top of page

13/12/10

転職大魔王伝「オレ、アメリカのお寿司屋さんでアルバイト。」1

Image by Olia Gozha

自己紹介


taichijungleです。

音楽とWEBの仕事をしている41歳です。

10代後半から20代前半は絵描きを志して職を転々とし、20代中盤から20代後半は人生に迷って職を転々とし、30代以降はキャリアアップのために職を転々とした結果、就職7回・アルバイト29種類・起業2回という落ち着きの無さの為、周囲の仲間に「転職大魔王」というありがたい称号をいただきました。

その中でそこそこ印象に残っているものを、憶えている限り綴っていこうと思います。



アメリカのお寿司屋さんでアルバイトした話。


21歳の頃、約3ヶ月ほどアメリカへ行きました。

美術系高校を卒業し、某美術大学を目指し上京。美術予備校に通いながら二浪するもことごとく失敗。

渋々就職した会社(1社目)も、1年半で嫌気がさして退職しました。


オレ「日本は、オレには小さすぎるぜ。」

と本気で考え、次なるステージを探しにアメリカ大陸へと渡りました。

ええ。本気でした。



オレ、渡米。


ちょっと長くなりますが、まずはオレが渡米した時の状況を。

やると決めたら動かないと気が済まないタイプの当時のオレは、衝動的に航空チケットを入手し、同居していた弟にめんどうな事は全て押し付け、恐ろしい速さで旅支度を整えました。

荷物は、古いカメラ1台と大量の白黒フィルムと、3日分の着替えだけを突っ込んだフリマで買ったボロボロの革のトランク1つ。

これからBIGになる(予定の)オレにはこれだけで充分でした。


そんな破天荒ぶりが仲間たち(特に若い層)に支持され、未来永劫の別れのようなオーバーな見送りを受け、オレも何だかその気になってました。


オレ「ちょっと壮大なお散歩に行ってくるわー(ニコッ」

仲間たち「タイチさんカッケーっ!!!」


みたいな。



そして、オレは成田から日本を飛び立ちました。

しかし、離陸後すぐに自分の準備があまりにも不十分である事に気付かされました。


飛行機内で渡された「出入国カード」が、英語で全くわからない。

(むしろ、その存在すら知らなかった)

そう。

オレ、英語が全くわからなかったんです。


オレ、「あいきゃんとすぴーくいんぐりっしゅ」すら言えない。


最初の目的地は「ワシントンDC」でした。

母親の親友のお姉さんが、アメリカの方と結婚してバージニア州(DCを東京に例えるなら、埼玉みたいなとこ)に住んでいるということで、まずはそのおばさんのところにお世話になることになっていました。

なので、DCの空港でおばさんが迎えにきてくれていました。(当然、初対面)

が。

・「ワシントンDC」と「ワシントン州」があることを知らず、どっちに行っていいのかがわからない。(位置的に東西真逆)

・滞在先の欄に「Mother → Friend → Sister's house」と記入。

・渡航目的に「Walking(お散歩)」と記入。

・パスポートの写真が日本人離れし過ぎていた。(当時のあだ名が「マニラ」)

このような問題があり、全くアメリカに入れてもらえません。

2時間程別室に詰め込まれた後、やっと日本語が話せるおねぇさんが現れ、昼間に到着する予定だったオレがおばさんと再会を果たした時は、とっくに深夜になっていました。(当然、、、初対面)


オレ「まずい。これはとことんまずい。」

お散歩どころではありませんでした。




オレ、慣れる。

結局、おばさんの横にくっついて出掛ける以外は、10日間程ほとんど家の中で過ごしました。

だってみんな何言ってんのかわかんない上に、無駄にフレンドリーで我慢強い。

オレが返事するまで、もう何度も何度も身振り手振りも入れてコミュニケーションを取ってくるんです。

何とすばらしい国民性。

ですが、その時のオレにとってはありがた迷惑でした。

しかし、、、このままじゃまずい。とことんまずい。

その時のオレの時間潰しはもっぱらTV。

一日に10分だけ放送される日本のニュースと、その再放送だけが楽しみでした。

その番組を待つ間、向こうの映画をぼーっと見ていたら、何となくところどころ理解できる単語が耳に入ってきました。


オレ「あれ?これ、学校で習ってなかったっけ?」


信じられないと思いますが、中学校までのオレは勉強がかなりできるほうで、特に英語は大得意でした。

遊び倒した高校三年間で全て忘れた気でいましたが、落ち着いて耳を傾けてみると、あの頃に習ったあの英文とそんなに変わりませんでした。


その日、おばさんにお願いして日本の英会話本が売ってあるデパートへ連れていってもらいました。あの時、おばさん喜んでたなぁ。


それから5日っくらいで、オレは一人でお散歩や買い物に行くようになりました。

だってみんなすげぇ親切だから、わかんない言葉は聞けば丁寧に教えてくれるしね。

ひさしぶりに全開で勉強し、わからない言葉はおじさんとおばさんに教えてもらいました。

やっと準備が整いました。






オレ、旅に出る。


おばさんの職場(花屋さん)や、おじさんの仕事(デリバリー)を手伝ったりしてるうちに、オレはちょっとしたアメリカンジョークに反応できるっくらいまでは英語に慣れてきました。

近所の5歳の女の子の家来にされて学校に遊びにいったり、一人で電車に乗ってDCを観光したりしていました。


でも、ちょっと退屈しはじめました。


オレ「DCも、オレにはちょっと小さすぎるな。」

悪い虫、再発生です。

すぐにおばさんに相談し、アムトラック(日本でいうJR)の1ヶ月間乗り降り自由のチケットを買い、アメリカ東半分を廻る旅に出ることにしました。

DC → アトランタ → ニューオーリンズ → メンフィス → シカゴ → ナイアガラ →バッファロー → ボストン → ニューヨーク → フィラデルフィア → DC

を廻りました。

当初の予定通りの、壮大な「お散歩」でした。

事前に宿を取らず、気に入った街に気に入った期間滞在し、現地の人に聞いて安宿を探し、観光地よりも「その街の暮らし」を見るためにひたすら歩きまわり、写真を撮りまくりました。

この頃のことは今でも鮮明に思い出せます。人生最高の時間でした。

(当然クソ面白い話しがたくさんあるのですが、それは別機会)

たくさんのものを得た旅から戻り、おばさんと感動の再会を果たした時、

失ったものも大きいことに気付きました。


オレ「か、金が、、、、もう無い。」


まだ帰りたくないオレ!

一体どうするのか!?

(次回はやっと本題!)

←前の物語

PODCAST

​あなたも物語を
話してみませんか?

Image by Jukka Aalho

フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」

情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般...

大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。

今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ...

受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1

僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で...

あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。

「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と...

あのとき、伝えられなかったけど。

受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分...

ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話

爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと...

bottom of page