【1】大学卒業後、ろくに就職もせずにカケモチでしていたバイトを辞めて7日間だけの旅に出たら、人生が少しだけ明るくなった話。
大学4年。学生と社会の狭間をひたすら反復横跳び。将来を少し後回しに。絶好のモラトリアム期間である。
あれだけ長い、長いと思っていた大学生活が終わりを迎えようとしていた。
決して真面目とはいえない親不孝な私立大学生だった僕は、本来であれば4年の前期で取り切れたはずの単位を落としたため、4年の後期まで授業をとることになっていた。授業が終わった後はバイトまで仮眠、早朝にバイトが終わった後、家に帰宅して寝て、夕方に起きるといった風に、体たらくな日々をひたすら消化していた。
学問を極めるべく入学した大学の4年間で唯一、打ち込めた事といえば学園祭の実行委員くらいだった。最終的に委員長を努めたこの猫背気味の丸い背中が唯一、背負っているものといえば、社会では全く役にたたない薄っぺらいプライドだけだった。
就職活動。大学4年にもなると、周囲の同期が就職を決め、各々が春からの内定先での活動に胸を踊らせる。そんな時期だった。
周囲の友人が、自己分析や就職ガイダンス、そして「面接官に印象の良い履歴書の書き方」等に没頭している様子をみながら、僕の胸は複雑な心境だった。
メーカーで営業?銀行?家電量販店?!それってみんなの「人生において本当にやりたいこと」なのだろうか。。。
僕はいつの間にか友人達との間に心の距離を感じるようになってしまっていた。
そして結局、自分自身の「本当にやりたいこと」を突き詰める事も出来ぬまま、
1度も就職活動をする事もなく、2012年の3月、大学を卒業した。
大学卒業後は、在学中に続けていた「セブンイレブン」の夜勤アルバイトと、「美術館」の展示物の監視員を続けながらなんとか生計を立てていた。当時の生活リズムはめちゃくちゃだった。それに加えて、夜勤で勤めていたセブンイレブンの深夜帯に来るお客さんが強烈すぎて、毎日なにかしらのハプニングが起こっていたのだった。←夜勤の話は今度かきます
それもあいまって、卒業して3ヶ月たったある日、僕はついに体調を崩した。
不規則な生活で肌も荒れまくり、在学中は63kgだった体重が75キロまで増加。常に口内炎、寝不足、情緒不安定状態だった。当時つき合っていて僕の頼りない状況を応援し、支えてくれていた最大の味方だった彼女とも、別れる事になってしまったのだった。
彼女と別れた事によって、僕が静岡で生活する事との意義が「限りなく」ゼロに近づいたのだった。
富士山の見える部屋。最終的に僕の部屋は4畳半程でキッチンが共同の安アパートに暮らしていた。
ベッドの上で仰向けになり、天井をみながら自分の半生を振り返る。
このまま今の生活を続けていても、僕の人生に輝かしい将来や、何の生産性も無い事は誰がみても明らかだった。
4月。僕はバイト先近くのスクランブル交差点に立っていた。
新年度が始まり、交差点には新たな環境で生活をスタートするであろう、清々しい顔をした人々が道路の対岸へ向けて希望のまなざしを向けている。それに僕は必死でとけ込もうとした。
ーーー信号が、青になる。
僕は、その清々しい顔をした人々の中に溶け込むことを諦めた。
対岸に向けて歩いて行く事ができなかったのだ。
自分が情けなく、彼女にも見放された自分がどうしようもないくそ人間に思えたからだった。
結局僕は、そのままその日の用事を済ませる事無く、そのまますごすごと家へトンボ帰りしたのだった。
このどうしようもない現状を打破する為には、自分の生活リズムを整える事が重要だと考えた。
そんなある日、1通の郵便が届いた。
「陸上自衛隊 予備自衛官補 教育訓練召集案内」
大学の在学中に、広報官の人に言われるがまま受験していた、自衛隊の試験の中で唯一、
「予備自衛官補」といわれる「非常勤の自衛官」になるためのテストを運良くパスしていたのだった。
※「予備自衛官」とは、常勤の自衛官ではなく、普段私たちのように社会で一般の仕事をしている人を対象に、有事の際に召集がかかる隊員の事である。自衛官OB等で構成される事が多いが、現状は学生や民間の社会人も多数在籍している。
現在は4月。訓練の開始は7月からの約3ヶ月。もう答えは決まっていた。
完全に思いつきである。
僕は掛け持ちしていた2つのバイト先に「6月いっぱいで辞めます。」そう伝え、予備自衛官の訓練を受ける為に、準備を進めたのであった。
バイト先のスタッフの方々は「ついに決めたか!」「頑張って!」等、応援の言葉をかけてくれた。ろくに就職しない自分を、遠巻きに温かく心配してくれていたのだった。
自衛隊の訓練開始は7月の半ば、バイトを辞めたのは6月末。
僕には2週間ほど、自由に使える時間があった。
訓練は3ヶ月弱で終わってしまう。
その先も僕は相変わらずスーツを着て仕事をする予定もなかったし、そんな気持ちも持ち合わせていなかった。
かといって、それを打開するような策もなく、僕は途方に暮れた。相変わらずクソである。
そしてある1つのアイデアを思いついた。
よし、原付で西日本を放浪しよう。ルートも決めずに全部思いつきで!色んな人に会いに行こう!
特に職歴も無く、中途半端な学歴そして彼女とも別れバイトも辞めた。俺に失うものはこれ以上なにもなかった。
そして僕はこの旅にルールを決めた。
・必ずゲストハウスに泊まる
・知らない人でも積極的に話しかける
・その人がどんな生活をしていて、どんな人生を送ってきたかをきく。
当時自分の中のゲストハウスのイメージは、陽気な外国人だったり、ヒッピーチックな人だったり、なにかしらグレーな商売で生計を立てたり、いわゆる「ノマド」的生活を送っている人が集まるような場所だと考えていた。
「ほんとうに自分のやりたい事だけをやって生きている人たち」
がゲストハウスに集まるようなイメージが、僕にはあった。
まだ顔を知らない、その人たちに僕は会いに行く事にした。
この道をまっすぐ行けば、なにかしら見えてくるだろう。
だいたいそれで人生なんとかなってきた。今回も、行こう。
2012年7月1日。僕は原付にまたがり、新たな出会いを求め、出発した。
とにかく西へ、西へと向かった。
その2へ続きます。「話題のストーリー」にチョイスして頂きありがとうございます!
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