東大法卒32歳が何も考えずに起業して1年経った結果

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前話: 総選挙でのAKBぱるるの言葉が32歳脱サラ元エリートの僕に刺さった理由





何も考えずに仕事を辞めました。


仕事を辞めるとき、普通だったらなんらかの準備をしておくもの。

私の場合、「“いま”の自分を変えたい」想いが強かった。

だから、何も“先のこと”を考えず、仕事を辞めました。


安定した職をなげうち、

自分の足で立ってみようと決意してからの1年間を

振り返りたいと思います。


●なんでもできると思っていた1ヶ月目

「こんなこといいな できたらいいな」

スタートは、まるでドラえもん状態でした。

ウェブとは全く関係ない政治関連の仕事でしたが、

私はアイディアをたくさん持っているし、

ウェブを使えば実現できると思っていたんです。


この時期は、下北沢のカフェで


わたくし
こんなことしたら面白くね?
ともだち
いや、こういうのがいいんじゃないすか?

みたいな話を、暇さえあればしていました。


会社を辞めたばかりなので、暇しかありませんでしたけど(笑)。


●軸を定めてプランを煮詰めた2〜3ヶ月目

アイディアを思いつく度、事業計画書的なものを

作成していったある日、

辛口で有名な某社長にプランを見てもらう機会を貰いました。


わたくし
いやーこんないっぱいプランあるんすよ!
某社長
そもそもね、3つもプランもってる時点でおかしいよ。

高い鼻を一言でへし折ってもらえました。

つまりは、

アイディアをたくさん持っている=集中すべき場所をわかっていない。

おまけに私には実力も資本もない。

一つのことに絞れなければ、遣り切ることはできない、

そうアドバイスをくれたのだと思います。


早速、自分の「一本」を決めるため、自分が本当にやりたいと思うことを

まとめてみました。


私がやりたいのは、教科書をみんなで読める環境をつくること。


本をベースにした学習では孤立をしてしまう。


「この部分が分からない」という”つまずき”を、

本に紐づけたグループで共有し、解決する。


そんなウェブ上のプラットフォームをつくることが、

私の「一本」となりました。


「一本」が決まったとき、絵空事を語り合っていた以前と違い、

「いまやるべきこと」も見えてきました。


それは、仲間集めと外部への働きかけです。


●人を頼ったが、自分が固まってないと意味がないと気付いた4〜5ヶ月目

働きかけが実り、協力してくれたエンジニアのおかげで、

アイディアがカタチになっていきます。

VCなどへのプレゼンテーションも重ねる日々。


議論も進む、プロダクト開発も進む。

が、しかし、

プロダクトのプロトタイプができあがったときに

立ちすくんでしまったのです。

わたくし
本の著作権どうしようか。
エンジニア
って最初から分かってたでしょ?
わたくし
世の中の役に立つ仕組みです。
VC周りの方
面白いとは思うけど、収益をあげられる気がしないな


出版社をまわって著作権関係の問題を切り開いたり、

お金をもうける仕組みを整えたり…

自信が持てず、次の扉をこじあけるだけのガッツがでませんでした。

このアイディアが白紙に戻ってからはもうふらふら。


結局、自分も含めて「"誰が"、何をやりたいのか」わからなくなって、

身が入らなくなってしまい、私自身からお願いして、チームは解散することになります。


●一人でやってみた5〜6ヶ月目

ふらふらしましたが、私には"意地"が残っていました。


アイディアはそのままに一人でできるところまでやってみようと、

起業してまったくのゼロから始めたプログラミングの勉強を再開しました。


この間、"Ruby on Rails"で、サイト開発に没頭することに。


・分からないことがあれば検索してなんとかやってみる

・それでもだめならコワーキングスペースにいるエンジニアの方に聞く、

・深夜にStackoverflow(QAサイト)に質問して朝返事がきたら試す

こんなことを1ヶ月半くらい繰り返していました。


そして、クリスマスの12月25日に

ウェブサービス"Study Memo"をローンチ!


このときはまるで、

「一発逆転」への淡い期待をのせ、

ドラクエの呪文「パルプンテ」を唱えたかのようでした。










「しかし何も起こらなかった!」





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