ベッドとバスルームの間



一人暮らしをしている母にとっては、ベッドとバスルームの間が思いのほか遠い。


母は今年満79歳。身長145センチ、体重47キロ。

「嫁と姑は同じ家に住んだらあかん。必ずごたごたして、何にもええことはあらへん」

そう言って父が亡くなってからも一人暮らしを続けている。


もとより足腰が強く、歩くことをいとわない。老眼鏡をかけるのをいやがり、

「メガネ、かけたらどうや」

僕が言っても聞かない。

目をしょぼしょぼさせながら、包丁を握り、料理をつくる。

「よう見えん目で包丁使うと、指、切ってしまうで」

何度言っても母は老眼鏡をかけない。そして、しゃかしゃかと動き回る。


昨年の春、母は家をリフォームした。

「外壁はきれいにしとかなあかん。みっともない」

塗装工事をし、

「生垣を伐らなあかん。伸びてうっとうしい」

家まわりの木々を自分で剪定したが納得いかず、木は職人に頼み、生垣は門まわりと合わせてスチールのフェンスに一新した。

「床が痛んできたし、風呂場は水モレしとるみたいやで」

フローリングを補修し、水回りの床下を修繕して、洗濯機も買い替えた。火をつかうと危ないからとガスコンロをIHにした。

「あんたが植えた芝生、中途半端やで、芝生をやめて砕石入れることにしたで。この頃はな、泥棒よけにもなる、音の鳴るええ砕石があるんや」

母はどうだと言わんばかりに饒舌になる。

三ヶ月の間に内外装とも新築の家のようになった。リフォームした家で、寝て、起きて、食事をつくる。


その秋、母は不整脈が悪化した。ずいぶん前から医者に指摘されていたが、にわかに進行した。心臓が止まるのはないかという恐怖感に母はさいなまれるようになった。

ある日には思いがけず母から電話があった。

「あんた、今日、泊まりに来てくれへんか?夜中に万一のことがあるとイヤやで」

しかし、僕が答える間もなく、

「やっぱりええ。来んでもええ」


母は左胸にペースメーカーを埋め込んだ。三時間の手術だった。

「身辺整理せなあかん」

それ以来、母は口癖のように言うようになった。


一人暮らしをしている母にとって、ベッドとバスルームの間が思いのほか遠くなった。家をリフォームしても、この生活の距離は縮まらない。寝ても一人、起きても一人、食事をしても一人だからだ。きっと。


僕は母に電話をした。

「今日、泊まりにいってもええか?」

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