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卒業してベンチャー起業したら1年で挫折・・。bravesoft創業者・菅澤が語る「2度目の創業」と逆転の人生ドラマ

著者: bravesoft株式会社

bravesoftは今年、2005年の創業から16周年を迎えた。


企業が倒産せずに生き残る企業生存率は5年で40%、10年で25%と言われているが、ベンチャー企業ではもっと厳しく、5年で15%、10年で6%とも言われている(参考:企業の30年生存率は?成功する企業の秘訣に迫ります!

会社を創ることは誰にでもできるが、続ける事こそが難しい。


その中でbravesoftが5年、10年、15年の壁を超えて、こうして16年目を迎えている事は、過酷な企業における生存競争に勝ち残った事の一つの証左であるが、この道のりは決して平坦な道のりではなく、長く、厳しく、険しい道のりであった。


今回はbravesoftの創業者であり、代表取締役の菅澤英司に16年前当時のbravesoftの創業時のエピソードを聞いた。

菅澤にとって「2度目」の起業であったbravesoft設立から、もう少し遡って学生時代のエピソードなども根掘り葉掘り聞かせて頂いたので、その"ストーリー"を本日は紹介したい。


人物紹介


菅澤 英司(すがさわ えいじ)

bravesoft 代表取締役CEO / CTO

1981年生 / 東京都出身


法政二高から法政大学情報科学部へ進学。学生エンジニアとして活動し22歳で起業。15年間で世界4拠点150名でのグループに成長。アプリ開発にいち早く進出し、これまで総計1億DL,1000件以上の開発を経験。首相官邸やTVerなど代表作の開発を主導。「最強のものづくり集団」を目指し、エンジニアリングの理想を追求。趣味はプログラミング、1人旅、ブログ、読書。


公式ブログ :https://www.bravesoft.co.jp/seblog/

Twitter  :https://twitter.com/braving/

YouTube  :https://www.youtube.com/channel/UCfdQ-g7zgBILx4Gci-UaECQ?sub_confirmation=1


きっかけは中学校の卒業式の帰り道

菅澤が起業を目指したのは大学に入って業務経験を積んでからであるが、人生においてのターニングポイントは"中学校の卒業式"と述懐する。


「卒業式が終わって家に帰る途中、ふと思ったんです。"このままだと人生つまらなくなるな"と…」


そう言う菅澤であるが、中学校時代に学生生活を楽しんでいないわけではなかった。

遊ぶ友達も多く、それなりに楽しい中学時代を過ごしていたのだが、何か"物足りなさ"を感じていた。

このまま同じマインドで、平々凡々と高校・大学・社会人と進んでも"普通"の人生しか送れないような気がして焦燥感に駆られ、何かブレイクスルーを求めたが、高校時代も友達と麻雀をしたりバイクに乗ったり、中学校時代と変わらない怠惰な日々を過ごしていた。


そんな菅澤の転機となったのは、高校3年生の頃である。


菅澤は法政大学の附属高校に通っていたが、2000年より法政大学に「情報処理学部」が新設されるというニュースを知り、そこで菅澤のスイッチが入った。

当時、日本国内ではWindows PCが日本中を席巻し、間違いなくこれからコンピューターの時代が来ると思った菅澤は、競争が激しく、狭き門と思われた情報処理学部への進学を目指し、遮二無二猛勉強を始めた。

それまでの菅澤の成績は「中の下」だったが、そこからは全教科オール5で学年1位となり、見事情報処理学部への内部進学を実現させた。


そうして大学に入学し、情報処理を学んだ菅澤のプログラミング魂に火をつけたのは大学2年生の頃。

大学の仲間とインターンシップでプログラミングのアルバイトを始め、初めて作ったガラケーアプリが月に1,000万円の売上を記録する大ヒットアプリとなった。

それだけヒットしたアプリを作ってもバイト代は時給換算だと500円程度ぐらいで、稼げたわけでなかったが何とも思わなかった。

"自分が作ったプロダクトを多くの人が使ってくれている"、それが当時の菅澤は楽しくてしょうがなかった。

家にも帰らずに会社に泊まり込み、何本ものアプリを作った。


そうして時が経ち大学生活も最高学年になり、周りの友人は就職活動を始めたが菅澤は就職活動を行わなかった。


「"起業"とかはそこまで意識してなかったです。友達とプログラミングをしているのが楽しかったですし、稼げる自信もありましたので、その延長でなんとなく自分達だけで働きたいという思いで、仲間3人で卒業後に会社を作りましたね」

「好きな事を仕事にする幸せ」学生時代の菅澤は希望に満ち溢れていた。


社会人1年目の初めての起業、そして挫折

菅澤が2004年に初めて起業した際の役職は開発担当の代表取締役。

一緒に会社を設立した友人の1人が営業担当の代表取締役となり、もう1人がエンジニアとなり、菅澤の立ち位置はその中間。営業もするし、プログラミングもする、両方の仕事を担当した。


元々アルバイトをしていた会社の一室を間借りし、その会社から仕事を貰ったり、自分たちで新規開拓をしたり、

「とにかく仕事を取って、作りまくろう」という考えで、営業に駆けずり回り安価で多くの仕事を獲得し、大量の案件を同時並行で進行していたが、これまでに会社勤めをした経験が無い3人は若さと勢いでなんとかなると考え、需要と供給、リソースと品質などの経営に必要な"バランス感覚"を持ってはいなかった。


知り合いが知り合いを呼び、その頃その会社は10人くらいで業務を行なっていたが、そうして受注した仕事をプログラミングするエンジニアも所謂"新卒レベル"の経験の浅いプログラマーであり、品質にクレームも入り、納期も間に合わず、日中は謝罪行脚を重ねて、夜にプログラミングをするというそんな悪循環の日々、上手くいかない日々が続いた。


