おじいさんとの対話 7   伝染病の解明と黴菌有用論   

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おじいさんとの対話 7

  伝染病の解明と黴菌有用論     

何度も同じような話になりますが、おじいさんからこれからもすっかり洗脳して戴きます。洗脳とは「脳を洗ってきれいにする」と言う意味ですが。

      

himaari:今回はさらに突っ込んで黴菌の正体に迫るお話をお願いします。バイ菌というのは病源性の細菌の事を言いますね。

バイ菌有用論

おじいさん:本来は黴とか菌というのはその活動するところにはちゃんと意味があるのだが、人間の都合によってバイ菌は悪だと決めつけたような名称じゃ。

世間一般では黴バイ菌は有害とされているが、もし黴菌は有益だといったら狂人としか思うまい。

ところがわしはバイ菌つまり病原菌と呼ばれるものの役割を知ったからじゃが、人間体内の毒血を浄血にする役目なのじゃ。

himaari:バイ菌が有益とは驚きでしたね。病原性細菌が有益とはね。毒素で汚れた血液をきれいにする役割というのですか?

 バイ菌のエサは毒素

おじいさん:そもそも伝染病とは浄血作用のことであって、黴菌が体内に入るやたちまち血液中の毒素を食べるのじゃ。毒素が黴菌のエサであり食物となるのじゃ。

そして、体内に毒素という食物の多い程繁殖し、食物がなくなれば餓死する。

himaari:なるほど、エサが無ければ生き物は死んでしまうわけか。それにしても毒素がエサとなるとは、これも驚きですね。

 保菌者が発症しないのはエサとの関係

おじいさん:ゆえに保菌者でありながら発症しないというのは、黴菌の食物の量が「黴菌が生活するだけはある」が、「繁殖するだけのものは無い」という訳じゃな。

この理によって伝染病を根絶するには黴菌から食物をとり上げてしまえばよい。

himaari:バイ菌を取り除くのではなく、えさを取り上げるのか。超トンデモ論的な説ですね。

おじいさん:そうじゃろう。今までの医学常識で固まった頭には理解できないじゃろうな。だが、君は常識論では満足しなかったからわしの処へ訪ねてきたんじゃろうが?

自然というものは単純明快でもあり、実に驚異的な働きをしているのじゃよ。人間の浅薄な知識など吹き飛んでしまう事が多いものじゃ。

himaari:一般にはバイ菌、つまり医学では「原性微生物というものが毒素を作り出して人間に害を与える」と言うような話ですが、おじいさんはまったく正反対の説になりますね。それでは「黴菌の食べ物は毒素」とは、血液中の毒素とか細胞液中の毒素というのでしょうか。では、「バイ菌の食物を取り上げてしまう」という意味は?

 血液浄化法

おじいさん:「取り上げる方法」は、わしの発見した浄化方法じゃが、ひとつの血液浄化方法とでも云うかな。

himaari:知りたいですね。その浄化法とは一体何でしょうか?

おじいさん:方法は後に説明するとして、それと、君の時代にはたくさんの方法が出てきたようだから、「これが唯一」という事は控えておこう。「わしの時代において」という前提じゃ。それにもともと体内には本来人間が持つ浄化力が備わっているからね。

himaari:あ、そうでしたね。僕が聞いているのは「半世紀以上も前のおじいさん」だというのを忘れていましたよ。あれからこの地球もずいぶん状況が変化したようですから、他にもいろいろな方法が現れても不思議はないですし。

でも、これほど簡単に黴菌と病気の関係を説明してくれた人はあまり見かけなかったので、半世紀も隔たりがある感じがしませんね。

おじいさん:たかが半世紀前じゃなくて、わしは一世紀も前から知り始めたんじゃが、これはずっと大昔からあるの自然の摂理じゃ。もっとずっと大昔の人間は当然知っていたはずじゃ。途中で忘れさられたかどうかして、その事にずっと気がつかなかっただけのことじゃ。医学の方で未だに気がつかないのじゃね。

himaari:そうだとすると、今まで医学が感染症と呼んで恐れていた病気そのものの見方が百八十度ひっくり返ってしまいますね。

人間はずっと病気の原因を探求してきたのでしょう。ようやく近代になって、目に見えなかった微生物を光学顕微鏡で発見してから、病気の原因は細菌だと思ってきました。その後は電子顕微鏡が出来たため、今ではウイルスまで発見しました。そこからは、ほとんどの病気が微生物(細菌やウイルス)病源説になりましたね。

