うつ病になりたい人へ

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気付くと翌朝でした。妻がりんごを食べさせてくれたようですが覚えていません。

トイレにも一度妻の肩を借りて行ったそうですがこれも覚えていません。

体はやはり、動きません。

意識も朦朧としています。

次に気づくと、病院のベッドの上でした。

股間には管が刺さっていて、その管を尿が通っていました。

妻が救急車を呼んでくれたそうです。

僕の両親もいました。


MRIやCTなど、様々な検査をされましたが、体には異常がないとの診断を受けました。

3日ほどで起き上がれるようになり、1週間で退院しました。

そして、家の近くの診療内科を受診し、「うつ病」と診断されました。

それから休職しています。


■倒れる1か月ほど前から予兆は出ていました。


8月に子どもが生まれた頃から、夜にしっかり眠れなくなりました。

新生児は1~2時間おきに泣いてミルクを欲しがります。

飲み終えると普段はそのまま眠ってくれますが泣き続ける事もあります。

そんなときは再び眠るまで抱いて揺らしながら歩きます。

妻は24時間ずっとその世話をしてくれていたのですが、体力的に厳しそうな時には僕が寝かしつける事がありました。

そのため就寝が3時を回る事もありました。

朝は出勤途中でパンを買って食べていたのですが、味がしなくなりました。

仕事量が多いので、リストに書き出して一つ終わると消すようにしていたのですが、

いつも20~30項目は余裕で超えるリストが2~3項目しか思い出せないようになりました。

常に心臓がドキドキしていました。

携帯電話のコールを無視するようになりました。

事務所から現場へ向かうときに途中で何故か引き返してしまう事もありました。

丸一日、頭が働かずにパソコンに向かって仕事をしているフリをする日もありました。

みんなが笑って会話している中で一人だけ焦って仕事をしている事もありました。

大好きな音楽も聞かなくなりました。

突然涙が出るようになりました。

一日に何度も死にたいと考えるようになりました。


それでも、「兄の結婚式までは頑張ろう。」と思っていました。


兄の結婚式では、ずっと笑っているフリをしていました。

豪華な料理の味も感じませんでした。


そして次の日の朝、起き上がる事はできませんでした。



以上が、僕がうつ病になった物語です。


正直、最後の方の僕は『うつ病になりたかった』んだと思います。

兄の結婚式まではなんとしても頑張ろうと思っていたことがその証拠です。

最後は、逃げたんです。


僕よりももっとつらい状況で弱音を吐かずに戦っている人はたくさんいると思います。

そんな人たちの事は尊敬していますし、心配です。


僕は以前は比較的明るく能天気な性格でした。

だいぶマシになった今でも涙が出る事や死にたくなる事があります。


自分で言うのもなんですが、僕は「逃げる事」は間違いじゃないと思います。

死ぬくらいならカッコ悪くても逃げた方がずっとマシです。

後ろ指さされたって、会社で悪口言われてたって聞こえないし見えないんだから関係ありません。

そんな事心配するより家で家族とゆっくり過ごしたり、普段は見れないテレビ番組を見たり、平日に外を出歩いてみたりした方がよっぽど有意義だし楽しいです。


会社だって、なんとかなります。

その為の組織なんですから。


だからあなたも本当に辛くなったら、どうか逃げる事を選択肢に入れてみて下さい。













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