普通の主婦の普通じゃなかった半生 12 (実話自伝)登校拒否〜身障者〜鬱病からダイバーへ
結婚。
夫と私がつきあい始めたのはいつだったのか?
いい加減な話しですが定かではありません。
夫が大学1年の18歳の頃から友達だった私たちは、あえて話さなくてもお互いのことを知っていたし、お互いの彼氏彼女とその遍歴すら知っていました。
私の部屋が友達たちのたまり場になっていた頃から夫はそこに居て、最後まで残ったのが夫だった。
まったくロマンも何もない話しですが、そんな感じでした。
出会ってから10年近い年月が流れて、ふと気づけば私の隣に居たのは夫だったのです。
付き合ってくれと言われたこともありません。
夫はその頃、まだ誰も名前を知らなかった会社に就職していました。
夫の家の家業は食堂でした。
小さな食堂を夫の両親が経営されていました。
夫と夫の両親はその食堂の二階のたった二間に住んでいました。
夫も裕福とはいえない育ち、いや、はっきり書けば私たちは二人揃って貧乏育ちでした。
私が歩けるようになって母と旅をしだして母との関係を築き始め、母の仕事を手伝いだした頃でした。
私はボロアパートで一人暮らしをしていました。
正確には幼い頃から大好きだった猫、捨て猫だった黒猫たち「ピキオ」と「ビー」一人と2匹暮らしでした。
夫がいきなりこう言ったのです。
「一緒に暮らせばここよりずっと良い社宅のマンションに住めるよ!」と。
それで私たちとピキオとビーは同棲生活を良いマンションではじめました。
同棲生活がはじまって半年ほど過ぎた頃でした。
今度は夫は私にこう言いました。
「年内に入籍すれば税金がたくさん戻ってくるよ!」と。
それが夫の私へのプロポーズでした。
ものすごく生活感にあふれたプロポーズでした。
それで私たちは年内の12月12日ワンツーワンツーの日に入籍しました。
こうして書くと私が良いマンションや戻ってくる税金に目がくらんで入籍したみたいですね。
でも、もちろんそれで夫との結婚を決めた訳ではありません。
私が夫に惹かれたのは、夫がそれまでに出会ったどの男性よりもハングリー精神が強く、仕事熱心で、何が何でも成功してみせる!そんな意欲にあふれた人だったからです。
現状に満足するのではなく、いつも上を見て上を目指して夢に向かって努力する、そんな夫に私はかけようと思ったからでした。
夫が私を選んだ理由はイマイチわかりませんが、聞くと「好きな音楽や映画や感性が似ていたから。」だと言います。
一緒に人生を楽しめると思ったからだと。
好きだったからだと言わせたいと常々思っていますが、夫の口からその言葉は残念ながら言われたことはありません。
順序は逆になりますが入籍した私たちは翌年の1月にハワイで結婚式を挙げました。
優雅に感じられるかもしれませんが、何故?ハワイだったかというと二人ともほとんど貯金が無かったからでした。
その頃、日本でウエディングドレスをレンタルするとそれだけで20万円以上かかりました。
ハワイだと買っても1万円くらいからで、挙式費用も小さな教会で挙式すれば写真付きで6万円ほどでできたのです。
私たちは新婚旅行もかねて、夫の両親と私の母とみんなでハワイに行き、セントピータース教会という小さな教会で無事夫婦の誓いをしました。
1995年1月でした。
写真 ハワイでの結婚式。
夫のご両親との同居と鬱病(パニック障害)のはじまり。
結婚してから2年間、私は良いマンションで順調で幸せな日々を夫と猫2匹とで過ごしました。
夫が理解のある人だったので、母との親子旅行も続けていられて、母との関係も良好でした。
夫の会社は急成長していき、夫の仕事は忙しくて家に居ない時も多かったけど、生活も安定して私は生まれて初めてのんびりと毎日をおくっていました。
だけど、また私に波乱の波が押し寄せてくることになります。
それは夫の両親との同居でした。
夫の実家がそれまで住んでいた食堂の二階の借家暮らしから、新築で家を建てることになったのです。
土地は夫の父が買ってくれていました。
だけども上物は夫の名義でしかローンがくめません。
そうなると、夫と私は二重にローンをくむことはできないので、持ち家を持つことは不可能です。
なので二世帯住宅を建てようという話しになったのです。
それで、私たちと夫の両親は二世帯住宅を建て、そこで同居生活を始めました。
今から思うと最初からそれは無理な話しだったのです。
普通の家族というものに囲まれて育ったことのない私です。
中1から一人ぼっちだった私です。
ずっと自分のペースでしか生活してこなかった私です。
その私がいきなり夫の両親と一緒に生活をはじめてしまいました。
同居を始めてから二世帯住宅とはいえ、私のプライベートな時間が無くなったのがすべての原因でした。
夫の母は大家族の末っ子でした。
プライバシーという概念がありませんでした。
何の悪気も無いのですが、私たちの部屋に度々入ってこられました。
夫の母はむしろ私を気遣って、私とうまくやっていこうとして好意でしてくれていたことだと思います。
でも、自分でもさほどそうは思っていなかったのだけれど、私にはそれが我慢できないくらい苦痛だったのです。
同居して何年か過ぎた頃に私は夜中に猛烈な吐き気に襲われて何度も吐き続け、救急病院に運ばれました。
その時は食あたりということで吐き気止めの点滴を朝までして家に帰りました。
でも、また1週間後に同じ症状で同じ病院に運ばれたのです。
不審に思ったお医者さんが動脈採血をして、私の病気は食あたりではなく過呼吸の発作、パニック障害であること、心療内科で治療を受けなくてはいけないことを告げられました。
そして心療内科を受診した私は鬱病の診断を受けます。
たしかにその頃の私は無表情でまったく笑えなくなっていたし、睡眠も夜中に1〜2時間おきに起きてしまって十分にとれず、いつもダルく疲れていました。
自分を自分でコントロールすることが不可能になっていました。
それが長く付き合うことになった鬱病の始まりでした。
13へ続く。
著者の井筒 厚子さんに人生相談を申込む
著者の井筒 厚子さんにメッセージを送る
著者の方だけが読めます