【バカヤン】もし元とび職の不良が世界の名門大学に入学したら・・・こうなった。カルフォルニア大学バークレー校、通称UCバークレーでの「ぼくのやったこと」

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前話: 「ぼくのやったこと」もし元とび職の不良が海外名門大学に入学したら。

初めて警察に捕まったのは13歳の時だった。

神奈川県川崎市の宮前警察署に連行され、やたら長い調書をとった。「朝起きたところから捕まるまでの過程をすべて話せ」そう言われた。「マジで言ってんのこのクソ警察!?」そう思ったのはよく覚えている。警察がワープロで書いた調書を印刷し渡してきた。「調書のタイトル書け!」そう言われても何書けばいいんだろうと思っていたら。「ぼくのやったこと」と書けと指示され書類を提出。両親が迎えにきてその日は終わった。


なぜ愚れたのか?

小学生の時までは真面目な子供だったがあまり友達ができなかった。家に帰っても両親の仲が微妙で家にも外にも自分の居場所がなかった。


母は「良い高校行っていい大学に行っていい就職してね!」と言うタイプの人。父は売れない外資系生命保険の営業マン。

売上がない月は会社から借りて生活していたそうで自分が電気をつけっぱなしにして外出すると母にものすごく怒られた。赤い数字で埋め尽くされている父親の通帳を見せつけられ借金とは何か知った。


中学に入るとやんちゃな行動をするヤツに一目置くという不思議な価値観が現れ不良な行為をすることで友達ができた。子供の頃の寂しさを中学で知り合う友達で補いそこが自分の居場所になっていった。


どんなレベルの不良だったのか?

ワルだったと言っても中途半端な中坊で最も目立つヤンキーの横でイキがる程度のガキだった。


川崎市の公立中学に進学したのだが、各学年に不良グループいて周辺地域ではちょっとしたワル名門校だった。彼らの共通点は「家庭に問題がある」ことと「武勇伝を持つことに美徳を感じる」ことだった。


その為、学校内で目立つために見えるところでわざとタバコをすったり髪を染めたり校則を違反する。そういう事をするルールを破る度胸があるヤツ達が集まり社会から阻害されるがその代わり内輪の絆が深まり友達ができる。


一度グループか確立すると排他的になり隣の中学を潰しに行ったり強い中学と連合を組んで横浜の中学を潰しにケンカ遠征に行ったりしていた。

勉強はまったくせずに朝まで遊んで昼過ぎに学校で友達と待ち合わせして遊びに行くような生活をしていたら中学を卒業するときにはこんな感じに仕上がっていた。



高校を卒業する

中学で既に愚れていたので勉強にはまったく興味なかった。その為川崎市で偏差値30レベルの日本国内最下層の高校へ進学した。


毎年川崎市の色んな中学から不良学生が入学してくるので至る所にタバコの吸殻が落ちていた。異常な勢いでゲラゲラ笑ってる2年や3年の先輩はマリファナでHighになっていた。


女子は魂が抜けたような顔で登校し、一日中廊下でくっちゃべりながら化粧をしアイロンで髪をクルクルにして完璧な状態で下校しどこかへ遊びに行く。


幸い自分の中学出身のド不良の先輩がその高校をシメていたので他の不良の先輩といい距離感を保ってある程度平和に高校生活を過ごすことができた。


そんな環境でも自分が高校を中退せず卒業できたのはたまたま地元の友人達が「高校くらいは卒業したいよね〜」と話していたのでなんとなく卒業だけはしておこうと思い卒業した。


とび職になる

高校卒業間際に担任に「お前進路どうするんだ?」と聞かれた。未定だと答えると「はやく決めろ」と言われたのでとび職をやっている先輩にその場で電話し「そろそろ高校卒業するんで仕事ありますか?」と聞いたら「明日から来い」と言われその場で就職が決まった。


将来の事なんてなんにも考えてなかった。ただ僕の周りには職人が多く王道な選択肢だった。とび職の中でも歩合制でキツい代わりに儲かる会社に入ったので月35万〜40万程度稼いだ


19歳のくそガキには十分な額の給料でほしい物を買い、やりたいことをし、ある程度の目先の欲求はすぐに満たされた。それによって仕事自体の面白さを追求するようになってくる。



知らない世界を知り人生をやり直すことを決める

仕事を始めて3ヶ月にも満たない頃に父親が真剣な顔で話しかけてきた。営業成績が良くなり会社で表彰されるから式に来てほしいとのことだった。まだ若干反抗期が抜けきれてなかったので「いかねー」みたいなことを言った。しかし、その後もしつこく誘ってきた。


表彰式の場所がなぜかハワイだった。入社3ヶ月にも満たないぺーぺーが休みを取るのは申し訳ないと思っていたので本気で断ったがそれでも来てくれと言われたので1泊3日でハワイに行くことにした。


