MY STORY~1人のSexual Minorityの人生~

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後日、ある授業の始業時間。教科担当の教員が教室に入ってきた瞬間、またしてもあの日と同じ感覚に陥った。今度は自分の気持ちがハッキリと分かった。いわゆる、「一目惚れ」だった。

暫くの間、私の頭の中は混乱していた。「同性愛」や「性同一性障害」という言葉や当事者の存在をまだ知らなかった10年前の私には、そのときの自分の自分の感情を理解することは容易ではなかった。

同性に対して恋愛感情を抱いてしまった私は、彼らとの接し方がわからなくて、次第に学校に行きづらくなってしまい、引きこもりがちになっていった。

そんな私のことを家族はとても心配していた。

だが、家族にも、誰にも打ち明けることの出来ない秘密を抱えた私は、この事実を墓場まで持っていく覚悟で、多感な時期にただ1人で耐え続けるしかなかった。

我が家には、両親の教育方針で、子供が高校生になったら海外へ行かせるというイベントがあった。

既に姉2人は海外に行っていて、残りは私だけだった。

本当は私も早く行きたかったが、散々な高校生活を送っていたので、とてもじゃいけど「行きたい」とは口に出来ないと思っていた矢先、母が私に1つの通帳を見せてくれた。「好きな所に行っておいで」と。

こんな私のために海外に行くための費用を用意してくれていたなんて、と思って涙が溢れてきた。

そして私は、2001年、高校2年の夏に米国へ1カ月の短期留学の旅に出た。

米国ではボストンに3週間、ワシントンDCにいる両親の知人宅に1週間滞在した。

現地でゲイだと思われる方と知り合いになった。まるで鏡越しに自分を見ているかのような気分で、初めて私は、自分が同性愛者なのだと感じた。

ほんの少し自分が何者なのかを知る旅から帰還した私だったが、心のどこかでまだ何か引っかかるものがあった。

自分が何者なのかが何となくわかったところで、まだ学校生活の完全復帰の勇気はなく、それからも行ったり行かなかったりの日々が続いた。

しかし今回は今までの引きこもりとは少し違っていた。

当時我が家には最先端だったインターネットが導入されていたため、フル活用し、気持ちのモヤモヤの正体を突き止めようと必死だった。

そこで辿り着いた答えが、「性同一性障害」という言葉だった。

体と心の性が一致しない。

この一言に、私が苦しみ続けていた答えがあった。

この瞬間から、私の本当の人生が始まったと言っても過言ではない。

姿無き敵の正体はわかったが、倒す術はない。

選択肢は2つ。生きるか死ぬか。

GIDである現実を直視し、受け入れて生きて行くか、現実と時代に絶望し、自分に負けてこの世から逃げるか。

私は、私自身と、GIDがまだ認知されていないこの社会と戦っていかなければならない。

出席日数の不足や試験の赤点などで、当初は退学も考えたが、学歴のないマイノリティでは、自分の生きる道を切り開けないと思い、卒業することにした。

高校時代は、私の不登校が原因で、家族の間でも衝突することが多くなっていた。

私は何とか高校を卒業したその当日、1人実家を出た。

当時、2つ上の姉が通学していた大学が遠方だったため、実家と大学との中間にアパートを借りようとしていて、そこを借りることになった。

フリーターとしての新たな生活を始めた。

高校の3年間で私が得たものは、高卒の証とGIDという現実。

居心地の悪さから逃げて始めた1人暮らしも、そう長くは続かなかった。

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