普通の主婦の普通じゃなかった半生 15 (実話自伝)登校拒否〜身障者〜鬱病からダイバーへ

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前編: 普通の主婦の普通じゃなかった半生 14 (実話自伝)登校拒否〜身障者〜鬱病からダイバーへ

母へ。




最終章。




私の「普通の主婦の普通じゃなかった半生。」

これでもか!これでもか!と自分を試されているような波瀾万丈な人生でしたが、引きこもりだった私が普通に結婚し、家を持つことができ、心身ともに落ち着いてきて、膝も完治してないとはいえ歩けなくなることは無くなり、夫や母とも良好な親子関係を築けて、友達にも恵まれ、鬱病もパニック発作が出なくなり、一人前のダイバーになれ、すべてが順風満帆になっていってました。

去年のGW開けまでは。



私はダイバーになってからも、母とも年に1〜2回でしたが一緒の旅を続けていました。

私が40代になってからは、母も70代になっていたので遠くじゃなくて近場、香港やバンコクや中国やソウルやグアムに行くようになってました。

若い頃は母に旅行代を奢ってもらっていたので、その頃は私がお返しに奢るようになっていました。

一緒に暮らせない私のせめてもの親孝行のつもりでした。

母はとても喜んでくれていました。

特に母のお気に入りはグアムの海とソウルでのグルメ&お買い物でした。

母は日光アレルギーだったので海に入ることはありませんでしたが、グアムの遠浅なエメラルドグリーンの海を眺めるのが好きでした。

グアムでは母に街をブラブラしてもらって、午前中だけ私一人でダイビングに行ってました。

太陽がホテルの建物の陰に隠れる午前中、母は海を眺めてのんびりしていたようです。

ソウルではサムギョプサルやチヂミや石焼きビビンバやアワビのお粥や辛いラーメンやトッポギなど、好き嫌いのない母と私は何でも挑戦して食べてみるのが楽しみでした。

安い食べ物、洋服、装飾品、靴下、身につけるものすべてが並ぶ明洞の屋台で買い物したり、東大門の洋服やバックの問屋さんに行って気に入ったものを探して値切ったり、韓国コスメのいろんなものを試したりもして。

お洒落だった母は安い洋服でも上手に着こなしていたので、二人でこれ似合うんじゃない?これはどう?みたいにあれこれ言い合うお買い物もとても楽しかったです。

母とのそんな時間は年齢を忘れた友達同士の女子旅みたいでした。



母との確執、私が子供の頃の育児放棄や、どうして私が登校拒否になったかや、自己破産してお金が無かったから自立したことについても、一生腹にためておきたくなかった私は母に話すことができるようになっていました。

やはり、母は生きることと仕事をしていくことと自分のことで精一杯でだったと言っていましたが、お互い腹を割って話していろんな誤解を解くことができました。

母も女手一つで私を抱えてただ幸せになりたかったんだと、ただどうすればいいのかわからなかったんだとそう言っていました。

40代になっていた私は母の弱さやもろさも理解して許すことができるようになっていたのです。


ずっと聞きたくても聞けなかったこと。

どうして私を一人で放っておいたの?

私はずっと寂しかったよ。

それも伝えることができました。

母も私を理解してくれようとしてくれました。


「良いお母さんじゃなかったね。」ぽつりと言った母のことばが身にしみました。

私は責めるつもりではなかったのだけれど。


その頃の母は日本舞踊吉野流の家元として立派に仕事をしていました。

みんなの読んで良かった!