ワインを作りたくて世界を旅してみる話 第三回
東京で燻る
イタリアから帰国後、「フランスワインには最終的に行き着くだろうから、他の国にしよう」と、ドイツワインとビールを扱うレストランに就職。
ドイツのワインやビールは、自分の想像していた以上に楽しいものだったが、四ヶ月で辞め、イタリアンレストランで働く。その後、飲食関係のコンサルティング会社へ入社。ワインとはかけ離れた生活だったが、仕事は楽しかった。
ただ、どうしてもワインを作ってみたい、という気持ちが頭から離れない。
向かう先はアメリカ。
「アメリカに行って、ワイン関係の仕事をしたいと思っています。」
社長に相談した。
「お前は今の状況が嫌で逃げ出したくて言ってるんじゃないか?」
そう言われた。
正直、なんでそういう風に取られるのかがわからなかった。
でも、自分の勤務態度からそういう態度がにじみ出ていたのかもしれない。
しかし、なんとか理解いただき、自分の抱えていた案件の都合もあったので、退社は半年後。
アメリカに行ったところで何もないので、貯金を全て使ってエージェントにアメリカでの就業先を探した。振り返れば、あんなに高いお金払わなくても自分で出来たなと思うし、騙されることもなかった。というのは、後の祭り。
当時、仕事で時間もなかった私にとっては、都合のよかったわけで。
何社も面接を受け、やっと決まった会社にサポートしてもらい、アメリカ行きを決める。
与えられたポジションは、「営業」。
その会社の会長にも、自分はワインのことを知りたいし、チャンスがあるならワインを作りたいんだ、という話をし、会長は理解してくれた。
意気揚々と、渡米を決定した。
そして、渡米に向けて大使館書類提出の日、あの忌まわしい東北大震災が起こる。
出国は決まっていたが、よく言われた。
「外国に逃げるのかい?」
よく意味がわからなかった。
私は、ワインが作りたいんだ。
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