おじいさん:わしの時代には未だウイルスをビールスと呼んでいた時代じゃった。ようやくバイ菌よりも細かいものが見えるようになったばかりの時代じゃよ。

himaari:そのウイルスや細菌を病気の原因だとしてからですね、その予防と治療に薬剤が使われて来たわけです・。でも、おじいさんのこの説が正しいとすればですが、まったく違う対処法になりますよね。

 病原微生物論から病原毒素説へ転換

おじいさん:「病原を外からの微生物」とする医学に対して、わしは「病原は体内の血液に含まれる毒素」とするのだからね。病原微生物説と病原毒素説の違いじゃ。

そして感染というのは微生物がその血液の毒を食べてくれるという話じゃ。食べると言うのは分解すると事になるが。

himaari:まったく医学とは正反対ですね。病菌として見ると「有害論」ですが、毒素を食べるとすれば「有用論」になりますから。食べるとは分解するということか。

おじいさん:同じ現象に関してまったく異なった見方をすると正反対のものの様に見えるのじゃ。ドアのノブの回転を部屋の内と外でみているようにね。微生物と体内毒素の関係を医学は正反対の解釈をしていたんじゃ。微生物を敵として見るからこれを攻撃したり、防いだりする事が医療じゃ。それは最初は成功したかのように見えたが、結局は敗北の結末になるじゃろう。それは真の原因ではなく、結果を追い求めるからじゃ。

だが、この先になってわしの説を受け入れるとなるとどうなるかな?

himaari:伝染病に対する考え方がまるで正反対ですから、対応策も正反対になるのですか?とすると、微生物は叩くのでは無く、エサを取り上げるか、元々身体の中にエサを無くす事かな?

おじいさん:当然、感染症に限らないが、病気そのものについての考え方が百八十度転換せざるを得ないじゃろう。体内毒素が病源となれば、原因は外で無く内に在りだからね。

またその対応策で成果が上がれば、今までの常識であった「薬剤で病気を予防したり治す」という考え方は誤りという事になるじゃろう。

himaari:解釈がまったく異なると予防も治療法も正反対になるのかな。血液の毒素を無くすのが本当の予防であり、治療にもなるという方法でしょうか。すると感染症とか伝染病とかは人間にとってこれからも必要なものとなるのでしょうか?

伝染病は必要だが将来不必要となる

おじいさん:伝染病は必要なくなる。が、今は必要じゃろう。

himaari:え?将来は必要なくなるが、今は必要ですか?

おじいさん:もちろん今体内がきれいになっている者には必要が無いし、今後もその状態が保たれればずっと必要ないということじゃ。相手は自然だからね。必要かどうかは自然が決めるのじゃ。

himaari:そうか、エサがあるかどうかだけですか。生まれてから毒を入れなければよいのですね。

おじいさん:だが、ほとんどの人は保有毒素がかなりある様だから、せいぜい風邪でもひいて浄化すればよい。その意味で感染症は必要となる。必要かどうかはその人の状態で決まるが、保有毒素の浄化作用が常に行われているのなら必要ない。

また生まれながら毒を入れないという生活は出来ないじゃろうし、生まれた時でも親の遺伝毒素があるじゃろう。

だから麻疹などで幼児期に排毒するわけじゃ。

himaari:そうかすでに幼児から保有したとしたら、当然浄化活動が始まるのか。

でも、軽い風邪程度ならよいですけど、大病は嫌ですね。

おじいさん:病気そのものは大変な苦痛であり、時には死に至る時もある。その根本原因は人類の血液の汚濁の状態によるのじゃから。とすれば、その汚濁状態がひどければ当然、重い伝染病は無くならないし、むしろ必要となるじゃろう。

himaari:自然界としての仕組みが必要、不必要を決めるのですね。それも人間次第というわけで。とすると、これからも伝染病は大流行となるのかな?

現代人はかなり環境や食べ物からも入れてしまいますからね。

感染症が無くなると人類が存続できなくなる

おじいさん:そうじゃ、すべては人間次第というわけじゃ。体の中を汚しておいてそのままでは済まないからね。当然自然浄化作用が始まる。ただそれが感染症の形かどうかは分からんがね。しかし大所高所から見た場合、人類にとって必要不可欠な自然の浄化作用の仕組みじゃ。この浄化装置が働かないと人類は存続できなくなるからね。

himaari:伝染病という感染症が無くなったら人類が存続できないのですか!?

