの1日2日はジェリーに銀行口座開設や身の回りの買出しの世話をしてもらい、すぐさま高校での生活が始まりました。
高校では新学期が始まったところで、どうやらカナダの高校は日本の大学の様に自分で専攻する授業を選択できるようです。
1日90分の授業が4コマ、それの4コマの授業が1学期間毎日繰り返されます。
そこら辺の諸々の手続きをよく理解できないままぼくが専攻した授業は
1限目理科、2限目家庭科、3限目ESL(留学生用の英語カリキュラム)、4限目音楽。
なんともバラエティーに富み勉学そっちのけなハイスクールライフとなるカリキュラム!
とは言え、英語だらけの授業は全てが苦痛となること必須でありました。
ぼくが通うジャスパー・プレイス・ハイスクール、通称JPHSは全生徒数2,000人のマンモス校で、その半分が留学生です。
カナダは移民の国と称される国で、大変国際的なお国柄。
アメリカと比べると人種差別が深刻ではなく、銃による殺人もほとんど起こらない国なんだとか。
比較的外国人を受け入れる気質で、且つ安全な国とされています。
JPHSには様々な人種の生徒がいて、それはそれは国際的でありました。
中国、韓国、インド、インドネシア、イラン、アフガン、メキシコ、モンゴル、ロシア、ヨーロピアンetc..
2,000人のマンモス校の全校生徒の中で日本人はわずかに5名。
「日本人」というだけで仲良くなれてしまう人数でありました。
1週間の内に日本人の先輩留学生全員と挨拶を交わしたものの、ぼく以外の日本人留学生は既に数年在学しており、受講するカリキュラム等は全く別。
学校で顔を合わせることはほとんどありませんでした。
言葉が通じることでの安心感を頼りにしてはいけない!!
そう言い聞かせ始まったハイスクールラライフ。
にしもて。
マジで言葉がわからんの!!!
1限目の理科では、素敵なロシア人のイケメンプレイボーイ君と仲良くなり。
2限目の家庭科では話さなくとも共同で作業ができ。
3限目のESLでは皆英語がわからん人々だけになるので問題無く。
ぼくの中で大変ネックとなったのが
4限目の音楽の時間でした。
「音楽」=「MUSIC CLASS」
どんなカリキュラムなのか全くわからず専攻したこの授業。
音楽を専攻した理由はぼくの留学中にする!!と決めていた目標の一つ
【カナダでバンドを組む】を実行する為のものでした。
どこまで愚か者だったのか留学前のたつみかずき!!
お前は音楽どころか英語ですらひっかかっておるのだぞ!!
4限目の音楽の授業での最大の難点。
それは、この授業だけネイティブカナディアンしかいない!!
ということでした。
カナダ人はわかり易いのです。
興味があれば食いついて、面白ければ絡んでくる。
とにかく、おもしろけばOKといった純粋な価値観を持った人々が多いのです。
イコール
「興味も無く面白くもなければ素無視するのが当たり前!!」
なかなか日本人では考え難い人間性をもっておるカナダ人。
クラスに異国人の転校生が来た日なんかは、きっと誰しもがちやほやして熱心に日本語を教える生徒が現れることでしょう。
こんな人任せな日本人なりの価値観を、カナダ人は誰一人持ち合わせていなかったのです。
しかも音楽の授業内容というのが
吹奏楽とマーチングとビックバンドジャズを足して割った様なバンド形態での授業!!
どれも楽譜必須の音楽形態!!
楽譜を読めずに音楽を始めたぼくは、その当時ドラムを独学で始めて1年ちょっとが過ぎたひょろっひょろのドラマー入門者であったのです!!
(バンドを始めた経緯は、過去に書いた「音楽との出逢い。それは人生の大きなターニングポイントの一つとなった。」をご参照ください。)
しかもこの授業、何故だかいつになっても講師が現れず。
生徒は皆、自分自身が担当する楽器を手にしては思い思いに楽器演奏に勤しむ始末。
「あのー。せめて授業始めてくれませんかねーー??」
とのぼくの心奥底でつぶやかれる言葉に耳を傾ける者は誰もおりません。
音楽室の隅っこでなにをする訳でもなくただただ座り適当に音が鳴っている空間に佇む17歳の日本人の男の子。
それはもう思い返すと哀れで仕方ありません。
クラスの皆ー!!ぼくの姿、みえてますかーーー???
まるでぼくは透明人間にでもなったような感覚でありました。
この頃にぼくは初めて知りました。
「独りで感じる孤独より、誰かといて感じる孤独の方がよりつらい。」
普段当たり前に話す、【言葉】というものが、こんなにもぶ厚い壁になるのだと痛感したのです。
やっぱりアジア人とカナダ人って、違うよねー。
留学生活が始まり1ヶ月。
ぼくは頻繁にアジア人グループとつるむ様になりました。
そのグループは中国・台湾人が中心で、韓国人、日本人が集まる20人程の一団でありました。
ストーリーをお読みいただき、ありがとうございます。ご覧いただいているサイト「STORYS.JP」は、誰もが自分らしいストーリーを歩めるきっかけ作りを目指しています。もし今のあなたが人生でうまくいかないことがあれば、STORYS.JP編集部に相談してみませんか? 次のバナーから人生相談を無料でお申し込みいただけます。
あなたの親御さんの人生を雑誌にしませんか?
著者のたつみ かずきさんにメッセージを送る
著者の方だけが読めます