音楽に国境は存在しなかった。言葉がなくても語ることのできたカナダ5ヶ月留学。
休日に集まり過ごすグループでもあります。
家までの帰り道は、学校の最寄りのバス停からショッピングモール行きのバスに乗り、モールのバスターミナルで乗り換えます。
ウエストエドモントンモールという名前のショッピングモールは北米最大のモールで、800の店と2万台
の駐車場がある巨大な施設で、このモールが毎夕の通学路となりました。
特にモール中央にある中華スーパーのフードコートは中国の食べ物や日本の寿司が一貫から販売されていたので、日本を懐かしむのに最もリーズナブルな場所であったのです。
放課後はよく留学先輩で英語が堪能なあき子さんという姉のような日本人女性と共にしておりました。
不慣れなカナダでの生活を姉のような彼女に頼り切っていたことは言うまでもありません。
(あの時のご恩は一生は忘れませんm(__)m)
そのあきこさんに連れられ、週末はよくアジア人グループで遊びにいくことがお決まりとなっておりました。
留学をするアジア人は日本の音楽やドラマ、アニメが好きな人が多く。
カラオケに行っては日本の曲で盛り上がっていたことをよくおぼえております。
カナダは18歳になれば成人で、酒や煙草、ポルノ雑誌が解禁となります。
逆に未成年に対する規制が日本よりも厳しく、飲食店等では必ず身分証の提示が必要となります。
その為週末は大抵カラオケに行くか、誰かの家で朝まで吞む!というのがほとんでありました。
留学時代には特にアジア人の友人に世話になりっぱなしであったのです。
ある時、中国人の誰かが言いました。
「アジア人は優しい奴が多くていいな!それに比べてカナダ人はなー。
やっぱりアジア人とカナダ人って、違うよねー。」
その言葉がぼくには疑問でなりませんでした。
このときこそこうやってアジア人で一緒になってつるんでいるけど、普段ぼくたち日本人は日本人以外のアジア人をどう見ているのだろうか??
京都の自身が通う高校では「やっぱり大阪と京都って違うよねー。」と、誰かが言っていたことをおぼえております。
もしかしたら宇宙人が現れたその日には、人と人は一致団結して「やっぱり地球人と宇宙人は違うよねー。」つぶやく日が来るのでしょうか?!
人と人、人種と人種の違いなんて実際は特に無く。
ただ自分が属する場所や範囲によって、人は人との共通点を見出し。
逆に敵対するべき欠点を探してしまう生き物なのかもしれない。
ぼくはそんなことを考える様になりました。
結局は【人】
ぼくはもっともっと、この留学でたくさんの人を知り。
もっともっと深く繋がりたい!
そんなことを思ったのです。
韓国人の友人が酔った勢いでぼくに言った
「俺はお前のことが好きだ。
でも、俺はどんなに努力しても日本人のことを心底好きになることはできない。」
という言葉や。
ESLの授業で
「あなたが信じるものはなんですか?」という質問に
「アラー」と答えたアフガニスタン人の女性の言葉が。
この3つの言葉が、留学中に特にぼくの中で考えることとなった言葉でありました。
音楽に国境は存在しなかった。
留学開始から2ヶ月が経ち、ぼくを悩ませ続けていた音楽の授業に、遂に講師が現れました。
どうやら新学期早々体調を崩し入院していたのだそうです。
この頃のぼくは、言葉に対するストレスが極限に達しており。
朝シャワーを浴びていた時にホストママから浴びせられた
「かずき!!シャワーは一日15分までよ!!」との怒号がきっかけて張りつめていた色々なものが溢れる寸前となっておりました。
人生で味わったことの無い孤独感。
ビジネスライクなホストファミリー。
いまとなってはどうにでも改善できたであろう小さなことが、当時は大変つらいものでありました。
基本前のめりでマイペースを貫き通しどの環境でも上手に溶け込むことのできる、はずの自分。
そんな自分が言葉という壁の前に成す術無く。
ぼくはシャワーを浴びながら「嗚呼。この水と共にぼくも流れてしまいたい。」
そんなことを考える日々となっておりました。
そんな時に現れた音楽の先生、ミスターポスト。
彼は登場するなり短い自己紹介と生徒の出席を足場やに取り始めました。
ぼくの名前を呼ぶ時に、彼はぼくを見てこう言いました。
あなたはもしかして、にほんのかたですか??
(片言の日本語で)
え、はい。日本人です。
クラスの一同が聞き取ることのできなかった言葉を話すぼくらを凝視します。
彼は続けて言いました。
よろしく、おねがいします。
それで、あなたは、なんのがっき、やりますか?
(片言の日本語で)
あ。
一応。ドラムです。
彼はそれから英語で昔日本の幼稚園で働いていたことがあることを話し。
ぼくが日本人であることと、ドラムをやることを話してくれました。
「へー。あいつ、日本人なんだ。」誰かがつぶやきました。
(カナダ人からすれば、アジア人の人種の違いを顔で判断することはできません。)
その日から、ぼくの留学生活は少しずつ変わっていきました。
ある日、3限目の授業が早く終ったのでぼくは音楽の教室に向かいました。
長らく叩いていなかったドラムを叩く為です。
誰もいない音楽室には、ギターとベースのアンプ、ドラムだけが設置されています。
白いドラムセット。
ぼくは、誰もいない音楽室にドラムの音を響かせました。
高校に入学して以来ぼくの生活は音楽が中心にありました。
どれだけ再生したかわからないMDと、どれだけ口ずさんだかかわからない音楽と。
高校1年生の初めにあった、人生のターニングポイントとなった出逢いがあってぼくは音楽と関わって生きている。
ここカナダでも、ぼくは音楽とこうやって関わることができている。
そんなことを考えておりました。
しばらくぼくがドラムを叩いていると、教室に一人見慣れた大柄なカナダ人のクラスメイトが入ってきました。
彼は音楽クラスではベースを弾いています。
彼とは、と言うより。ほとんどのクラスメイトと話したことのないぼくは、緊張し演奏を辞めようとしました。
その時、ぼくは彼と目が合い、彼は「keep on keep on」と優しくつぶやいたのです。
肩にかけていたベースを下ろし、アンプの電源を入れ、彼はぼくのリズムに合わせベースを鳴らし始めました。
音楽室にドラムとベースの低音が響きます。
音と音が重なる瞬間。
ぼくは、初めて先輩に誘われて見に行った練習の時に受けた衝撃を思い出しました。
爆音が教室のガラスを震わせ、ぼくの鼓膜から入った音が心を揺らした瞬間の感動という感覚。
それはもっと穏やかで優しいもので、それでいて、あのときに勝る【感動】が、そこにはあったのです。
もう一度目が合い、演奏が終ると。
彼は親指を立て「good」と、ぼくに微笑みかけました。
「ぼくはカイロ。かずき?だったね。良い演奏だった。」
それはまさしく。
音楽が言葉の分厚い壁を。いとも簡単に打ち崩した瞬間でした。
そもそも壁なんてものは無く、ぼくが勝手に積み上げていたものだったのかも知れません。
言葉が違っても、楽譜が読めなくても。
ぼくはそのとき確かに、音楽で語り合うことができたのです。
それからカイロはぼくをギターやドラムのメンバーに紹介しました。
「こいつ、ドラムなかなか叩ける奴なんだ。」
ぼくはそれから、通じない言葉で話しをするようになりました。
著者のたつみ かずきさんに人生相談を申込む
著者のたつみ かずきさんにメッセージを送る
著者の方だけが読めます