爪を噛む

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カナルの癖は爪を噛むことだ。

30代後半に差し掛かる彼には既に4歳頃から爪をかんでいた記憶がある。

どうしてもやめられないこの癖だが、今や愛おしいとさえ思っている。そして今日も彼は幾度と無く爪を噛み、そしてルーチンワークをこなす。

ネット通販の倉庫で働き出して3年目。それまでは何となくいろんなバイトをしながら、毎日缶ビール一つ飲むことで気を紛らわしながら過ごしていた。つまらないと思いつつテレビをつける。好きでもなかったプロ野球も今ではセリーグの選手とパ・リーグの有名なピッチャーなら去年の成績が空で言えるぐらいになっていた。大学時代から続けていた映画製作はいつしか仲間が去り、カメラは押入れの奥にしまわれたままになっていた。

繰り返し見ていたベンダースの映画も、ビデオデッキが壊れてからと言うもののDVDを借りに行くこともなく、いつしかストーリーは愚か題名さえ思いつかない日々を送っていた。そのくせ少ない友人との会話の中での口癖は「また映画撮りたいなー。」だった。周りの同級生は既に家庭を持ち大企業でマネージャー職をこなしつつ、自分の好きな趣味の時間を上手に作りやっている。ひがんでいるつもりはないが、結局ひがんでいるんだなと自分を認めつつ、結局何もしない毎日。それもルーチン化していた。

夏はどうせまたやってくる。またビールと野球の季節だ。今年は神宮にでも行ってタイガースを応援してみようかなどと考えつつ梅雨の季節になった。

表参道の喫茶店でキナコは悩んでいた。いや、悩んでいない時なんてないって言えばないし、そんなの悩みではないって言われればその通りだが。適当に手を伸ばした、彼女よりちょっと上の年齢層向け女性誌を眺めながら心は別にあった。今夜の合コンは行くべきか否か。女子の支払いはないって言うし一流企業のイケメン揃いだって言うし。いやそこじゃない。私は女子か?今年で29歳。”それなり”に恋もしてきた。草食系男子が多いなんて感じていない。いやむしろ肉食系ばかりだろう。ただ私に縁が無かっただけだ。草食系男子なんて負け犬女子が勝手に作った言葉だし、これを認めると私も負け犬だ。きっと親が付けてくれたこの素敵なキナコという名前が、少しだけデメリットだっただけだ。名前が最初に話題にはなる。それはメリットだ。いや、笑いだけで終わる。やはりデメリットか。まぁいいや。喫茶店にいるって時点で「私はカフェにはいかないのよ」と言いたいわけではない。こっちのほうが落ち着くだけだ。落ち着きたいんだ。落ち着きたいのに合コン行くか?合コン落ち着かない。でも誘われて断るのもなんだし、無料だし。そんなこんなで昼休みも終わり、支払いに向かう。いつものメンバー、と言っても話したことも無ければ興味もないおじさん達を横目に。はて、どうするかね、今夜。

職場は骨董通りを少し入ったところにある雑居ビルの二階。一応名ばかりではあるがデザイナーだ。デザインの勉強なんてしたことがない。たまたま父のWindows98のパソコンに海賊版のイラレとフォトショップが入っていた。小学生時代から、おもちゃといえばこれ!と言いたいところだが、別に普通にドールハウスなどで遊んだり好きな男の子をいじめたりしていた。暑中見舞いと年賀状の季節だけ、何故かパソコンの前に座って作業をしていた。未だになんであんなソフトが入っていたのかわからないが、まぁ一応の使い方は覚えた。

中学からはソフトボール部でファーストの補欠として3年間過ごし、高校ではマックのバイトとかしながら、ちょっとだけ髪を染めてみたりスカートを短くしてみたりしながら、ぼやっと「あー、この街でてー」と思いながら過ごした。街は関東近郊のベッドタウンで、特に田舎ではなく特に都会でもなかった。東京に出てきて思ったのは「あー、東京も特に都会なのは一部ね?」ってことだったが。とりあえず何とか大学に滑り込み両親の「もう家出て行けば?」という良心から一人暮らしをさせてもらい、”それなり”な恋をしつつ、web業界でバイトをしながら何となく就職したのが前の職場だ。前職が今で言うブラック企業だったので1回の転職を試み、やはりブラック企業に就職。「ブラックか否かは自分の判断ね!」をモットーに、時に睨まれつつも合コンなどで早く帰るなど少しだけ勇気を出しながら生きている。

今回の合コン、しょうがないけどやっぱり行く!と心に決めて、午後からの作業に集中することにした。

「えっと、そこの資料コピー、10部コピーお願いします」

亨は、社内ではお局さんとして女子には煙たがられている涼子先輩にも難なくコピーを頼めるぐらい、誰からも好かれる、非の打ち所がないイケメンだ。「了解よ!りょうくん」本名は「トオル」だが涼子は自分だけの呼び名としてそう呼んでいる。もちろん彼は心のなかで「うっせーババア」とちゃんと思っているが、そんな素振りは露ほども見せずかるく会釈を返した。もちろん目を併せて、ちょっと笑顔で。特に大事でもない会議を、ちょっとだけ気の利いた意見を言い、最後は機嫌よく上司の意見を言わせて「じゃ、よろしく」で終わらせることが彼のデキる男たる所以だ。もちろん実行する際は、真逆のことをやって成果を上げるのが常套手段だ。自席にもどる際に涼子先輩と目が合いそうになるがこの時は見えていて見えないふりをする。この加減の絶妙さが彼の特技である。今夜の合コンは気が進まないが、親友の頼みを断れなかった。なにが一流企業で固めただよ。俺だけじゃないかという気持ちがないわけではなかったが、笑えるシチュエーションになりそうだしまぁ良いか?ぐらいの気持ちでいた。

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