中学から始めた野球、周りは全員小学校から始めてたけど最終的に4番を打った話

小学校1年から剣道をはじめた 

小学校はとにかく体が弱かった!1年の頃なんかは半分くらいしか学校にいけてない。小児ぜんそくとか何とかで常に休んでたなー。おかげで勉強もおっつかなかったし、謎にウンコも小2くらいまで漏らしてたし(笑)


とにかくいけてなかった少年時代、せめて体だけでも強くなるようにと親から「剣道するか、ハッピー(水泳スクール)するかどっちかしなさい」と選択を迫られた自分。

小1だった当時は泳げるはずもなく、泳ぐのは妙に怖くて剣道を選ばざるを得なかった。剣道が好きだったわけじゃないけど、水泳よりマシ全然ってことで割と嫌々はじめた感じだったと思う。


はじめたはいいけど急に体が強くなるはずもなく、学校も休みがちだった自分は剣道も休みがち。試合に出れば連戦連敗。小3までは一度も試合に勝ったことがなかった。

小3の頃、後から剣道を始めた2個下の弟が個人戦で3位なんかになるもんだから気まずくてしょうがなかった。


はじめて勝ったのは小学3年最後の大会だったと思う。フイに打った「メン」が決まって1本勝ち。はじめはキツネにつままれたような違和感だった。いつも試合が終わってすぐ溢れてた涙が出ない。代わりにチ○コのあたりから体の上のほうに向かって突き上げるようにアツイ何かが溢れでた。精子ではありませんよ(汗)えもいえぬ高揚感に全身が包まれ、それがひとしお引いたあと、やっと勝った実感がでてきたな。それが人生で初めて自分の手でつかんだ勝利かな。


その後、勝ち方を覚えたのかポンポンと勝てるようになってきた。個人戦なら初戦に負けるってことも少なくなり、2、3回は勝てるようになった。小4の中盤からはチーム内の選抜クラスに選ばれ、団体戦にも起用されるようになってちょっとずつ剣道が楽しくなってきた。やっぱりスポーツは勝たないと面白くない。

技術的にどう向上したのか今となっては分析が難しいけど、とにかく相手のスキというか、ここでメンを打ったら1本とれる!みたいな感覚が自然と芽生えてた。そして体も随分頑丈になって、小4はたしか1回学校を休んだだけで、あとは元気だったと思う。

小5で野球したい病にかかる

勝ち癖がつき出し、嫌々はじめた剣道も5年目。小5になるとうちのチームは黄金期に突入する。県大会の団体戦で初の銀メダルを獲得すると、四国大会でも4位入賞を果たすなど、県内でも一目置かれる競合チームになった。そのメンバーの一人で自分ですがな、エヘン。

あのとき自分はたしかで次峰。剣道の団体戦は5人でそれぞれの順番の相手と対峙していく。順番は前から順に先鋒、次峰、中堅、副将、大将。大将が一番強い人、大体キャプテンかな。次峰、副将あたりがゆるーい敵が多いイメージがあったなー。

ま、そんなゆるいポジションだったのもあるけど大会では小6相手でもほとんど負けなかった。身長が大きな相手でもビビリながらも何とかやってた(当時の身長は140センチないくらい)。

だから今度は県主催の強化合宿とかに呼ばれて夏場にしごかれたな~。あれはマジで地獄だった。強化選手ばかりだから、その中だと自分はまだまだ弱者。練習試合してもボコボコにやられることもしばしば。くそう、もっと上手くなってやる!普通はそう思うんだろうね。でも、心の底からそう思わなかったかなー。なんでかって?いや、やっぱ野球でしょう。


体育の授業でソフトボールやったり、神社の空き地でソフビの野球をしたりするのが異常に楽しくなったのがこの頃。仲良しだった友達もみんな野球をしてたし、しかもみんなが所属してる少年野球チームの創設メンバーがうちの親っていう(笑)


野球に興味を持ったのは必然かもね。だから野球をやりたいって何度も言ったけど、親からはダメと言われ続けてすごい残念だった。

「剣道してるから2つは無理」「じゃあ剣道やめるよ」「それはダメ!一度やったんなら最後まで続けなさい!」

って感じの返しにいつもなってた。いやいや自分でやりたくて剣道したわけじゃないし!って激しく思ったけど、剣道では割といいポジションになってたし、何気に道具も高いのに、それら全部捨てて新しくこれまたお金のかかる野球道具ってなると厳しかったのかもな。

「やめるなら剣道の先生に自分でやめるって言いなさいよ」

とも釘をさされ、実はこれが一番きつかった。いつもしごかれてる先生に言うのは怖いよ、コレ。


そんなこんなで小学校のうちは剣道をやめられず、野球をしたい思いは引きずったまま2年間を過ごした。野球チームには入れなかったけど、軟式のC球を勝ってもらい、親の使ってたグローブをはめて壁当てとかしてたな~。


結局剣道のほうは小6で自分がキャプテンになり、団体戦は大将として銀メダル8個、銅メダル2個、個人戦でも3位に1回なったかな。出る大会のほとんどでメダルを獲得した。最後の大会では団体戦で戦った5試合はオール2本勝ちで締め、憂愁の美を飾った。

1度も優勝できなかったのは、心ここにあらずだったのが原因かもしれない。それでも、対して好きでもないのに練習のズル休みは1回もせず、一生懸命練習もしたし6年間やりきったことは後の人生ですごく生きてる気がする。

念願の野球部に!

