アメリカ企業から中国に派遣された日本人が地獄を見て学んだこと(1)

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世間は東京オリンピックに向けて盛り上がっていますが、これは10年前、北京オリンピックに向けて中国が盛り上がっていた頃のお話です。


当時、私はアメリカのコンサルティング会社で働いていました。思えば、ある日いきなりボスがアジアの責任者になり、

Boss
中国オフィスで人を雇うから手伝って

と言われ、人を採用するところからこの地獄は始まりました。


初めて北京に降り立ったのは、2007年春。当時、中国とインドは経済発展がめざましく、ひとまとめにして扱われることが多かったんです。でも、仕事の関係でインド経由で中国に行った私は、北京があまりにも近代的すぎて、文字通り目が点になりました。


砂埃舞う大道路を、牛と一緒に車線を無視しながら車が走るインドの首都と、片道4車線も5車線もある美しい高速道路をピッカピカの車が整然と走る北京では、天と地ほども違うではないか!と。当時、北京は建設ラッシュで、オリンピック前の突貫工事および美化運動をしていることを、最初は知らなかったんですね。


オフィスも外資系企業が多く入っているエリアにある高層ビルにあって、新しくて快適。仕事は中国人エリートを相手に採用後のトレーニングをして、後は営業の手伝いをするだけ。夜は楽しく中華料理を食べた後、おしゃれでお金持ちの中国人が集うクラブに行って踊って、面白い事この上ない。


というような出張を2、3回したでしょうか。中国ってイメージとだいぶ違うなあと思っていました。


が・・・


実は私とボスの知らないところで、ある大型案件がえらいことになっており、顧客から「金返せ」と言われたところから、事態は暗転します。


顧客は中国では知らない人はいないという大きな会社で、他の顧客への影響力がとてつもなく大きいと思われていました。どうしてもこの案件を失敗させるわけにはいかない。費用がかかってもいいから、立て直せ。との命令を受けたボス。多大なるプレッシャーの中、なぜかボスが思いついたアイディアは・・・



Boss
よし、君、中国へ行ってプロジェクトを立て直してくれたまえ」


・・・え?私?これを押し付けられるのか?いや、待て、その前に中国語しゃべれないし。

Boss
大丈夫、通訳つけるから


え?そうなん?でもいつまで?

Boss
2、3ヶ月で立て直せると思うから、大丈夫


てな感じで考える暇もなく、大急ぎでビザを申請して、翌週には北京の地に再び降り立った私。ちなみにまだ子供はいなかったが結婚はしていて、夫をアメリカに残しての長期出張。それでもまだこのときには、早く終わらせて帰ろうという楽観的な希望はあったのです。


面子


北京に住む事になって最初に買ったのは、ワイン。スーパーでワインオープナーを買おうとして、英語で「これいくら?」と聞いたら、皆が指でバッテンを作る。「売り物じゃないって言う意味なの?なんで?」と思ったら、「10元」の意味だったという。漢字の十をバッテンで表していたらしい。ジェスチャーすら分からない環境でこれから生活して行くのか・・・とちょっと不安になったことを覚えています。


そんな私が最初に学んだのは、「日本人だと知られてはいけない」ということでした。理屈じゃなく日本人を嫌いな人がたくさんいるのです。なので、普段ははっきり聞かれない限り、アジア系アメリカ人のふりをしていました。そして、初めて会う人の前では、中国語が分かっているふりをしていました。当時、日本人に対して暴力を振るう事件などもあったので、思わぬ危険から身を守るためです。それに、お客さんも共産党員が多くて、日本人に対して悪いイメージを持っている人が多かったんです。


さらに、悪い状況を成功に持って行くために送りこまれた人間にとって、日本人であることは大きなハンディだということを、後々思い知る事になります。


2番めに学んだ事は、中国人にとって面子が何より大事だということでした。このことを知らなかったために大失敗をおかしてしまったのです。


大型案件の立て直しということで、プロジェクトメンバーの職場であるクライエントのオフィスに初めて行ったとき、ちょっとしたカルチャーショックを受けました。都心にある本社ビルは立派だったのに、私の職場は新しく見積もっても1960年代に建てられたと思われる、今にも崩れ落ちそうな四角いコンクリートの建物。生まれてこのかた、こんな汚い所に入った事はない・・・。そして中に入ると、廊下の端や階段のいたるところに落ちている、ゴミの山。