おじいさん:いや、それが伝染病とは限らない。血液の浄化装置として病気は必要だから、微生物が関与しなくても浄化作用は常に行われる。それが緩慢に行われるか、急激に行われるかだ。毒素が少なければ緩慢に気がつかないうちに減る事もある。大量保有者は小出しの浄化を頻繁に繰り返すか、時には一挙に大掃除が行われる事もある。

himaari:その人によって異なるわけか。

感染症に罹る人、罹らない人の違い

おじいさん:ただし、完全に浄血者とになれば病気は起こりえない、必要なくなるだけの事じゃ。まあ、今の現代人はいつも入っているから完全浄血者など居ないじゃろうがね。

もしも人間にこの浄化装置が働かないとすれば、暫時毒素が溜まるだけになるから。そうなると大量の毒素でついには一切の機能が退化して繁殖能力まで無いように衰弱して行き、果ては人類という種族の滅亡が待っているじゃろう。

himaari:たしかに自然界でゴミを片付けなかったら地球はゴミの山になりますね。その事が人間にも言えるわけか。

ゴミ処理に活躍するバイ菌軍団

おじいさん:そうじゃ、自然界ではゴミやいろいろな有害物質はもちろん、木や葉っぱを片付けてくれる微生物が居るじゃろう。人間も体の中に同じように微生物が住んでいて掃除をしてくれるのじゃ。だが、あまりにもひどいゴミの場合は強烈な大掃除をして片付けてくれる虫が現れる。またそうでもしないと体の中は毒素というゴミの山になってしまうほど入れるからじゃ。

himaari:ゴミの山を分解して外に出してくれるのが浄化作用。その働きに手助けしてくれるのがバイ菌や病原性ウイルスと呼ばれている微生物というわけですか。そう言えば常在菌が突然変身して病原性となる場合があるそうですね。時には普段おとなしく働いている常在菌が返信して掃除夫の働きに変化するという事ですね。

常在菌が悪玉菌に変化したように見えてもやっぱり有用菌だったというわけか。

おじいさん:そういう意味では、微生物に無用も有用も無い。いや、常に有用だという事じゃ。

himaari:きれいな状態ならおとなしく発酵とかで育てる働きをしているが、身体が汚れてくると急にゴミ片付けのために病原性の菌になる。そうか、体の中にゴミがある限りは伝染病は無くならないという意味で伝染病必要説ですね。

おじいさん:伝染病有用論は単純に原理原則として言えばそうだが、最終的に伝染病ばかりか人間から病気を無くすことも可能なのじゃ。原理で言えば「病気は必要」だが、人間本来の姿としては「必要でない」。これが人間の正常の姿であり本来の姿なのじゃ。

himaari:ところが人間の方は汚すのが好きで体の中は汚れっぱなしというわけか。伝染病が流行るのは人間の状態次第というわけですね。感染症が大流行するというのは非常事態というわけかな。でも感染症は自然の摂理としては必要不可欠な働きだが、人間本来の姿になっていれば不必要であるわけか。

おじいさん:そうじゃ。感染症が大流行したりするという事の意味は、今の人類の状態では必要な状態にあるからじゃ。しかし、出来るだけ薬やその他有害物質を体に入れなければ浄化作用も軽くて済むから、人間はいつの時代かには、せいぜい風邪を引く程度になってしまうじゃろう。

ガス抜きには毒素を出しにする風邪、インフルエンザを推薦

himaari:なるほど、風邪は最終的な毒素小出しの為にこれからも必要なのかも知れませんね。現代人はその風邪さえも嫌がって予防接種をするくらいですからね。これじゃ、いつまでも体はきれいになれないですね。

おじいさん:人類が個人の集合体として浄血者になって行くなら、やがて病気の必要も無くなる時代が来るじゃろう。そして徐々に病気の形としては重いものから軽いものになって行く。それは薬とかの毒物を用いてするのではない。むしろそういう物を使えば使うほど浄血者とは縁が離れてゆくだじゃろう。