中学に入学し、ようやく野球部に入ることができた!剣道部にスカウトもされたけど、小学校6年間で燃え尽きた感のあった自分は1ミリも躊躇することはなかった。

真っ白の練習用ユニフォームやローリングスのオールラウンド用のグローブを買ってもらったときは最高に嬉しかった。グローブの皮の匂いを延々とかいでは手にはめてみて、ときにはイラストを書いたりもした。小学校で果たせなかった仲良しメンバーと同じチームに入ることもできてウキウキだった。

と、当時に若干の不安もあった。

進学した中学は3つの小学校から編成される学校となっており、同学年は90人いたがうちの小学校の人間は14人しかいなかった。はっきり言って完全にアウェー。しかも隣町の小学校の少年野球部の連中は学童野球の全国大会(小学校の甲子園みたいなもの)に出場するような競合だった。

レギュラーとれるのか?3年間補欠?うーん…不安しかなかった!自分と同じような不安を抱き、うちの小学校で野球部キャプテンをしてたヤツはサッカー部に入ったくらいだ。

経験者でもないズブの素人。そんなヤツは周りに一人もいなかった。でも野球部に入らないでおこうとはならなかった。

野球がしたいんです━━。2年間バスケをしなかったスラムダンクの三井寿ばりの欲求が不安に勝ったってことですな。

下手くそすぎて笑えたけど楽しい日々

そんなこんなで始めた野球だけど、まあひどかった(笑)まじめてノックというものを受けた時は遠近感がまったく分からず、打球に対してバンザイを繰り返すことに。外野なのに3球に1球しかまともとれなかった。守備率.333。サイテー。あまりにミスするので、自分のミスが少しでも目立たないように他のメンバーもミスしろ!とひたすら思っていた。いやほんとゲスだな。

野球部入って1年半くらいはライトで先輩たちのフリーバッティングで飛んでくるボールをミスりながら受ける日々。バッティングなんてさせてもらったのは一番上級生になってからじゃないかなってくらいにしてない。たまにやるティーバッティングが異常なまでに気持ちよかった。

そんな日々でも楽しかった。いま思い返しても楽しい。球拾いに近い守備ばっかでつまんなさそうだけど、めちゃくちゃ楽しかった。上手くキャッチできると捕れたー!って叫んでた。ライトの後ろにある体育館からはバレー部やバスケ部の女子がたまに見てたから余計にそう思った。

何でも楽しいと思う気持ちと真似するのが武器

少年野球をしていない自分の武器といったらこれしかない。

とにかく何でも楽しい!下手に経験してない分、守備にしろベーラン(ベースランニング)にしろ、グラセン(グランド整備)にしろ人の嫌がることは何でも好きだし楽しく感じる。

いかに自分を上手に見せるか考えながらオロオロとして、あげく「ミスしたらかっこ悪い、みんなもミスしろ下手こいて恥かけ!」とか心で思ってるくせに練習自体は楽しいという。

大体毎回同じメニューだし、何度もやってるとある程度「型」が出てくるよね。その型ができるのが好きだった。

とくに型ができやすいのがグラセン。グランド整備用の「ならし」と呼ばれる整備道具をうまく使うコツとか、いろいろと考えながらやってた。あとはもともと掃除好きなんでスパイクの足跡だらけの地が綺麗にフラットになるのが気持ちよかったり。

守備でもよくバンザイをするから初めから深めに守った。そんでフライが上がったらとりあえず前に走り出すみたいなことをしたり、打球から目を切るのが下手だから自分でボール上に投げて目を切りながら追っかける練習をしてみたり、中学野球はライトゴロが多いからファーストまでワンバンで返す練習をかなり入念にし、だいたいこのへんでボールをバウンドさせると取りやすいっていう位置をスパイクの歯でサークルをかいて目印をいれたり、今考えるとイケてないことも大量にあるけど割と上手になるためにいろいろ考えてやってた。


あとは真似!当時はバッティングフォームはイチローとか高橋由伸、鈴木尚典、清原和博、巨人の清水を真似た。振り子打法を単純に真似るというかは、BBMやカルビーの出してる野球カードのイチローを引き当て、カードのイチローと同じポーズを鏡を見ながらとったりした。カードっていろんな瞬間を撮ってて結構ためになる。ボールを離す瞬間とか打ち終わったあとのフォロースルーの断片を映してるからスイングしてみて写真と同じ位置にバットがくるように練習した。

カードだけだと物足りなくなり、週刊ベースボールのフォームの連続写真解析で載ってた清水選手のフォームを徹底的に真似た。なぜ清水なのかは親がひたすらほめてたから。


夜はいつもパンツ一丁で窓ガラスに映った自分を巨人の清水と同じバットの角度、足の上げ方になるようにひたすらフォーム矯正して体に覚え込ませた。

あとは絵も書いた。はじめは棒人間で清水選手やイチロー選手のフォームをコマ送りでイラスト化し、慣れてくるとリアルにユニフォームのしわの1本1本まで書いた。


こんな感じでテレビでみた映像を頭の中のイメージで真似る他のメンバーとは異なり、プロ選手の連続写真を見ながら鏡ごしに同じフォームになってるか検証しながら真似るアプローチをした思春期でした。

