親と同じ職業に就くということ

 まだ都内の某私立大学病院眼科に勤めていた頃、当時の教授と旧知の仲であるアメリカ人医師が来日し、講演を行ったときのことである。私たち教室員は講演を聴きに行き、そのあとの懇親会までお伴することになった。その懇親会でのこと、その場にいた私を含む教室員にアメリカ人医師が質問したいことがあると切り出した。その質問とは、「皆さんの親は眼科医ですか?」その場にいて質問を受けた数名の答は全員 ‘YES' であった。

 彼がそのような質問をするのは、おそらくそれまでに多くの日本人医師と出会って、親が同じ職業であることが多いと感じていたからだろう。確かに私の同級生に医師の子弟は圧倒的に多い。私立大学の医学部では、どこでも同じ傾向だと推測する。

 「親が医師で私大の医学部」というと、ステレオタイプにものを見る人は「金持ちのボンボン」をイメージするかも知れない。実際、ブランド品を身にまとい、高級外車で通学、休みの度に海外旅行、なんていう学生がいないわけではない。しかし、少々経済的には恵まれているかも知れないが、派手にお金を使うわけでもなく、まじめに学生の本分を全うしている者がほとんどなのである。私自身も大学入学時には父親に入学金を出してもらったわけだが、それは銀行から借り入れたものだということは知っていたし、留年などしては申し訳ないと人並みに勉強して、国家試験合格までたどり着いたひとりである。

 父は私が3歳の頃に自宅で眼科医院を開業している。母が掃除を手伝うくらいで、職員を雇うことなくその他の事務仕事も含めて全てひとりでこなし、約50年大過なく診療を続けて、閉院後1年半ほどで他界した。私が生まれた当初は借家暮らしだったと聞いているが、その頃の記憶はなく、私が覚えているのは開業した医院兼自宅に引っ越してからのことである。ドア1枚隔てて診療室があるので、子どもの頃から父の仕事の様子はその気がなくても、目や耳に入ってくる。父が仕事をしている姿は日常の風景の一部であったのだ。そのような環境で育ち、小学4年生の頃から学習塾に通わせられれば、自ずと両親が私に何を望んでいるかは子供ながらにもわかってくる。中学生になったときの自己紹介では、将来は医師になると言っていたのを覚えている。このサイトの読者には、医師になるきっかけとなるような“いい話”を期待される向きもあろうが、何となくそういうレールに乗っていたということである。幸い、中学・高校と何とかなりそうな成績で卒業し、浪人はしたものの医学部に入ることができた。

 無事、医師国家試験に合格し大学病院での研修を経て、派遣病院での勤務、専門医試験、学位取得と人並みにこなしているうちに、お世話になった教授が定年で退官することになった。多くの場合、勤務医から開業へと働き方を変えるタイミングである。私自身も、研究者として大学に残るつもりは全くなかったし、患者さんを診ているのが性に合っているようだったので、開業することに抵抗はなかった。一般的には、子どもが親の後を継いで、父親は引退するか、曜日や時間を限って診療するというケースが多いようだと思っていたが、その時点で父はまだ現役で元気に診療をしており、子どもであっても一切、人に譲ろうという気はなさそうであった。母が間に入り診療室の内装を少し手直しして、一緒にやるような方向付けをしてはくれたりもしたが、結局のところ父自ら物件を探してきて、別の場所での開業となった。

 いざ開業してみると、周りには同じような環境の先生方も少なくなく、また、私同様、同じ科目であっても別の場所で開院している例が圧倒的に多いことがわかった。同じ場所で継承したのは、親が急死したり、健康上の理由で仕事ができなくなった場合が多く、一緒に診療しているのはむしろ稀であった。

 父が閉院する前、手術のために2か月間ほど代診を務めたことがある。代診と言っても、自身の休診日に週2日半日ずつの診療なので、時間にすれば大したことはないが、それでも長くかかられている患者さんたちがいらした。率直な感想として、「継がなくてよかった。」と思った。椅子や机の配置から、会計の仕方、薬の選択まで、とにかくしっくりこないのである。患者さんもそれまでと流れが違うだけで戸惑ったと思うのでお互い様なのだが、要はいつもと違うとお互いに違和感を覚えるということだ。多くの勤務医は、上司からの納得できない指示に従うことなく、出たくもない会議に出ずに済み、自分のやりたい方法で診療できることに開業の魅力を感じているはず。ところが、単純な継承では先代のやり方、それに慣れている患者さんがかえって煩わしくなるのだ。これが、前述のように同じ場所での継承が意外と少ない理由なのだろう。

 世の中に、親と同じ仕事に就く人は決して少なくないと思う。梨園のように男子ならば生まれたときから歌舞伎役者になるべくして育てられる世界は特別としても、街の商店で2代目、3代目の店主というのもそう珍しくはない。否定的な見方が多いが、政治家も2世が多いのは皆さんもご存知のとおり。

 親と同じ職業に就くメリットは、

1,子どもの頃からその仕事の長所短所をいろいろと見知っていて未知の世界ではないため、不安が少ない。

2,仕事に必要なものをゼロから揃える必要がないので、その分費用負担が少なくてすむ。

3,仕事上の仲間や取引先などとの信頼関係がすでにできているため、事業が継続しやすい。

4,それまでの顧客、(医療では)患者さんを引き継ぐので、開業当初からそれなりの収入が期待できる。

5,経済的な負担が少ない分、利益を上げることだけに集中しなくてすむ分、丁寧な仕事ができる。

といったところか。私の場合は、別な場所で診療所を立ち上げたので、2,4,は当てはまらないが、薬品や機械の業者は父からの紹介で取引が始まったのでその分は悩むことがなかった。また、地元の医師会や眼科医会でも父を知っている先生方が多く、すんなりと受け入れてもらえた。さらに、ちょっとしたことをすぐに尋ねることができたこともかなりのメリットだったと言える。

 一方、デメリットは、先代のやり方やそれまであった周囲との関係が煩わしくて自分の思うようにできないために、自分の特徴が生かせなくなることか。

 すでに開業して20年が過ぎた。振り返ってみると、細かな診療のやり方は違っても、良いところ、悪いところを問わず、父のやってきたことを少なからず参考にさせてもらった。父の3回忌を前に今までのことをあらためて考えてみると、親と同じ職業に就いて良かったと思っている。

 

 

 

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