創業70年の京都老舗旅館「RYOKAN GINKAKU KYOTO」リニューアルオープンまでの軌跡
RYOKAN GINKAKU KYOTOは、現在、京都を訪れる修学旅行生を受け入れる団体向けの旅館として、そしてファミリー層やシニア層などのあらゆるニーズに応えられる旅館として営業しております。
前身は旅館 銀閣で、1952年に創業して以来、多くの修学旅行生と一般のお客様にご利用いただいておりました。
全館リニューアルオープンをするにあたり、旅館でありながらも電気錠カードシステムや監視カメラによる防犯等の安全管理対策も万全とし、バリアフリー対応として全客室の床段差をなくし、どんな方でも安心して宿泊できる施設として生まれ変わりました。
京都からお届けする新しい旅館体験=「リョカンス」※を、RYOKAN GINKAKU KYOTOにてぜひご体験いただきたいと思います。
※リョカンスとは、ホテル×バカンスの造語「ホカンス」(ホテルでの滞在自体を目的とした休暇の楽しみ方)の旅館バージョンを指しています。
このストーリーでは、RYOKAN GINKAKU KYOTOのリニューアルオープンまでの軌跡についてお伝えいたします。
RYOKAN GINKAKU KYOTOの前身
旅館 銀閣は、修学旅行生や一般団体様など、主に団体様をメインに営業していた。
2019年12月15日、老朽化した建物の今後のことを考え、約70年の歴史に一度幕を下ろし、閉業することに。
新規開業へ向け新たに指揮を執ることになったのが、事業を受け継いだ現代表取締役社長 久保田 健嗣だ。
建物は改修の予定であったが、内部をくまなく調査した結果、傷みや老朽化が激しすぎたため、久保田は土台から建て直す方向に舵を切った。
その後、未曾有の大惨事となった新型コロナウィルスの流行により、観光業界は大打撃を受けた。
旅館 銀閣は、その間も着々と準備を続け、復活の日を今か今かと待っていた。
社長久保田の手腕による旅館再建
猛暑が続く2023年夏、京都駅前の一等地に建つ壮観な建物の水路を1人掃除する男性の姿が目に入る。
その男性はカッターシャツにスラックス、革靴を履いているにも関わらず、濡れるのも気にせず無心のように見える。
その男性こそが、京都の旅館に革命を起こそうと奮い立った人物、RYOKAN GINKAKU KYOTOの代表取締役社長 久保田 健嗣である。
時はコロナ以前の2018年に遡る。
当時、RYOKAN GINKAKUは旅館 銀閣という名で、見た目も体制もいわゆる老舗旅館であった。
先代が亡くなり、経営者を突然失った銀閣は、それまでの社長の経営体制を引き継ぎながら大女将に経営を委ねることとなった。
しかし、その経営は思っていたほど容易くなく、神頼み的な要素で現社長、久保田健嗣が舵を取ることとなった。
彼の経営手腕は大女将も以前から一目置くものがあり、彼に任せれば間違いないという想いに迷いはなかった。
一方任せられた久保田本人は、当時のことをこう語る。
「僕は元々建築現場の人間やから、全然畑違いなんですよ。旅館の経営なんて、経験値ゼロですから、プレッシャーはすごかったですよ」
こう語る彼は満面の笑顔で、自信がなかったとは微塵も感じられない。
その後、やるからには徹底的にという彼の信念が発動し、全てをゼロに戻す計画を実行する。
本来ならば、一連の流れを知る従業員や老舗の良さも残しつつ、京都ならではの建物基準を踏まえ、リフォームで無難な経営をするところだが、革命児久保田はそこには納まらなかった。
旧館の従業員、体制、建物、備品、全てをリニューアルする決断を下した。
もちろん反対や嘲笑もあったが、彼には絶対成功させてやるという信念があり、反論さえも成功の過程と捉え、一心に銀閣の新生に力を注いだ。
特に久保田が力を入れたものが3つある。
それは人材、客室数、料理の質である。
1つ目の人材であるが、まず久保田は社長であって、社長ではない。何のことかと困惑すると思うが、彼の1日を密着すると理解できるであろう。
久保田は現場重視の人間である。社長だからといって、社長室にこもり、従業員の現場には全く現れないといった人物ではない。
毎日かかさず、フロント、配膳、調理場、清掃etc…全ての現場を周り、従業員と言葉を交わし、時には配膳や洗い場にまで入って従業員さながら、業務をこなすのである。
そしてただ手伝うだけではなく、コミュニケーションの中からその現場には今何が必要か?何を改善すべきか?あらゆる角度から業務を遂行する様子や人の動きを見ているのである。
そうして、その経験を人事に生かし、必要な人材を見極める眼を鍛えているのだ。