中3年、新チーム初試合は9番ライト

月日は経って中学2年の夏、先輩たちが引退して自分たちが最上級生になった。新チーム一発目の試合は9番ライトで出場させてもらった。下級生に上手いのもいたけど、そこはやっぱり公立中学だし、一応先輩ということで試合に出してもらえた。

初めての打席は緊張しまくってあまり覚えていないけど、ガチガチになってしまい手打ちのバッティングでサードゴロあたりで凡退したと思う。中学野球は7イニング制で、9番だと大体2打席、よくて3打席回ってくる。

その試合はたしか2打席凡退してもうダメだーっと思ってたら終盤ランナーを出して回してくれて、3打席目にサード内野安打を打ったと思う。一応タイムリーヒットだ。一塁に無我夢中でヘッドスライティングをした記憶がある。


基本的には一番下位で、守備位置も一番重要そうでないライトで試合に出続けてしぶい働きをしていった新チーム後の自分でした。いつもサインミスしてないか、バントのサイン出たらどうしよう、とかそんなことを考えていたなあ。

指導者との相性も大事、つまり運

9番ライトでスタートした立ち位置も、少しずつ変わった。しれっとヒットを打ってたので、8番に上がり、7番になり、6番…といった具合に打順は変動した。

けど、ちょっと打てなくなるとすぐに7番8番に戻され、クリーンアップ固定されるには至ることがなかった。

当時の監督には御世辞にも好かれてはなかったと思う。何が原因かとかは分からんけど、やっぱ経験者で小学校から有名だった選手のほうが打てなくても使いたいじゃないかと。もしかすると、単純に打った抑えたじゃなくて、野球を知ってるなって動きが自分になかったのかもしれない。そこは監督に聞かないと分からないけど、個人的には少々不満だった。クリーンアップを打ってた人間は明らかに当たってなかったし、なんで上位打ってんだろうなっていつも疑問に思ってた。


そんな感じでモヤモヤしてたら、野球部の監督をしてた先生が別の学校に転勤することになった。2年の冬くらいのことだった。

学校内でも結構人気のあった先生だったので、先生とする最後の試合はゲームセットの後にかなり大泣きした。あ、大泣きしたのは自分以外のメンバーが(笑)

自分は全然泣かなかった。どちらかというと不遇の待遇だったせいかそんなに好きでなかったし、さばさばとしてました。


新しい監督は体操選手だった先生で、江頭2:50みたいな動きをする人だった。チームを引き継ぐという立場だったので、その先生は新チームになった2年の夏からてからの半年の試合結果をまとめて打率を算出した。

そしたら何と、自分の打率がチーム内で4番目に高かったのだ(高かったといっても2割ちょっとだったけど)。自分より上位のメンバーより打ってるイメージはあったけど、やっぱり打ってたんだーという感じですた。

その次の試合から、新監督は自分をクリーンアップに据えた。んで、最終的に自分が4番になったというわけです。何となく、この監督は「少年野球してないからこいつはダメ」って固定概念がなかった気がした。結果重視で評価してくれて妙に嬉しかったのを覚えている。ただ、ランナーを返してくれる新の4番っていうよりかは打率順に並べると4番目に高い「4番目によく打つやつ」みたいな印象だったのかもしれない。中学野球なんてえてしてそんなものである。

締め

…と、つらつらと書いてみた話をコンパクトに要約すると、


1)とにかく野球が超好きで小学校高学年から野球に恋焦がれていた

2)クソみたいな雑用仕事でも楽しく取り組める精神状態にあった

3)とことん上手い選手のモノマネをした

4)相性のいい監督と巡り合える運があった

5)自分の場合の4番は「スラッガー」ではなく「4番目によく打つやつ」という印象


ってことです。

補足するなら、3)は血のにじむような努力はしましたよ。当時は皮手(バッティング手袋)なんてないから素振りしてマメが割けてもバットを振り続け、しまいには血が出る始末。皮が変にエグれて変に固まってカチカチになって、その上からテープングしてひたすら振ってという感じだった。

家に帰ったらご飯を食べ終え、すぐに応接間にある窓の鏡に映った自分をチェックしながら巨人の清水選手のフォームに近づけるように体の動きを確認してたな~。

当然激しく手が痛かった。けど全然苦痛ではなかったけど。


しかし、ホントに思うのは小学校時代に剣道を6年間やってよかったなーと思う。あれで相当な忍耐力と精神力がついた。これがなかったら一人野球未経験で中学から野球なんてできなかったかも。

剣道で培った経験は社会人になって仕事をする上でも心底役立ってるな~とも思います。継続は力なり、好きこそモノの上手なれ、なんか最後ぬるぬるだけどこれで終わりとなります。

ご愛読いただき誠にありがとうございました!

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