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13/12/27

医学生がなぜか休学してアフリカを旅した話。

Image by Olia Gozha

「1年間休学させてください」

 大学1年の秋、休学申請手続きを始めた僕に対する反応はなかなか厳しいものだった。

・ 理由が何であれ、休学・留年で学年を下げることは、その後の実習などで不利

・ 秋田大学では医学教育のカリキュラムが年々改変されており、「遅れ」が発生するため、復学後に独学で学ばなければならない分野が出てくる

 上記のような具体的な「休学のリスク」を担任教授や学科の先輩から延々と聞かされた。そもそも医師不足で騒がれる現代において、たかが1年とは言えど、医師として生涯労働年数を減らす行為が簡単に許容し難いのは当たり前だろう。

 

 最終的に、担任教授の心ある理解と助力のおかげで僕は「休学許可証」をもらうことができたが、聞く所によれば「自由休学」を許可しない医大も多いそうで、そういう意味でも僕はラッキーだった。

大学一年・閉塞感の毎日


 大学に入学したのは1年間の浪人を経た2010年・21歳の年だったが、華やかな気分に舞い上がっていられたのも最初の数ヶ月だった。

 さほど意義の感じられない無機質な一般教養授業や、教科書の写経のような課題。自由選択科目に「自由」はなく、「医学生は部活に入って酒を飲みまくれば社会が分かる」と何をどう悟ったのか豪語する上級生。安泰や無難を好み、それなりに楽しければ良しとする風潮...。

 

 思い描いていた「医学生」とのギャップに戸惑っている内に、気づけば自分のことばかり棚に上げ、冷めた目で周囲を傍観する自分が出来上がっていた。

夏を迎える頃、僕が最も感じていたのは”閉塞感”にも似た感情だった。批判するつもりは毛頭ないが、僕個人としては良くも悪くも医学科内で自己完結しているような風潮を感じずにはいられなかった。


「このまま医療関係者だけの世界で自分の人生が完結してしまうこと」、それを僕は嫌った。


「良い医者」の定義は難しい。技術やプロフェッショナル意識、人間性、その他いろいろな要素を統合した優れた理想の医師像。


「自分にとってのそれがまだ何か分からないが、少なくともそこに近づくには、このある意味”居心地の良い空間”だけに浸っていては駄目なのでは?」


 そんな疑問と懸念が胸中をぐるぐる渦巻き、終いには「そもそも本当に医者になりたいのだろうか」と、前提すらも疑い始めていた。

 とにかく前向きな時間が必要だと感じた。自分自身と向き合い、今一度考え直す時間。


 こうして、最終的に「休学し旅をする」という道を選択した。こうして、最終的に「休学し旅をする」という道を選択した。

なぜ旅?

 なぜ「旅」なのか。


 直接的なキッカケは高2の夏に旅したインドでの経験だった。たった3週間の短すぎる旅ではあったが、ただ楽しかっただけではなく、自分の人生に大きく、広く、深く還元された。


 思い返せば「医者になりたい」、初めてそう感じたのもインドでのことだった。

  たかだか3週間のインドでおおまかな自分の人生の方向性が決まってしまったのだ。もし1年間、旅というツールを用いて未知の広い世界に身を置いたのなら、いったい何が得られるのだろうか、そんな妄想をするとワクワク感が止まらなかったし、「医者」という志を再確認するのに自分に最も適した手段はコレしかないと思った。



 日本に固執していては得られない”得がたい”経験をしたい。様々な人と価値に出会いたい。そしてそれを全部スポンジみたいな心で吸収して、自分の常識の壁をぶち壊したい。将来自分の子供に”ドヤ顔”で語ってやれるような、一生の武勇伝を作りたい。


 何より、自分が何をしたいのか、何をするべきなのか、今一度見つめ直したい—-そんな思いが僕を旅に駆り立てた。

なぜアフリカ?

建前

 行き先は「アフリカ大陸」とした。


 独裁政治や民族・宗教対立、多くの危険と異文化、経済発展に伴う格差の拡大や伝統文化の消失、砂漠化などの大規模な環境問題や移民問題、食糧難による飢餓と想像を絶する貧困・・・


 「アフリカ」と聞いたとき、様々な混沌がイメージとして浮かぶ。日本においてもTVや本で紹介されることは多いだろう。

 だがしかし、本当にそれだけが真実なのだろうか。”日本にとって距離も意識も最も遠い国々”—「自分自身の目でリアルなアフリカ を見てきたい」そんな思いを強く抱いていた。

 また、もともと「途上国でひとを生かし自分を生かすような仕事を」という思いから医者を志したこともあり、将来自分の医療キャリアを展開するフィールドの1つとして、アフリカを視野に入れている、というのも理由の1つだった。

 

 世界の恵まれない病める者に医療を提供できれば・・・そう考えたときアフリカ大陸は絶対に無視できない場所の1つだろう。

「医療系の視点からアフリカを見たいのであれば、医師免許を取ってから行けばいいじゃないか」、そう何度も言われた。座学すら習っていない当時であるから、もっともである。

 だが、このタイミングで休学することは譲れないポイントだった。インドで多くを学んだが、「あの経験はあの時だったからできた」はずだ。あのタイミングじゃなかったら全く違った経験になっていたかもしれないし、あるいはその経験自体ができなかったかもしれない。


 人生に強烈に影響することであればあるほど、なるべく早いうちに手を染めるべき。今の自分が学べることを学ぼう。そんな思いがあった。

本音

 ・・・とそれらしい理由を書き綴ってみたが、結局のところアフリカを選んだのは尊敬する旅人・石田ゆうすけさんの一言だったように思う。


 彼は自転車で7年半かけて世界を回った著名な旅人で、浪人していた頃にとある経緯で酒を酌み交わす機会に恵まれた。

 そんな石田さんが「どこが一番良かったか、って質問に答えるのは難しいけど、アフリカは印象的だった」と缶ビールを傾けながら語っていた。その頃からアフリカに対する興味が芽生え始めたように今は思う。

そして旅立ち


 休学に際し、周囲から反対こそされなかったが、理解してくれる人は少なかった。


 「医学生なのに〜」と医学生であることがまるで本分であるかのように人は言うが、医学生である前に僕は一人の人間で、ただ自分の生き方と選択に対して腑に落ちる納得がしたかった。


 なにも医学生が旅をしてはいけない道理などない。チェゲバラだってもともと医学生だ。

 言葉では到底追いつかなかったそんな雑多の心のモヤモヤは、アブダビ経由モロッコ行の航空券を購入した瞬間、少しだけ晴れた気がした。

 こうして2011年3月12日、僕の乗った飛行機は深い夜の闇へと飛び立った。


((つづく))

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