転職ばかりで働く事が嫌いでサボる事ばかり考えていた私が、仕事が楽しくて仕方なくなった話③最終話
新幹線が東京駅にさしかかった有楽町のあたりで私はビルを見上げました。
親にも相談せず勝手に東京行きを決意し名古屋を飛びだしてきました。
ワクワクする気持ちを裏腹に、初めて地元を離れるドキドキ感。
そんな気持ちを今も思い出します。
この頃私は26歳になっていました。
このストーリーは3部作の最終話③です
転職ばかりで働く事が嫌いでサボる事ばかり考えていた私が仕事が楽しくて仕方なくなった話①
転職ばかりで働く事が嫌いでサボる事ばかり考えていた私が仕事が楽しくて仕方なくなった話②
最大手エステティックサロンに勤務できる喜び
三軒茶屋という地域はこの時よくわかりませんでしたが「世田谷区」ってことだけで浮かれました。
しかし、配属前に嫌なうわさが耳に入ってきました。
情報通の同期(研修に同期が30人以上いました)がこんなことを言うのです。
そこの店長めちゃ恐いって有名だよ!!
実際に配属になったその日の事は今も鮮明に覚えています。
店長もですが、直属の先輩(年下)さやかさんが、もっときつかったのです。
その先輩さやかさんは沢尻エリカ風のきつめの女性で都会風をふきまくる美人でした。
私の前でドアをバンッと開けて掃除している私にぶつかりました。
小心者の私は完全に小さくなっていました。
そんな時店長はチラっと見たあと、無視してデスクでネイルを塗っていました。
この時の私のイメージは、
店長が親分で、先輩さやかさんが子分!(実際はそんな事はありませんでしたwww)
私はターゲットになりませんでしたが他の社員はよくこの二人に呼び出され(夜の飲み会に)泣かされていました。
周りのみんなは口出せず下を向くばかり。
店長は「お店の売上」が自分の成績。
成績の上げられない子は「むかつく子」の対象でした。
でも”泣かせる作業”はさやか先輩がやるのです。
売上あげるしかない!!
私はそう思いました。
かろうじて前職の経験がある私はすぐにトップの成績をおさめ、店長に気に入られました。
すると気に入らないのは、さやか先輩です。
はい。ターゲットに見事になりました。
夜の食事会でのいじめ・・・。よくわからないけど泣かされたのだけは覚えています。
そして、それ以上に辛かったのは毎日の営業です。
朝は7時に出勤の事も多く、帰りは20時の営業が終わってからの勉強会。
少し早く終われば必ず店長に呼び出され飲み会。終電は当たり前でした。
今はブラック企業となり考えられませんが、当時この業界では「あたりまえ」でした。
営業時間内もゆっくりした時間は全くありません。
一日に10人位を接客。
「休憩時間という名の時間」には電話対応、受付対応、そのすきにご飯をかきこむ。
それでも接客に追われる体力疲労だけなら天国でした。
本当の地獄は精神面。
これがエステティシャンが続かない本当の理由です。
商品販売やチケット追加販売など「毎日」「全員に」営業をかけないと叱られます。
前回50万円のチケットを購入したお客さまにもまた何か販売しなくてはいけません。
当然ですが、毎回お客さまに嫌な顔をされます。
「有難う」なんて言ってもらったことなんてありませんでした。
この時、私は30歳近くになっておりました。
独立を夢見ながらも、もう一度レベルアップのための転職をし、エステ講師となりました。
そこから8年講師経験をし、38歳で独立。
自分のサロンを開きました。
若かった頃、
「とにかく続かない」が代名詞だった。
「すぐ投げ出す」が代名詞だった。
次々と辞めるエステサロン現場を10年勤務した事。
続けた事で「何か」が見つかりました。
人が出来ない事が出来るようになる=これが楽しさだ!
そうわかりました。
今の私は、今の私で「人より出来ない事」がまだまだ沢山あります。
昔の私は「人より出来ない事=楽しくない事」でしたが、今の私はチャレンジできる喜びに変わりました。
チャレンジは、必ず「成長」というご褒美がついてくる。
成功しても。失敗しても。
いや、むしろ失敗する方が大きく成長出来る。
それがわかった今、チャレンジ続きの「仕事」は楽しくて仕方ないのです。
終わり
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