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boilk powerの人生のストーリー

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boilk powerの人生のストーリー

東京に行って失ったものと得たもの・その1

 私は今から20年前、会社の転勤により、当時東京にあった関連会社に出向で赴任した。  それまで、地元から離れたことのなかった私であった。もちろん、それまでにも東京には何回か行ったことはあったが、いずれも観光や日帰りの出張ぐらいである。東京に住み、生活し、仕事をするのはこれが初めてであった。単に遊びに行くのと、そこで生活するのとは別物である。ゆえに、東京での生活は全くの未知数であった。  20年前のあ

中学時代の卓球部・その1

 私は中学時代に卓球部に所属していた。今現在の現役の卓球部員には大変失礼な言い方になるが、中学の卓球部というと、根暗(死語)というか、ぱっとしないという印象がある。私の場合も、まさにそうであった。しかし、実際の卓球は見た目以上に体力を使い、また、相手との駆け引き等も相当に激しい競技である。  さて、私は叔父が中学時代に卓球をやっていたことから卓球に興味を持ち、小学校6年生の時から卓球を始めた。それゆ

バンドをやっていた時のこと、音楽遍歴、あれこれ・その1

 私はかつて、あるバンドに16年間在籍していたことがある。このバンドはもう辞めてしまったが、在籍期間を通じていろいろと勉強させてもらった。今回はこのバンド時代の経験、また、これを含む自分の音楽遍歴を書いてみよう。  一般的に音楽の道に入るきっかけとして、例えば、両親が音楽をよく聴いていたとか、楽器を弾いていたとか、兄弟の影響とか、そういった家庭環境によるところも大きいであろう。  私の場合はどうかと

東京に行って失ったものと得たもの・その2

 本テーマのその1において、東京への引越しでの日程調整のトラブルについて書いた。結局、ホテルに余分にもう一泊しなくてはいけなくなったが、その翌日には部屋のクリーニングも終了し、私はようやく部屋に入ることができた。ちなみに、このクリーニングは突貫工事だったようで、その1年後には室内壁の塗材が剥がれてきた。生活に支障は無かったので、結果的にその剥がれは放おっておいたが。  さて、引越しの数日後、私は赴任

東京に行って失ったものと得たもの・その3

 ここで、なぜ納期遅延が頻発していたかを振り返ってみよう。私が赴任した東京の子会社では、超短納期生産、具体的には、顧客に特急料金を払ってもらえば、顧客の希望する通りの短納期で作るということを売りにしていた。  そのため、その工場は、私が赴任する数ヶ月前までは、土日祝日関係なく、毎日休みなしに稼働させていたのである。土日の時間も使うためであり、短納期生産をするためには当然のことである。この体制ならば、

中学時代の卓球部・その2

 このように、せっかく卓球をやるために入部した卓球部なのに、肝心の卓球ができないというバカバカしい状況ではあったものの、他に行く宛もなく、結局、部活動は卓球部でやるしかなかった。それゆえ、私もおもしろくもないトレーニングに耐えるしかなかったのである。  さて、6月になり、我が男子卓球部にもようやく卓球台が導入された。しかし、部員数に対して台の数が少なかったため(というよりも、台に対して部員が多すぎた

東京に行って失ったものと得たもの・その4

 その後、平日は毎日くたくた、土日は疲れた体を休めるために寝てばかり、という生活が3年間続くこととなる。せっかく、東京という場にいるにもかかわらず、東京の生活を満喫することもできず、会社の業績のために何もかも失ってしまったように感じた。  前述のとおり、私の立場は、親会社の営業との窓口ということもあり、営業所の営業マンと話をすることが多かった。これら営業マンとは生産物の納期についてばかり話をするので

バンドをやっていた時のこと、音楽遍歴、あれこれ・その2

 そして待つに待つこと二ヶ月。中一の11月になり、ようやくFM放送でビートルズ特集が組まれることとなった。ちょうどそのころ、「ラブ・ソングス」(現在は廃盤)というビートルズのバラードの曲を集めたベスト盤が発売されることになり、これの特集が組まれたのである。私とビートルズとが接するきっかけとなった「イエスタデイ」を始め、「ミッシェル」、「サムシング」といったビートルズ・バラードの名曲が放送され、私はこ