生まれて初めてのハワイ。英語も喋れるわけもなく言葉が通じないことにイライラしていた。「やっぱりこんなとこ来るんじゃなかった!」そうタクシーで思った。


ホテルに到着し早速表彰式会場に向かった。


会場は不思議な雰囲気だった。ハワイだからか会場にいる人の殆どが幸せそうに見えた。この式は外資系生命保険会社のライフプランナーと呼ばれる営業マンに対する表彰式。その会社では毎年成績上位者が海外旅行セットの表彰式に招かれていた。


会場で初めて会う親父の友人と適当な会話をしていた。「いったいトップセールスはいくらくらい貰ってるんすか?」そうきくと「今年1位になった彼は2億くらいかな?」そう言われた。


「2億??」


「オレの仕事は1平方メートル足場を掛けて250円だぞ!」その時初めて同じ時間働くのにここまで差があるのかと知った。しかも彼らは仕事に対して強い情熱とやり甲斐をもっていた。



親父の背中

そんなスゲー連中の中で表彰される父親を見て 初めて親父の努力を知った。なんでも成績が上がらなければ数年で辞めていく外資系生保営業の世界で16年間売れないままセールスを続けクビ寸前の所で成果を出したようだった。


その売れない時代の半分は自分が最も愚れていた時期と重なっていた。仕事がうまくいかないうえに息子はちょこちょこ警察に捕まったり外や学校で問題を起こす。その度に妻とケンカし家庭内別居状態にまで陥る。母は精神がまいってしまい精神病院に診察にいく程だったそうだ。


その上、娘は大学に入学したのでなんとしても学費を稼がねばならなず経済的にも精神的にも苦労していた。そして16年目に初めて表彰されることになったので親父からすれば大きな達成でとてつもなく嬉しかったんだと思う。だからあれだけ表彰式に来いと自分に言ってきたのだとわかった。


嬉し涙をこらえる親父。




父親を目指す

表彰式に出席した経験が自分の仕事に対するマインドセットを変えた「せっかく働くなら沢山稼ぎたいしやり甲斐を感じる仕事がしたい」そう初めて思った。それだけでなく親父の背中を見たことで自分も親父のいる営業の世界で一流のセールスになりたいと志すようになった。そして一流の仕事をするには知性が必要だということもその時知った



勉強を始める

20歳で初めて勉強が必要だとわかった。でも何をどうやればいいのかまったくわからずなんとなく株の本を数冊買ってみた。


まったく意味がわからず途中でやめた。そもそも本一冊読みきったことすらなかった。「まず新聞読め」とアドバイスをもらったので実家にある日経新聞を読もうとした。


その時気づいた。「これなんて読むんだろう?:促す」「??」なんて意味だ??「為替??」は?なにそれ?


自分は新聞も読めないレベルの語彙力だった。


直ぐに本屋に駆け込み辞書を買うがそもそも読めないので辞書がひけない「辞書クソだな!」そう思った。幸いにも電子辞書に部首索引があったので直ぐに購入しなんとかそれで乗り切った。


その時に買った辞典。新品同様な状態で実家に眠っていた。




専門学校に通う

いずれにせよ独学で勉強するのは無理だと思い情報処理の専門学校に通い資格をとって就職しようと考えた。


授業は2進数から始まるのだが累乗の意味もわからない分数の通分のしかたも覚えてなかった。そもそも四則演算はなぜ()が重要なのかもわからず演算の順番がめちゃくちゃで回答がいつも変化した。教育のプロの教えのおかげで情報処理の国家資格を取得しIT系企業の法人営業として就職することができた。



営業マンになる

2008年についに営業マンになった。


しかし入社した年の10月頃にはリーマン・ショックが起き100年に一度と言われる金融危機が発生した。幸い自分は新卒で入社していたこともあってクビになる恐れはなかったが能力のない中堅社員はどんどん淘汰されていく現実を見た。


「オレ全然イケてないな、デキる人ってなにが違うんだ??」この頃から自分とデキる同期・先輩・上司を比較し始めた。そこでわかった違いは

• 経験値

• 学歴

「あの人らが持ってる勉強していく力が欲しい」そう思うようになり「もしかしたら大学受験とか大学の授業で培ってる臭いな!」そう思うようになり大学進学を考えはじめた。



大学を目指す

学ぶ能力がなければどんなに良い経験をしても得られるものが少なくなってしまう。まして景気の影響もあり社内の多くの案件が凍結・キャンセルになっていたので経験する機会すら少なくなっていた。

世間は最低3年は働かないと経歴とは認められないと聞いていたので3年くらいは働こうと思っていたが経験値が貯まらない環境に3年もの時間を注ぐことに意味を感じなかったので思い切って退職して大学に行くことにした。


自費でなんとか行ける大学の候補として放送大学を選び情報収集していた。ネットでその情報を見ているところを親父に見られ親父が

「お前今更大学行こうとしてるのか?」


と言われた。



「・・おう」


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