ドイツの市民マラソンで、間違って数千人の拍手喝采を浴びた次女と僕

あー何だか申請するのもややこしくて面倒くさいし・・・と思って参加したドイツはミュンヘンの市民マラソン大会。


仕事の関係で来独して早4年。おそらく今年中に帰国を命じられるのは目に見えていたので、最後に何か記念になることをと参加を決めた春の市民マラソン大会。前の年は長男が参加したけれど思ったよりも盛り上がったので、子供たちの友達も皆家族で参加するし“今年は家族で参加したい!”と家内の提案で始まり参加を決めた。


2km, 5km, 10km, 20kmとチョイスがあったが、流石に10kmと20kmはちょっときついし、5kmを走るまだ小学生の長男を放っておくわけにもいかず、友達とそのお母さんと一緒に2kmを走る長女は心配ないが、2kmを走る知的障害を抱える幼稚園生の次女をまさか一人で走らせるわけにもいかず、“下の子(三女)もいるから私は走れないでしょ”という嫁の一言で、結局両方走ることになってしまった。普段殆ど運動していないのに、合計7kmか・・・ でもニコニコしてなぜか楽しみにしている次女の顔を見て、こりゃやらないわけにはいかんなあと決意。


数年前次女が水中出産で生まれてすぐに泳いでいる姿を見た時は、世界中どこにでもいる普通の可愛い赤ちゃんだと思っていた。少し肌が浅黒い感じもしたし体重も平均よりは重かったけれど、見た目に障害があるようには見えなかったし、とにかく無事に生まれきてくれてありがとうという感謝と安堵感、あとは愛おしい気持ちしかなかった。


彼女が1歳半の時に、遺伝学を専門とする医者からこんなことを言われた。


“知的発達障害との直接の因果関係があるかは断言できませんが、染色体に異常が見られる為、場合によってはあと数年しか生ききられないかもしれません。少なくとも数か月毎に経過観察が必要です”。何気なく聞いていたのだが、帰りの車はどっぷりと悲壮感にさいなまれていた。人生にはかなさやせつなさが常に付きまとうのはわかっていたつもりだが、自分や家族のことになるとどう直面したらいいのか途方に暮れてしまう。





でも、彼女はすぐに死ぬようなことはなく、父親の転職や転勤で目まぐるしく変わる環境に文句もいわず、ただひたすら天真爛漫に生きてきた。関西にも住んだしドイツにも住んだが、思い出せばドイツの地元の幼稚園に入れたのはよくなかった。一日中迎えにいくまでうんちをくっつけている時もあって、家内は心配で特に最初の頃はその幼稚園に朝送りに来て、かなりの頻度でそのまま居続けてスタッフでもないのに園児達の昼食の料理の手伝いまでしていた。(やらせる方もやらせる方だが)





幼稚園の先生も障害者であることを説明していたから先生達はやさしく接してくれたが、立ち上げたばかりの幼稚園で、はじまって1か月後にはジュリアロバーツ似のインド系の園長先生が理由ははっきりわからないが速攻クビ。先生グループのキャピキャピしたリーダーのベロニカは超至近距離で大げさなほど愛想よく話す女の子だったが、生徒達がいうこと聞かないと途端に別人になってブチ切れまくっていた。特にいつも次女の手をとって遊んでくれた一番元気のいいアフリカ出身の黒人の女の子がかなりお転婆で、その子に対して金切り声を発して怒りながら文字通り幼稚園の中を追いかけまわしていた。ドイツ語ももちろんさっぱりわからず、そんな環境に毎日いた次女は一日の終わりには両目が離れて(状況把握能力の限界を超えるようなことが周りで多く起きたり、疲れすぎたりするととこうなる)限界をとうに越えていた。


ドイツでの暮らしはもちろん楽しいこともあったし悪いことばかりではなかったが、彼女にとっては毎日の生活という意味では言葉もまったく通じずめちゃくちゃ可愛そうだった。大人でもコミュニケーションが取れない環境に置かれるだけで死ぬほど苦しいのに。


