埠頭の風とぶどう色の空(1)


埠頭の夜はぶどう色だった。海風の冷気が桟橋を吹き抜け、夜景は虹色に冴えた。湾岸を一気に加速すると単気筒バイクの古いエンジンがうるさく唸った。タンデムシートのミキが僕の背中にしがみつく。フルフェイスのヘルメットの中から叫び、

「きのうね、スキヤキつくって食べたんだよ!」

札幌生まれ。色白、小柄。19歳。表参道の美容院でシャンプーボーイをしている兄を頼って上京し、僕と同じ日比谷のエスニックレストランでアルバイトをしていた。

「豚肉のスキヤキだったから、ちょっと悔しかったけどね」

80年代、DCブランドが全盛の頃、ミキは服飾の専門学校で自作した黒いハーフコート、僕はすり切れた革ジャンパーとジーンズ。デザイナーになりたいミキとライター志望の僕は湾岸のぶどう色の空を走り続けた。

「いつかね、最高の牛肉をね、食べてやるぞって思ったの!」

    

      *   *   *

    

カーリーヘヤー、カラスのような黒装束、それにショートホープ。それがミキの第一印象だった。レストランにはDCブランドの女子大生が日替わりでアルバイトに来ていたが、ミキは異色だった。垢抜けず、きつい煙草を背伸びして吸っているような、すれっからしな印象があった。

「ああいう子が意外に純なんだよ」

”ノンちゃん”と呼ばれていたマネージャーが言った。


南方の民族衣装に着替え、派手めに化粧をして店前に立ち、客を招く。通称 "立ちんぼう"。何もできない新人のウエイトレスが最初に覚える仕事だった。あるとき、立ちんぼうをしていたミキが目を真っ赤にして駆け込んできた。マネージャーに小声で何かを訴えていたが、

「そんな顔じゃ店前に立てないよ。さっさと化粧をなおしなさい」

マネージャーに叱られている。酔っ払いにからかわれ胸を触られたらしい。マネージャーが言っていたミキの純な一面を僕は垣間見たような気がした。


美容師を目指す兄のモデルとなってミキはためらいなく髪型を変えた。カーリーヘヤーはストレートパーマになり、ポニーテールとなり、半年が過ぎると、突然ショートボブになった。

「いい女になったね」

マネージャーが褒め、僕もそう思うと言うと、ミキはエヘヘと笑ってとても照れくさそうに赤面した。


レストランは人手が足りなかった。マネージャーはコックが足りなければ料理をつくり、ウエイトレスがいなければ皿洗いの僕にも民族衣装を着せてホールに立たせた。秋になると女子大生たちは就職活動が忙しいと次第に離れていったが、ミキは週三日のアルバイトを四日にし、五日にしていった。

「マネージャー、私も毎日働くよ。もう立ちんぼうじゃないからね」


マネージャーとミキと僕の三人だけになった。休みなく働いたが、日増しに垢抜けていくミキと一緒にいる時間は無性に楽しかった。

「わたしたち、親子みたいだね」

ミキが言い、

「あんたたち、仲良しでいいね」

マネージャーは僕たちに言った。


けれども、三か月を過ぎるとミキと僕は急にぶつかるようになった。僕が疲れた顔を見せると、

「そんな顔してちゃダメだよ。夢が逃げていくから」

ミキは食ってかかった。

「今日は具合悪いの」

ミキが弱音を吐くと僕は聞きたくないと冷たくあたった。

一言も口をきかない日もあった。口をきかなくなると三日も四日も話をしないピリピリしたときが続く。それがたまらなくいやだった。話しかける言葉をずっと探しても見つからず、なぜもっとやさしくできないのかと僕は自分にいらだった。


ある日の閉店後、マネージャーはミキが先に帰ったのを見届けると、僕を呼び止めて客席に座らせた。

「休みなしで疲れない?ごめんね」

マネージャーが苦笑する。

「大丈夫ですよ。若いですからね」

「そう、若いっていいね」

マネージャーはそれまでに見たことがないほど憔悴した顔をしていた。やがて、自分が若かった頃の話をぽつりぽつりと語り始めた。

「秋田から東京に出てきたのよ。最初は普通の事務員だった。だけど、何かちっぽけな気がして、もっとできるんじゃないかって思ったの。だから、事務員をやめた。レストランで働くようになってからは、自分の店をもつことが夢になった。一生懸命だった」

「マミィの夢は叶いましたよね」

僕が言うと、

「もうひとつの夢は、ほんとうに好きな人と結婚して、子供を産んで、育てて。だけど、うまくいかなかった。結婚できたし、今もわたしに好き勝手させてくれるいい亭主だけど、子供はできなかったな。もし子供がいたら、今のあなたたちと同じ年頃だよ」

コップの水を一息に飲み干し、

「こんな話、いやだね」

重い腰をゆっくりと上げる。

「あのね、あなたのこと、ミキがわたしに何て言っているか知ってる?」

じっと僕を見る。

「泣けるくらいやさしいって。泣けるくらいやさしくて、ほんとうに寂しくなったときには、絶対すぐに来てくれる人だと思ってるんだって」

マネージャーはキリリと僕を直視して、

「ミキが好きなんだろう。好きなら好きだとはっきりと言ってやってよ。ミキは待ってるよ」


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