『一年間うつ病で自宅に引きこもった派遣社員が、一部上場企業からヘッドハンティングされるまで    第二回目』

1 / 2 ページ

前話: 『1年間うつ病で自宅に引きこもった派遣社員が 一部上場企業からヘッドハンティングされるまで 第一回目』

⇒第一回目はこちら!


『1年間うつ病で自宅に引きこもった派遣社員が、一部上場企業からヘッドハンティングされるまで 第二回目』



~うつ病の深みにはまり込む~



母親の残した借金・父親が脳梗塞で倒れ意識不明の重体・母親の死去・葬儀の時、妹と二人絶望に明け暮れた事・借金の整理で走り回っていたいた事・更に父親のリハビリなど本当に様々な苦労が怒涛の如く重なり、ようやく父親が社会復帰出来るようになるまで回復した時、僕の心はとうとうボロボロになり、壊れてしまいました。



何をするにもやる気が出ない、世の中がどうでもよく思えるような状況で仕事も手につかなくなりました。

「燃え尽き症候群」のような状態になってしまいました。



その後近所の病院に受診すると「うつ病ですね」と言われました。

本来ならショックを受けるような状況なのですが、それすらもどうでも良いと思えるくらいに何も考えたくないような状況でした。

そしてとうとう働けなくなるくらいまで精神状況が悪化し、派遣社員の仕事も辞めざるを得ませんでした。



ですが、最初は「うつ病」だと言われたもののそこまで深刻には考えていませんでした。

それに、医者からうつ改善の精神薬を処方されていましたが一切飲みませんでした。

母親の手術の時何回も頭の手術が上手くいかず、そのたびに繰り返される意味不明な釈明、急に担当が変わったり医療ミスを隠すような言動などがあったのでそもそも医者や病院の事をあまり信用していなかったというのもあったのかもしれません。



「うつ病」の事をよく知らなかったのもあるのですが、「ただ一人になりたい・・・」「誰とも会いたくない・・・」「どこか景色の綺麗な海を見てぼーっとしたい・・・」

というような感じでした。

たぶん「色々な物事に疲れ果てていたのです」



このように書くと疲れ果てていたのは「母親の死去や父親が脳梗塞で倒れた事、母親の残した借金の整理」で疲れ果てていたように思われるかもしれませんが、それだけではありません。