バンドをやっていた時のこと、音楽遍歴、あれこれ・その3

 このように、私は「動くビートルズ」を見て、自らもバンド演奏をすることを決意したものの、現実には乗り越えねばならぬ障壁が多数あった。  バンド演奏をしようと思っても、明日すぐできるというものではない。いくつかの条件が必要である。その条件とは、バンド演奏に必要な楽器を持っていて弾けること。そして、同じ志を持つ仲間がいること、である。  楽器演奏は自分で買って自分で弾けばよいのであるから、比較的容易であ

中学時代の卓球部・一旦終了

 そして、1年生の11月頃、夏休みのペナルティが解除となり、ようやく台の使用が許可された。その後、1年生が終わるまでは可もなく不可もなく進んだであるが、2年生になり、顧問の教師が変わることとなった。これにより、卓球部の体制が大きく変わってしまう。  まず、この顧問教師は、私を含む2年生から特に上手いものだけ3名ぐらいを選抜し、レギュラーメンバーに固定し、さらには、新入生の1年生の中から小学校時代に卓

東京に行って失ったものと得たもの・その5

 ともかく毎日毎日、毎晩遅くまで働いていた私であったが、東京の工場に赴任し、そろそろ、丸3年になろうとする頃、私は完全に疲弊していた。将来への希望も何も持てず、親会社からも見捨てられたような気持ちになっていた。  ある方にそのことを相談したところ、その方の言うには、普通、子会社への出向というのはだいたい、3年ぐらいの期間である。3年ぐらいたって親会社から何の打診もないというのは、ある意味、見捨てられ

バンドをやっていた時のこと、音楽遍歴、あれこれ・その4

 前述のように、私は中学時代はギターには全く縁がなかったが、高校受験では志望校に合格でき、私は中学時代からの夢である、バンド演奏をしてみたいと思っていた。  当然にして、まずはギターが弾けることが条件である。高校入学に際し、親戚からお祝い金をもらったので、思い立ってギターを買いにいくことにした。  現代的発想ならば、今は廉価のエレキギターが多数あるので、バンドをやりたいのであれば、最初からエレキギタ

バンドをやっていた時のこと、音楽遍歴、あれこれ・その5

 元々、音楽をやろうと思ったきっかけが中学時代に聞いたビートルズであったから、高校生の頃の私は、ともかく、音楽とはバンド演奏であるという頭しか無かった。  それゆえ、同級生らが嬉々としてバンドを作り、彼らもたまには自主ライブなどを行い、一方、何もできず、彼らがライブで華々しく演奏する姿を見ることしかできなかった私は、バンド演奏ができる彼らが羨ましくして仕方がなかった。  しかし、今現在の自分が思うの

バンドをやっていた時のこと、音楽遍歴、あれこれ・その6

 前述の音響作品が(自己満足ながら)そこそこいい出来栄えと感じた我々は、第2弾を作ろうと思いたち、今度は高2の夏休みを利用し、この際、アルバム仕立てにして、90分カセットテープの片面、すなわち、45分が丸丸埋まるような作品群を作ろうとした。しかし、結果的には、このプロジェクトは頓挫した。  今思えば、当然のことであった。我々の制作は基本的には録音することであったが、まず第一に十分な機材がなかった。手

東京に行って失ったものと得たもの・一旦終了

 技術部門に移ってしばらく経った後、職場に私宛の一本の電話がかかってきた。聞くと、どうも仕事の話ではなく、なにやら投資の話のようである。普通は、こういう話が来れば即切り、ガチャ切りすべきところ、当時の私はこういうことには免疫がなく、ついつい、相手の話を聞いてしまったのである。で、ぜひ会いたいと約束を取り付けられ、数日後、会社の近所の喫茶店で待ち合わせることとした。  会ってみると、同年代の普通のサラ