そんな中、滞在の最後の年に参加を決めたマラソン大会。

マラソンがどういうものか、説明してもあまり理解できなかったかもしれないが、とにかく与えられた環境で一生懸命頑張る子なのだ。


当日の朝は曇り空だったが、午後の予定は晴れ。まずは息子の5kmにつきあったが、1kmですでに足がもつれてついていけなくなってあっという間に最後尾に。一緒に走った隣の日本人のお父さんは軽やかに走っていたが、流石に2kmを過ぎたあたりからお隣のお父さんとその息子、うちの息子も足が異常に重くなり、スローダウン。坂など殆どないはずの町なのに、わざわざそういう道を選んだのではないかと思うほど登り道が急増。自分の体に鉛か何かがぶらさがっているのではないかと思うほどだった。





それでも皆、意地で何とか5km完走を達成。日頃の毒素を汗と共に出したような感触はあったが、心地よい疲れというよりはくたくたでボロボロという感じだった。


その後、しばらくするとすぐに2kmコースの出発時間があっという間に来てしまった。


“これから、また2km走るのか・・・。もしかしてずっとおんぶか!?”と一瞬思ったが、また休みながらゆっくりいけばそれでいいと思って楽観視しながらスタートの広場へ到着。娘はそこへ来てようやくなんかちょっとばかり運動していないといけないという現実を認識でしたようで、


“ねえ、今からどこいくの?”


すかさず、前日と当日に数回説明したことを再度ゆっくり説明し、


“すぐそこのゴールまでいくんだよ。皆で健康の為に走って運動するんだよ”


とスタート地点の50m横のゴール地点を指さしてまずは安心させる。下手に“違う遠い道を通って2km走るんだよ”とか、混乱を引き起こす説明をすれば彼女の心に不安を呼び起こすだけなので、そこは難しくしない。


間もなく一斉にスタート。子供とそれについているお父さんのグループが多く込み合ったスタート時点であっという間に後ろの方に追いやられる。最初は喧噪にまぎれて楽しそうに走る娘。


でも、200m程走ったら即、


“つかれたーー、だっこー!” 


そもそも家族で記念にと決めたこの企画自体にかなりの無理があったのではないかと思ったが、そこは


“ゆっくりでも大丈夫だから、とりあえず歩こうか”


と自分を律して話しかける。歩いたり、走ったりを何度も何度も繰り返してようやく700mm時点。歩いている方が長いから最後尾どこではなく、完全に二人だけになった。ここまで来ると完全に開き直るからゆっくり歩いて何とか進む。


しばらくはコースの森や建物を見て楽しみながら歩いていたが、10分くらい経って1km地点にたどり着くとまた後ろから途方もないスピードで走ってくるグループが。“何で?”と一瞬思ったが、特にそれ以上考えることもなく思わず娘を抱きかかえてよけるが、あっという間に大量のランナー達に囲まれてしまった。歩いていると端に寄っても邪魔だし全く走らないわけでもいかない雰囲気になって、また小走りに。ここまで来ると、たとえ50mでも1kmぐらいに感じる。


そんなこんなで永遠とも思える長い時間が過ぎてやっとゴールがあと500~600m先に見えてきた。あー、やっと終着地点だーと思ったら、


“ぱぱ、うんちーー!!”


ヨーロッパのどこの町でもそうだが、独立した公衆トイレたるものどこの町にも殆ど存在しない。ホテルや空港、ショッピングモールやレストランにはもちろんあるが、プールやカフェ、あるいは何らかの商業施設が隣接していない限り公園でもあまり見たことがない。だから限界になるとカフェへ駆け込むしかないのだ。でもどうしても見つからないので、コースを逆戻りして探す。見つかったと思ったら今日は休み。そのうちに逆走してどんどん走行距離を意志とは無関係に伸ばしていく。それでも、あきらめずに探す。


“もれちゃうーーー!!”


と娘が叫んだその瞬間、あったー!! 前に一度いったことのある商店街のカフェが開いている。


“まだ大丈夫ね!”


と願うようにいい聞かせて小走りにカフェへ走る。中に入ると、使用頻度が高いからいつの間にか流暢になってしまった唯一のドイツ語のセリフを急いで発する。


“トイレどこですか?!”