久保田は「会社で1番大切なのは、従業員であり、皆さんのおかげで銀閣はリニューアルできました」と常に感謝を忘れない。
人員を選ぶ時も最終の採用決定は久保田本人が行う。銀閣で自分や従業員と共にしっかり働いてくれるかどうか、一人一人と真剣に向き合い熟考して決定する。
現場で働いているスタッフは部署間の隔たりがなく、仲が良い。スタッフ同士の雰囲気はお客様への印象に直結するので、売り上げにも反映する。ここにも彼の手腕が現れているのである。
一般客も修学旅行生も取り込める、全61部屋こだわりの客室
2つ目のこだわりである、客室数。
リニューアルへの過程の中で久保田は、壁にぶつかったことがあった。
それは、ターゲットにする客層である。
京都駅前という観光客を集客するには申し分ない立地条件でありながら、駐車場が確保できないという難点があった。
基本、電車や新幹線で訪れる一般客のみをターゲットにするか、それとも大型バスで到着する修学旅行生をターゲットにするか・・・
久保田は、他社からスカウトした貴志氏(現副支配人)を自分の右腕とし、旅館でありながらホテルの良いところも取り入れられないか?と、ホテル出身の彼と何度も何度も議論を重ね、ついに両方をターゲットにする決断を下す。
しかし、それには数々の問題があり、両方を受け入れるにはまず大広間と、最低でも300名以上の生徒を受け入れが可能な客室数が必要だ。しかし、一般客に向けてのVIPルームも作りたい。では客室数を減らすべき・・・?
何度も試行錯誤を重ね、ついに一般客向けにも修学旅行生にも対応した、当初は無理と言われていた客室数全61部屋と、団体用大広間、4つの浴場、VIPルームを完備したRYOKAN GINKAKU KYOTOが誕生したのである。
客室には京都にちなんだ名前が付けられ、壁紙や廊下、随所で京都を感じることができる。
この設えは特に、京都を訪れる修学旅行生に、京都の伝統と暮らしを学び、体験してもらいたいという想いを反映させたものである。
また、各客室の由来について、室名サインに工夫を凝らしQRコードで詳細を検索できるようにしたものを採用している。
写真は3階フロアの、京の花街をイメージしたベンガラ色の壁
京都市内が一望できる屋上は、京都のシンボルタワーである京都タワーが目の前。また夏の京都と言えば「五山の送り火」。この大文字焼きも見ることもできる。
今は準備段階だが、屋上を利用したサービスにも期待してほしいと久保田は語る。
設計段階の途中から、業界で敏腕をふるっていた真中氏(現支配人)も加わり、オープン初日から300名を超える修学旅行生を迎え入れるという快挙を成し遂げた。
自然と一体化しながら味わうような、芸術的な料理
3つ目のこだわりは、旅館においては最重要と言って良いであろう料理である。
久保田が新生RYOKAN GINKAKU KYOTOにぜひにと招いた料理人が三島竜二氏である。
彼は長年、高級料亭 桜閣苑で、若き料理長として腕をふるっており、京都の料理人の中でも5本の指に入る貴重な人材である。
彼の感性と料理へのこだわりは相当なもので、ただ美味しく頂くだけではない、自然と一体化しながら味わうような芸術的な料理であることが最大の特徴だ。
夏の代表的な料理である、鮎の塩焼き。
彼はその独特の感性と発想力で、お客様の五感に響く料理を提供する。
まず、漆黒の石板にさらさらと繊細な塩を撒き、水鳥の羽を使って器用に清流のせせらぎを描くのである。
そして、そこに石やサワガニを飾り、メインの鮎を泳がせたら、三島総料理長こだわりが随所に散りばめられた、鮎の塩焼きが完成する。
写真は夏の一品である鮎の塩焼き
彼は自分の料理についてこう語る。
「自分の作る料理は派手だという自覚がある」
まさに、料理人であり、芸術家なのである。
新生RYOKAN GINKAKU KYOTOのこだわりと癒しをたくさんの人に届けたい
以上のこだわりを散りばめ、様々な箇所で久保田社長らしさを携え、2023.5.27にオープンした新生RYOKAN GINKAKU KYOTO。
この先の新しい事業拡大も念頭に、従業員と一丸となって革命を起こして行くことに目が離せない旅館である。
京都を愉しむ際には、ぜひ宿泊してそのこだわりと癒しを味わっていただきたい。
RYOKAN GINKAKU KYOTOでは、修学旅行生の受け入れだでなく一般のお客様にも喜んでいただけるよう、様々なニーズに応えていける施設を目指して日々邁進しております。
従業員一同おもてなしの心を持って、皆さまのご来館を心よりお持ちしております。
新生RYOKAN GINKAKU KYOTOにご期待ください。
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