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13/12/10

生まれてこのかた【生きることは掻きむしること】と思い続けてきたアトピッ子のボクが、ツルツルピカピカの肌を取り戻すことができたストーリー(1)

Image by Olia Gozha

どうしてカユくないの? が理解不能でした。



体重4,000グラム。 ほぼこんなときの記憶なんてないのだけれど、この頃からモノゴコロがついて以降、ボクは30歳過ぎまで、【生きることは、肌を掻きむしって血を流すこと】だと思い続けて生きてきた過去を持っています。


なので、この写真以降、30過ぎになるまで肌がキレイな写真は1枚もありません。 まぁそんな理由から、写真を撮られることも大ッ嫌いでした。そりゃそーですよね。



- - -



はい、ボクはアトピーです。いいえ、正しく書けばアトピーでした。 いやいや、持って生まれた基本的なカラダの性質は変わらないのかも知れないのでーーー

今は、ほとんどアトピーじゃない

ーーーが一番正しいのかも知れませんが、今は、ツルツル・ピカピカの、誰もが羨む肌を手に入れました。

え? 自慢じゃありませんが、
そんじゅそこらのアトピーじゃありませんよ。


前述のように、ボクはモノゴコロついたときには全身アトピっこで、『3人姉弟の中で、なぜボクだけがアトピーで苦しまなきゃいけないんだ?』とーーー


気がつきゃ、いや、無意識でも掻きむしり、

血を流しながら、

そして掻いたあとに襲ってくる痛さで

全身丸くなってうずくまり、

ムリにカラダを伸ばそうとすると皮膚が張り裂ける激痛に耐え、

もう誰にも会いたくなくて、

外になんか出たくもなくなって…


ーーー それは、周囲の友だちのツルツルの肌を見るにつけ、本気で『こいつら全員殺してやる』と思っていた過去を持っています(笑)




そしてなにより不幸だったことは、その姿をみていた母が、それこそ家を一軒建てられるほどのお金を、ボクのアトピー治療のために使っていることを知っていながらも、こんなカラダに生んだ両親をボクはずっと恨んでいた…という事実であり、今、考えると申し訳ない気持ちで一杯だけど、こっそりこのまま死んでやろうと何度も思っていた…という事実です。

今、考えるとあまりにも不幸です。



- - -

前フリが長くなってしまいましたが、そんなボクのアトピーが30才を過ぎる頃から激変し、今ではツルツルでピカピカで、「石山さんって若いですよねー」とまで、周囲から言われるような肌を手に入れるまでのストーリーを綴ってみたいと思います。



自分のコンプレックスが解消されたときの開放感は、
本当に、生まれ変わったことと等しいと思いましたよ。





ここで肝心なことは、ボクが経験してきたことは、薬による治療や、湯治や、キツイ食事療法ーーーという治療らしい治療をまったくしないで、ホント、「期せずして治ってしまった」という体験談です。

で、もしや、この経験は、今、アトピーで苦しむ数百万人にとってお役に立つかも知れないのでは?と思い公表することに決めた次第です。


【ご注意】


これから、折に触れてボクのアトピーがどうして治ったのか?という自己分析を踏まえながら書いていこうと思っているんですけど、注意して欲しいのはボクは医者でも薬剤師でもインドの奇術師でもないので、ご注意して頂きたいということです。そう、これはあくまでもボクのケースであるということ。

 
ということで、次回から、まずはボクのアトピーの症例(どんな現状・症状だったのか?)という詳細と、なにがキッカケで治ったと思うのか?、それは何故か? ということを具体的に、徹底的に書き綴っていきたいと思います。



アトピーじゃない方は想像もできないかも知れないけれど、「たかが皮膚じゃないか?」「死ぬわけじゃないじゃないか?」と言うなかれ。




誤解を恐れずに言うのであればーーー



「痛い」「死んじゃう」というような苦痛の方が、まだマシじゃないのか?




ーーーというほど、精神的に鬱(うつ)になってしまう精神的病いーーーそれが「アトピー」という皮膚病なのだと思います。







 かゆい → 掻く → 血が出る → 痛い → 皮膚が伸ばせなくて動けない → 汚い肌 → 落ち着かない → 情緒不安定 → 誰にも見せたくない → 外にも出たくない → 着たい服も着られない → ファンションなんてどうでもいい → もう放っておいてくれ → 良薬の噂を聞く → 飛びつく → 死にものぐるいで試す → たいした効果もない → また同じかという落胆 → かゆい →(ふりだしに戻る)

順不同ですけど、こういうスパイラルを延々と続けなければならない苦痛は、まさに生き地獄です。 しかも、その間、一瞬も「お休みナシ」で、カユいんです。

 

だから、苦しんでいる方がもしこれを見ていたら、まず、こう思って欲しいんです。



大丈夫。ボクはその気持ちはとってもわかります。

暗くなるのはやめましょう。希望を持ちましょう。

克服した人間もちゃんとここにいたんだから、、、ということを。


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