思わず大きくなってしまった声にびっくりした店員のお姉さんも思わず振り向くように上を指す。急いで階段を上ってようやくトイレにたどり着いてドアを開けたら、紙がない!!でも、まずは急いで用を足さないと、とスパッツを下してほっとするように用を足している娘を見ながら、 あー、間に合ってよかったー。本当にこれだけで10kgぐらい体重が減ったような気がした。間に合わなかった場合(充分にありうる)を想定するだけで少しナーバスになっていたからだ。





娘が用を足し終わって、すかさず隣のトイレから紙をとって娘のおしりを拭くとすかさず今度は、


“のど、かわいたー”


ここで無理をさせてはいけないと万が一の為にとポケットに入れていた10ユーロ札を取り出して、レモネードを買って飲ませる。公式マラソンではなく、全市民を巻き込んだシティランだから、途中に水を置いたテーブルは殆どないし普通は最後まで走ってゴールに待つ大量の飲み物(ミュンヘンだから浴びるほどのビールがメインではあるが)と食料を目標に頑張るしかない。


すかさずコースに戻ると、別世界が待っていた。ゴールが近いのもあったのかもしれないが、沿道にいる市民の笑顔と励ます声がさっきよりもよく聞こえるし風も爽やかで気持ちいい。娘もその声に背中を押されるように何とか小走りに走り出す。それでも20mぐらい走ると、 


“だっこーー!”


その声に負けずに、何とかごまかして走らせようとするが、ぺたんと石畳の上に座り込んでしまった。


ゴールまであと500m。何度も立たせて走らせるが、数秒でまた座り込む。


何度かそれを繰り返したあと、“もうおんぶしかないなあ”と意を決して娘を背中に抱きかかえて、最後の力を振り絞って走る。突然のトイレ休憩を挟んだから汗は乾いていたはずだが、すぐにまた新しい汗が大量に流れてくる。他にオプションのなくなった私は、スピードを調節しながら何とか背中におぶって走る、そして歩く。30kg近い娘が100kgぐらいに感じる。


そうして、無理やり体力の限界に挑み走り続けてゴールまであと100m。そこには信じられない光景が待っていた。





数千人はいると思われる市民が、経験したことのないMAXの拍手と大歓声を一斉に私達に向かってあげていたのだ。これは頑張るしかないと懸命に走る。これは不思議だ。

これほど大きな歓声をもらうと人は力以上の何かをもらう気がする。娘にとってもおそらく私にとって人生で最初で最後の経験だ。すごい。頑張ってよかった。最高だ!!


それはたった十数秒の出来事だったが、ゴールに倒れるようにたどり着いた私たちは安堵とくたくたに疲れた体を横たえて満足感に浸っていた。ゴールから30~40メートル離れた石畳の上でしばらく横たわって数分後、嫁が末娘と近くに来たので、ゆっくりと立ち上がってゴールの方を向くと先ほどの観衆が見えた。歓声がまだ聞こえてくる。


そうして遠くをながめるようにしばらく見つめていると、あることに気がついた。“あれ?いっぱいゴールしているのに歓声がそれほどでもない。なんでかなあ”。次々とゴールして歩いている人達を横目に嫁に聞いてみる。


“さっきゴールするときすごい歓声で大喝采だったんだけど、なんでかなあ?”


すると嫁が


“あ、そうなの!? おんぶしてたからじゃない? ところで今ゴールしてるこの人達一体何km??” 


えっ、何kmって?? 近くにいた同じ日本人学校のお母さま方にも嫁が聞いている。


”あっ、たぶん10kmか20kmのグループの人ぐらいしかもう残っていないと思うわよ。“


と何人かの人が返答。すると嫁がすかさず気づいた。


“あーーーっ、そうか。たぶん、みんな勘違いしたんだ。”


そう。あれは完全な誤解をしていた人達が大多数だった。2kmではありえない史上最高の遅さでゴールしたものだから、ずっと遅くにスタートした10kmの最後尾、20kmの中間集団と一緒になって、


”あれはすごい。ずっとおんぶして10kmか20kmも走ったんだ。親子揃ってよく頑張ったね”


という拍手だったのだ。


もはや笑うしかなかったが、娘はそんな事は関係なく疲れと共に満面の笑顔を浮かべていた。そう。彼女にとって理由なんてどうでもいいのだ。誤解だろうが勘違いだろうが、その五感にいつまでも残るあの歓声の記憶は一生に一度の経験して心のどこかに焼き付いたであろうから。


私達は、すべての疲れを吹き飛ばす至福の時に浸っていた。そして、彼女におそらく一生に一度の素敵な一日を与えてくれた神様に ”ありがとう” と静かに心の中でつぶやいた。



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