普通の主婦の普通じゃなかった半生 3 (実話自伝)登校拒否〜身障者〜鬱病からダイバーへ

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前編: 普通の主婦の普通じゃなかった半生 2 (実話自伝)登校拒否〜身障者〜鬱病からダイバーへ
後編: 普通の主婦の普通じゃなかった半生 4 (実話自伝)登校拒否〜身障者〜鬱病からダイバーへ

2からの続き。



写真 幼稚園時代の写真が無いので多分1歳半くらいの私と叔母。

私がこの頃見る大人はみんなこんなメイクをしていました。



写真 母と私。

幼稚園入園前くらいの時。




見知らぬ土地への定住と私の幼稚園時代。



一時はたくさんのお客さんを呼び活気にあふれていた「吉野舞踊団」は、テレビがどの家庭にも当たり前に普及されるとともに、時代の波に押されてどんどん衰退していきました。

東京オリンピックが大きなきっかけだったと聞いています。

それでも祖父母と叔母たちと母は細々と継続していましたが、私が幼稚園に入る頃には続けていくことも困難になっていったようです。

それで、叔母のファンでスポンサーが居た縁もゆかりもない岐阜市という地に住むことになりました。

小さな借家に祖父母と叔母二人と母と私、6人暮らしです。

母と叔母たちと残った劇団員の人たちはキャバレーの舞台で芸を続けるしか生きていく手段がなかったのです。

小さな私はキャバレーの照明室でキャバレーの中をよく眺めていました。

色とりどりの綺麗なドレスを着て厚化粧をした女性たちが、酔っ払いの男性たちの接客をする姿をいまだにはっきり覚えています。

高い場所にある照明室から見る薄暗いキャバレーの中に溢れる女性たちはひらひらしたドレスを着て泳ぎ回る金魚すくいの金魚みたい。

男性たちはその金魚を一生懸命すくおうと金魚すくいを持って綺麗な金魚を追い回している人のように見えました。

そんな光景が私の幼稚園に入った毎日の普通でした。


華やかな日々をおくっていた母がキャバレーの舞台に立ち、酔っ払いのろくに舞台も見ていない男性たちの前で芸を続けることは屈辱的なことだったと思います。

それでも巡業を止め私を幼稚園に入れたのは子供らしい日々を過ごさせたかった母の親心だったのでしょう。

だけど、一カ所に定住したことも無く、同世代の友達が居た経験も無い大人ばかりの特殊な環境の中で育った私が、いきなり子供だらけの幼稚園に入れられて順応できる訳はありませんでした。

自分と同じ年齢の子供たちとどう接していいのかわからない。

子供って無邪気なようで残虐です。

大阪人の家族のもと、大阪弁で育った私の言葉からして岐阜市の他の子には異質でからかわれました。

幼稚園に行っても徹底的に仲間はずれにされる毎日、他の子が楽しそうに遊んでいても「仲間に入れて。」と、その一言さえ言えなかった私は完全に孤立していました。

みんなが遊んでいる姿を遠くから膝を抱えて見ているだけの日々。

そんな日々は私にとって苦痛以外の何ものでも無かったです。

幼稚園に行かなきゃいけない朝が来るのが恐かった。

なんで行かなきゃいけないのかわからなかった。

朝になるたびに毎日毎日、登園拒否をしていました。

私を可愛がってくれていた母のすぐ上の叔母は、幼稚園バスに断固として乗るのを拒否っていた私を自転車に乗せて幼稚園まで連れて行ってくれましたが、私は門の前でいつも泣いていました。

叔母の困った顔を覚えています。

みんなの読んで良かった!