バンドをやっていた時のこと、音楽遍歴、あれこれ・その7

 さて、このような中で私も大学3年生となり、ギターは自宅でちょこちょこと弾いていたものの、バンドには全く縁がなく、このころになるとバンド演奏は完全に諦めていた。   ところが、そんな中、突然ではあるが、思いがけない形でバンドに入ることとなったのである。たまたま、以前から親しくしていた地元の先輩と話をしていたのだが、この先輩は地元の社会人で構成するバンドでギターとボーカルをやっており、私も機会があれば

バンドをやっていた時のこと、音楽遍歴、あれこれ・その8

 こうして、活動が軌道に乗ったかと思われたが、その直後から、別の問題が生じてきた。  一つには、理由よくわからないが、バンドリーダーと練習会場に使っていた喫茶店の店主との関係がなぜか悪化したことである。そのため、練習会場として使っていた喫茶店からは撤退せざるを得なくなった。  前述のとおり、喫茶店で練習できるというのは練習環境としては恵まれていたが、そういう状況というのは長続きするものではない。普通

バンドをやっていた時のこと、音楽遍歴、あれこれ・一旦終了

 こうして、ようやくまともな普通の新バンドが立ち上がり、月に2,3回、練習を始めた。  最初の内は、レパートリーがなく、いわゆる3コードセッションばかりであったが、こういうことを繰り返すうちにお互いの呼吸がわかってきて、バンドとしての音ができあがっていく。  ここで、次の問題が生じた。バンドというのは、ギター一本だけだと、どうしても音が薄くなるので、ギターをもう一本追加しようということとなり、ギター

目指せ! オープンマイク・ミュージシャン!?

  自分がバンド活動をしたいと思ったのは中1のとき。 動くビートルズを見て感激したのがきっかけ。 その夢を果たせたのがその7年後。 バンドをやりたくても諸般の事情でなかなかできず、くすぶっていた自分をあるバンドが拾ってくれた。 その後、そのバンドには16年間在籍するも、 結局、一身上の都合により、脱退。 このバンドでは、ライブハウス等への出場は無く、もっぱら、近所の盆踊り大会など、地域密着型の活動で

先物取引の悪夢

 今から約20年ぐらい前、東京に住んでいたときのことである。  仕事にいそしんでいたとある日、職場に先物取引会社から勧誘電話があった。さっさと断ればよかったのだが、私はついつい電話口で話し込んでしまい、その後、営業マンと会うこととなってしまった。  今思えば、営業マンと会ってしまったのが運の尽き、私は先物取引の仕組みがよくわからぬまま、営業マンに言われるままに取引を行うこととなり、確か、白金を3枚(

某K店の顛末

 今から約20年前、テレビ番組のスポンサーで有名だった某K宝石店の経営破綻と、これに伴う多数の被害発生という事件は記憶に新しいところであろう。恥ずかしながら、この私もその被害者の一人であった。ここでは、今後の教訓のために、私が記憶している限りのことを書いてみる。  確か、今から20数年前、まだ東京に引っ越して数ヶ月のときだった。近所の百貨店内をうろついていたとき、突然、「きれいなお姉さん」に声をかけ

家庭教師派遣センターと関わって学んだこと

 以下は私の大学時代の話である。  大学生にとって短時間で効率的に稼ぐことができるアルバイトといえば「家庭教師」がその筆頭にあげられよう。  私もその例に漏れること無く、また、自分で言うのも何であるが、そこそこ名の知れた大学に通っていたので、そのブランド力を生かし、入学早々、家庭教師のアルバイトを始めた。  家庭教師というのは、数あるアルバイトの中では、時間の面で大変に融通がきくものである。一般的に

中学時代の愉快な奴

 私は中学時代に愉快な奴と遭遇したので、経緯を書いてみよう。  私は中一の半ばまでは可もなく不可もなく過ごしていたのだが、そんなある日、何の面識もない同級生の愉快な男Aに、突然目をつけられるようになった。理由は定かではないが、廊下などですれ違うたびに愉快なことをされるようになった。私は当初は疑問に思いつつも、気の弱い私はAに対して強く出ることができなかった。そんな事が突然続くようになり、その後は、A