隣には車の修理工場だと思われる小さいガレージがあるのですが、そこでは半ズボン以外なにも身につけていない真っ黒に日焼けした年齢不詳の男が、毎日年代物の車を修理していました。その横には百貨店と書かれた小さいコンビニのようなところがあり、皆そこでタバコを買い、道ばたで吸いながらたむろしています。車道は舗装されていますが歩道は砂みたいな道に、この学校のような建物は立っています。


そんなオフィスで毎日働きながらクライエントに怒鳴られていたプロジェクトチームを、私はまとめることになりました。


チームは15人くらいだったのですが、既にマネージャーが二人いて、プロジェクトマネージャーまでついていました。でも、誰もプロジェクトの進捗を説明できず、次に何をしなければいけなくて、いつプロジェクトが終わるのかも見通しが立てられないというような状態でした。クライエントの責任者はかなりの切れ者で、チームの統制が乱れている隙を狙って、重箱の隅をつつくように色々な指摘をし、無料でサービスを提供するように脅してきます。


一緒にアメリカから連れて行った人たちと一緒に、「この状態は一体何?なんでこういうことになったんだろう?」と頭をひねる日々でした。


私はまず、状況を把握するために、チームとクライエントを観察する事にしました。しばらく観察した後で分かったのは、皆が「言っている事とやっている事が違う」と言う事でした。例えば、マネージャーが現場で起きていることと全く違うことを私のボスに報告していて、ボスがそれを額面通りに受け取っていたために、状況が悪化するまで気づかなかったということが分かりました。


これを見て、日本で生まれ育ってアメリカで働いていた私は、短絡的に、

「こんなことをわざとやっているなんて、嘘つきでプロ精神のかけらもない仕事のできない奴だ」

なんて思ってしまったのです。


とうとう、1ヶ月くらいたったある日、マネージャー二人にキレてしまいました。二人を呼び出し(と言っても与えられているのはチームで一室だったので、階段の踊り場で)、爆弾を落としました。


「マネージャーのくせに責任を取らないなんて、あなたは自分の仕事をしていない。あなたのパフォーマンスはunacceptable(到底受け入れられない)だ!」と。


女性の方は泣き出し、男性の方は怒鳴りながら帰ってしまいました。


そしてチームの部屋に戻ると、アメリカから来たチームは「よく言った」みたいな感じなのに、ローカルチームからはものすごく冷たい目で見られます。


自分が正しいと思っていた私は、「皆のために言わなきゃいけないことをきっちり言っただけなのに・・・」と訳が分かりませんでした。


落ち込んだまま仕事を終え、本屋で本を買いました。一つは兵法を現代ビジネスに当てはめて書いた本、もう一つは外国人が中国でビジネスをするにはというハウツー本でした。読んでまず分かったのは、中国人にとって面子は何よりも大事だと言う事でした。


面子がすべての行動規範になっているらしく、それをつぶすことは社会的タブーらしいです。そう言われてみれば、言動がちぐはぐなのも面子を守るためならば納得できるし、ボスに事実ではない報告をするのも、うそをついている訳ではなく面子を守っていただけなのかも知れない。クライエントにはっきりノーと言えないのも面子のため。面子をつぶされた人より面子をつぶした人が社会的に制裁されるのも納得がいきます。


分かってないのは私だった


そして、やっと当たり前のことに気がつきました。

私は今、中国という異文化の中にいる。日本で育った私がアメリカで仕事をする中で、いっぱしの「国際人」(←ザ・昭和)になった気がしていましたが、私のやり方は、単に自分の知っているアメリカ企業のやり方を、違う国に来て押し付けていただけ。

「遅れている中国に、アメリカのベストプラクティスを教えてあげよう」という、私の勤めていた会社の思い上がりそのものを、私自身が体現していたことに。


違う文化を持つ国で、しかも自分たちが一番と思っている国で、そんなやり方が通用するわけがない。


これが、プロジェクトがうまくまわっていない真の理由であり、私がそれを全くなおせていない理由であるのだと。


これに気づいたときから、私はただひたすら中国人を理解し、中国での仕事のやり方を習得しようと考えたのでした。



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