派遣社員として営業の世界で働く中で、正社員との待遇の格差、営業成績が悪いとすぐにクビになる恐怖、理不尽な営業の世界などにも疲れ果てていたのです。

燃え尽き症候群というのもありましたが、もうこれ以上働きたくない、この世の中と関わりたくないというような気持ちでした。



仕事を辞めて時間が出来たので、家の近くの海に人があまりいない平日の昼間を選んで海を眺めにいきました。

少しでも心が晴れたらいいなと思って行っていたのですが、心が晴れることはまったくありませんでした。

ただただ時間だけが過ぎていく、自分だけが世界から取り残されたようでした。

自分はもうこの世の中から必要とされていないように思えました。

自分の社会的なキャリアと言っても正社員経験もなく、あるのは派遣社員でインターネット回線の獲得営業をしたという経験だけ。

しかもうつ病で引きこもっている・・・

こんな自分を欲しいと思う会社なんてあるわけがない・・・

もう一生まともな生活は出来そうにない・・・

友達にも合わせる顔がない・・・

何よりもこんな自分を見られるのは嫌だ。



それからまもなくして、携帯電話は一切触らなくなりました。

怖くて触れなくなったと言った方が良いかもしれません。

誰とも話すことが出来なくなりました。



そして家に引きこもって食べて寝るだけの生活だけですのでドンドンと太っていきました。

働いているときは、身長が164cmで体重が55kgくらいだったのですが、みるみる太り75kgくらいにまで太ってしまいました。

もし友人や知人が見たら誰か分からないくらいに太っていました。

精神状態だけではなく外見も酷い状況になり、ますます外の世界には出られなくなりました。

出来る事は自宅に引きこもってインターネットをすることだけ・・・



ちょうどその頃、流行り始めていた「オンラインゲーム」に出会いました。

オンラインゲームでは架空世界で相手の外見や性別すらも分からない状態の中で共に冒険をしたりします。

僕はそのオンラインゲームにはまり始めました。

オンラインゲームではチャットで普通に話すことが出来ました。

現実世界では話すことが出来なかった僕ですが、オンラインゲームという世界では普通に話し友達も作ることが出来ました。

僕の中で世界は現実世界とオンラインゲームの世界が同じと思えるくらいにオンラインゲームの存在が大きくなっていきました。

今でいう「ネトゲ中毒」です。



ですが、こんな状態が長く続くわけがありません。

何より引きこもっていたので当然無職ですし、収入がありません。

毎日派遣社員の時に貯めていた貯金を切り崩しながら生活する日々でした。

幸い無駄遣いをせずコツコツと貯金をしていたので、派遣社員とはいえ少しばかりの貯金はありました。

ただ、いつまでも働かないわけにはいきません。




~とうとう自殺を図るように~




うつ病になって引きこもってから8か月くらいが経った頃、とうとう貯金の底が見えてきました。

残りのお金が無くなっていくにつれ自分の中での不安感はどんどん増していきました。

その頃から「自殺」を本気で考えるようになりました。

貯金が底をつき、このままではいけないと分かってはいました。

ですが、かといって「もう一度働く」という選択肢は自分の中にはありませんでした。

「働くくらいなら死んだ方が良い」と本気で思っていました。

もう世の中には疲れ果てていましたし、1年近く引きこもっていたわけですからもう社会復帰は無理だと思っていました。



その後、マンションの屋上に登って「いつ死のうか、どのように死のうか」について考えるようになりました。

マンションの屋上から飛び降りようとして、家族に止められたこともあります。

家族からしたら当時の僕はものすごく心配だったと思います。

ですが、そんな家族の心に気を遣えるような余裕は僕にはありませんでした。



それからどうせ自殺をするなら楽な死に方が良いと思い、インターネットで色々と調べてみると「完全自殺マニュアル」という本がある事を知り、家族に内緒でこっそりと取り寄せました。

その本を読みながらどの自殺方法が良いのかじっくりと検討していきました。

その本を読んでいると「いよいよ自分は自殺をするのか・・・」という実感が湧いてきました。

そのような自殺の準備をする日々の中、いつものようにマンションの屋上に登り死ぬことを考えました。

「死んだらどうなるのだろう・・・」「魂はどこにいくのだろう・・・」という考えに耽りました。

死ぬことはもちろん怖いと思いました。

特に死ぬ瞬間は想像できないだけにより怖く感じました。



ちょうどその時「どうせ死ぬなら最後に1か月間だけダメ元で生きてみよう・・・」と何故だか分からないのですが思いました。

「もし1か月間生きてみてダメだったらその時死のう、よくよく考えたら死ぬのはいつでも出来る」と思ったのです。

今考えてみても何故そう思ったのかはよく分かりません。



~生きている価値が無いゴミだと思っていた僕にくれた、昔の同僚からのメッセージ~




そして怖くて見れなかった携帯電話を久しぶりに見てみると、偶然にも昔の同僚から僕の事を心配しているメッセージが届いていました。

また、「前のインターネット回線の獲得営業で人が足りていないので来ないか」という内容でした。

1年間引きこもって音信不通だった僕にメッセージをくれたことは本当に嬉しかったです。

「もう世の中に必要とされていない、死んだ方が良いような社会のゴミ」だと自分の事を本気で思っていたのです。

今考えると本当に大げさに考えていたと思います。

ですが、うつ病になると自分の全て、何もかもを自己否定してしまうのです。


著者の福田 圭亮さんに人生相談を申込む

著者の福田 圭亮さんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。