読んでよかったストーリー

Shinozaki Yusuke
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東京-京都をママチャリで完走した話④

前回までの振り返り 友人のHRK氏の実家で朝を迎えた。やはり、実家という環境は非常に心地よいもので、僕らはその環境に甘んじてしまった。笑 なんとか出発したものの、 静岡 (以下、化け物)という 化け物 に翻弄され続ける1日となった。 化け物は僕らの正気を奪い、活力を奪い、そして僕らはマクドナルドの椅子に沈んだのである。 4日目(最終日) 結論から言う。京都を出発し、永遠にも思えたチャリ旅もいよいよ最
おの みゆき
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15

ネガティブな感情が実はとてつもなくメリットになっていた私

「ねばならない」 これが幼いときからの私にまとわりついていた言葉でした。 正義感の塊で、少しの不正も許せない。 もちろん自分も、他人も。どんな人であっても。 幼い頃の私の話しから始まります。 もしかしたらそうではないのかもしれませんが、 私は、学校生活というものに あまり良い思い出がないように思います。 小学校から中学校まで 遠足もお弁当を一緒に食べてくれる友人を いつもギリギリまで探さなくてはなり
boilk power
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東京に行って失ったものと得たもの・その1

 私は今から20年前、会社の転勤により、当時東京にあった関連会社に出向で赴任した。  それまで、地元から離れたことのなかった私であった。もちろん、それまでにも東京には何回か行ったことはあったが、いずれも観光や日帰りの出張ぐらいである。東京に住み、生活し、仕事をするのはこれが初めてであった。単に遊びに行くのと、そこで生活するのとは別物である。ゆえに、東京での生活は全くの未知数であった。  20年前のあ
野本 纏花
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私が代理店を受けたワケ

販売経験を通じて知ったリアルな購買行動 私は学生時代、大手家電量販店でキヤノンのプリンターを販売する仕事をしていました。 私がいた店舗では、週末になると狭い売り場に各メーカーから4人(キヤノン1人・エプソン2人・hp1人)の販売員が立ち、いかに自社のプリンターを購入してもらうか、しのぎを削っていたのです。 そのとき私が強く感じたのが、 広告の力 でした。 (私が販売員をしていた当時は、キヤノンとエプ
boilk power
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東京に行って失ったものと得たもの・その2

 本テーマのその1において、東京への引越しでの日程調整のトラブルについて書いた。結局、ホテルに余分にもう一泊しなくてはいけなくなったが、その翌日には部屋のクリーニングも終了し、私はようやく部屋に入ることができた。ちなみに、このクリーニングは突貫工事だったようで、その1年後には室内壁の塗材が剥がれてきた。生活に支障は無かったので、結果的にその剥がれは放おっておいたが。  さて、引越しの数日後、私は赴任
小玉 直人
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人生の大先輩から学んだこと

まだ高校生で人生経験の少ない私に かけることがあるかな?・・・ そう思ってたおとといの出来事です。 私は札幌駅前の書店で英語の本を見ていました。 地元の本屋さんでいつもと同じ買い物。 なんらいつもと変わりません。 しかしこの後に起こる出来事が、 私に深く感銘を与えました。 あるおじいさん、60くらいでしょうか白髪交じりの 短髪の方でした。 その方は私に 「英語の文を訳していただけませんか」 と丁寧に
花井 大地
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日本一高いところ(標高3,400メートル)で遭難して、自分だけ助かろうと必死になったが、やっぱり天罰が下った話

------------------------------------------------------------------------------------------------ X日午前、富士山を登山していた20代の男性4人が9合目付近で 雪が固まって滑りやすくなるアイスバーンのため身動きできなくなりました。 全員がヘリコプターで救助され、けがはありませんでした。  救助されたのは、

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