Vol.1『高校で上の下クラスだった男が、プロテニスプレーヤーを目指した』話
僕の波瀾万丈な人生。
その始まりは いつからだったか?
今回は、それを綴っていきたい。
具体的には、高校2年生だった当時がその始まりの様だ。
中学からテニスをやってきた、キャプテン・部長等の肩書きは背負っていなかったが、
ポジション的にはレギュラーであり、部内で1番、もしくは2番目(エースのw君とは当時の親友、かつライバル的存在)であった。
卒業アルバム↓
また、中学はそこそこの強豪校であり、団体・個人戦での上位入賞をそれなりに
していたことで有利に高校進学を決めた。
よって、高校入学後もテニス浸けの毎日と青春を謳歌するつもりだった。
しかし、入学直後にも関わらず、進学先の高校は諸事情により
部員がほぼ全員辞め、廃部寸前に追い込まれたのだ。
人数が極端に少なくなってしまい、試合にも満足に出場できない日々。。
最初こそ、「一日練習しないと、打球感を戻すのに三日かかると
分かっていたので自分は練習を続ける」
という意志の元、自宅から40分程掛かるK高まで、
サーブ等の打球練習を行うためだけに一人で通ったり、市内のテニスチームにも
参加し練習していた。
だが、部員の極端な減少で、「試合に出れない、活躍の場すら与えられない」
という、どうしようも無い無念に苛(さいな)まれ続けた。
そして、その悔しさは当初、学内の定期テストに向けられた。
テニスで味わうはずだった達成感、その鬱憤(うっぷん)を、テストの成績で
晴らそうとしたのだ。
練習は続けつつも、達成感の方向性を変えたことで、
成績は学内で3〜5番をキープし、正直悪くはなかった。(約90名中)
後に進学する大学も、入試を受けずに推薦で入学出来ていたと思われる。
ただ、それは長くは続かなかった。
『やはりテニスで達成感を味わいたい。』
ここからだろうか、僕の波瀾万丈な人生が始まったのは。。
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