そうしていると3人の関係性もどんどん悪化していく。

互いのフラストレーションは肥大し、上手くいっている時には気にならなかった元々の性格や価値観に対する違いも少しずつ顕在化し、何をやっても上手くいかない状況が続き、菅澤も疲弊していた。


「そして、最終的には”理想的なプログラミングの追求"を考えた結果、ここで働き続ける事でないと考えて、離れる決意をしました」


そうして2005年3月、菅澤はわずか1年で立ち上げた会社を離れ、実家に戻った。


起業して挑んだ1年、多くの挫折を味わった菅澤を家族ー特に両親は暖かく迎えたが、両親の眼に映る菅澤は打ち拉がれて疲弊した姿ではなく、"なんとか次こそは成功してやる"と、飢えた挑戦者の姿であった。


そんな菅澤を見て、両親はこのように声を掛けた。


「"もう1回やってみろ"って家族が言ってくれて、援助してくれたんです。まぁ自分でも辞める時にはもう一度やりたいと思ってはいたんですが(笑)それでもそう言ってくれるのは嬉しかったですし、自分も負け戦のままは嫌でしたので、再度挑戦することとしました」


次は勝ち戦を目指して、菅澤の2度目の「創業」はこうして始まった


2回目の起業 〜 bravesoftの設立

そうして休むこともなく、2005年4月4日に菅澤はbravesoftを設立した。

知り合いが税理士を紹介してくれて、その税理士が不動産屋さんを紹介してくれて、その不動産屋の紹介で格安の物件は見つかった。

2度目の会社設立に際して、菅澤が特に意識したのは2点。


「1社目はやっぱり、1人でやるのが不安だったから3人で会社を立ち上げたのもあり、出資も3分の1ずつだったり、色々と3人で決める形でやったのが失敗だったと思っているので、bravesoftを立ち上げた時は"全て自分が責任を負う"という覚悟で挑みました」


「あとは、やはり1社目で失敗した方向性や価値観の違いを回避する為に、コミュニケーションがとにかく重要だと思い、方向性やビジョンなどは常に話し合う、その点も強く意識しましたね」


1社目はとにかく疲弊した1年であり、トラブル対応や謝罪対応に追われたが、その際の対応などを評価してもらえたので菅澤個人に関してはWebサイトやガラケーアプリの仕事の依頼や相談もあり、bravesoftの始業当初からいきなり仕事が無くて困るということは無かったが、その分菅澤1人では限界である為、従業員を雇う必要があった。

1社目の会社から菅澤についてきてくれる社員もいたので、なんとか仕事を回すことができたが、早々に最初の壁にぶつかった。


「従業員の給料ですね。初月から150万円くらい人件費が発生しましたし、これを定期的に払い続けなければならない。資金繰りには本当に苦労しましたね」


背に腹は変えられず、炎上するとわかっていながらも従業員の為に危険な案件を引き受けた事もあった。多くの人が受けたがらないような仕事も是非と引き受けた。


そうして何とか1年、会社を継続する事ができた。

そして転機は2年目、国内エンジニアの不足や人件費高騰などを鑑み、いち早く中国の市場に目を向け、今尚続いているオフショア開発を早々に行ない、結果としてこの選択はbravesoftにとって重要で正しい選択となり、事業をどんどん拡大する事ができた。


そうしてiPhoneが日本に登場した際にはいち早くアプリ業界に参入し、リーマンショックを超えて、自社開発アプリbokete(ボケて)が大ヒットを記録し、自社BtoB事業のAppvisor開発に取り組み、デジタルの世界からリアル・体験の世界に参入すべくeventos(イベントス)Live!アンケートなどのサービスも提供し、不況や災害にも負けずに従業員一同で取り組み、今こうして16年目を迎えて、まだまだ会社が大きく成長しそうな第3創業期を迎えている。


思い起こせば色々な事があったが、反省や失敗も数えきれないくらいあったが、全て今の礎となり、養分となっている。冒頭で述べた通り、多くの企業が起業しては淘汰されていくこの今日、16年間企業を成立させ、しっかりと増収増益を挙げられている点は「成功」と言っても過言ではないだろう。


しかしながら菅澤の野望は果てしない。

かつての"SONY"や"HONDA"、近年の"Apple"や"Google"などと言った世界的な企業にbravesoftも肩を並べられるよう、まだまだ上を目指し、挑戦を続けるマインドを持ち続けている。


最後に創業を振り返る意味で、16年前に命名した"bravesoft"と言う社名に込めた菅澤の思いを紹介したい。


「bravesoftを設立した時も今も、我々は"最強のものづくり集団"を目指しています。その中で、一人一人が"勇気"を持って業務に取り組んで欲しいという思いを込めて、勇気=ブレイブ、を社名に冠しました。これからも勇気を持って、世の中に新しい風をどんどん巻き起こしていきたいですね」


bravesoftが掲げる行動憲章brave spiritsの第1項は「すべては勇気」。勇気を持ってこれからも世の中に革命を起こしていく。



■ 会社概要

商号   :bravesoft株式会社

代表者 :代表取締役 菅澤 英司

所在地 :〒108-0014 東京都港区芝四丁目13番2号

設立   :2005年4月4日

事業内容:イベンテック、体験アプリ開発

資本金 :2億5,000万円(資本準備金含む)

URL   :https://www.bravesoft.co.jp/


■ 本件に関するお問い合わせ

担当:広報戦略本部 高瀬 将臣

TEL:03-6809-6030

FAX:03-5443-5324

Mail:m.takase@bravesoft.co.jp




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