黴菌が必要だという意味も同じ事であって、人体内に黴菌のエサが無くなれば黴菌も働く必要が無くなる。したがって重い伝染病も徐々に必要なくなるというわけじゃ。

himaari:伝染病の撲滅というのは人間次第、つまり体内の血液の毒素次第というわけですね。撲滅させると言うよりも、自然にかかる必要が無くなるということか。

おじいさん:伝染病というのは細菌が働く為の環境があるからじゃ。人体という適した場があるから起る。

しかし、周りに大流行しているその中にあっても感染しない者や保菌者であっても発症しない人間が居るだろう。という事は、菌やウイルスが居ても繁殖する環境がないからじゃ。

himaari:エサが無い、つまりそのような毒素が無いという環境ですね。環境が主で細菌は従ということか。毒素が主で病原微生物は従ですね。

それで、西洋で昔わざわざ病原菌を飲んでみせて証明した医師がいたわけか。彼らもそのことを知っていたのでしょうね。環境が主で病原菌は従でしか無いと。

おじいさん:だからいくら病原菌を殺しても、後から湧いて出てくるわけじゃ。毒素のあるところ必ず分解掃除してくれる菌が発生もするし、引き寄せるからじゃ。

himaari:引き寄席の法則みたい。中には感染した後に再びそれに感染しないという感染症もありますが、その理由は?医学では抵抗力がついたと言っていますが、抗体が出来るともうその手の感染症はかからないので障害免疫とか言っています。

生涯免疫の原理

おじいさん:医学のように難しく考える必要も無いじゃろう。自然は実にシンプルじゃからね。その真の原因と理由が分かればよいじゃろう。免疫がつくという意味だが、黴菌にもいろいろ種類があるということは、食べ物にもいろいろ種類があるということじゃ。

細菌にしても食べる相手という「相性」のようなものがあるからね。

himaari:おや、バイ菌にも好き嫌いがあるというのか。

おじいさん:細菌に対応する毒素との関係で説明すると、その種の毒素には決まっている菌が居るという訳じゃ。あらゆる毒物がそのように対応する自然界の菌が分解してくれるというのは黴の世界でも知られているじゃろうが? 

himaari:重金属であろうが、プラスチックであろうがどんな物でも分解する黴、菌が居るそうですね。

おじいさん:毒素にも古い新しいがあるから、人間の遺伝的毒素は古いものだから一度対応して食い尽くしてしまえば、もうその古い毒素は無くなるからじゃ。たとえば遺伝毒素のような場合には一種固有の毒素であるから、これに対応した黴菌が食べる。それが再びこの種の菌が繁殖する必要が無くなるわけじゃ。

himaari:古い毒素ですか?それを食い尽くしたらもう食べるための細菌が繁殖できないのですね。その事を免疫が出来たというのですね。

おじいさん:この古い毒素の類のものに関してだけ、もう体内に入ってくる事が無いわけだからからね。それで「免疫ができた」というわけじゃな。

「もうその種の毒素が無くなってしまったので、再びその細菌の出番は必要無くなる」ということじゃ。

himaari: そうですか、「免疫力がついて病菌に耐えられほど丈夫になった」というよりも、「その種の毒素が体内から無くなり綺麗になったので、丈夫になった」という結果ですね。食べる餌が無くなったという事なのか。

エサが無くなれば居られなくなる

おじいさん: そういうことじゃ。その種の古い毒素が無くなるからそれだけ丈夫になるのは当然じゃ。それを人為的に止めようとするのが予防接種じゃ。しかもそれ自体が毒になるから二重の間違いを犯している。

himaari:現代医学では国を挙げて推奨しているのが予防接種ですね。それが、まさか二重の過ちをだとは。

おじいさん:それは本当の予防では無いからじゃ。当然、古い毒素と新たに入れた毒素はいつか浄化しなければならない。あるうち毒素によってどこかに障害を及ぼすからね。

このように世間が恐れている感染症とは、じつは人体の清掃作用をお手伝いする細菌やビールスの役目となるわけじゃ。

これによって、「体内には、病原性微生物のエサとなるゴミを入れない、減らす、無くする。」ことが感染症対策としては、唯一最高の予防法となるであろう。

himaari:細菌やウイルスを防ぐと言うよりも、体内の毒素を減らす事が本当の予防効果になるわけか。もしも、感染症にかかったとしても体の掃除を手伝って貰っているのですね。

なぜ幼児期に罹る感染症が決まっているのか

おじいさん:しかも、古い毒素ほど一度掃除を済ませてしまえば後は憂いなしだから、「済ますものは早く済ませる」という意味で、幼児期の感染性は早いうちの方が楽で安心だという事になるじゃろう。

himaari:なるほど「どうせ返さなければならないのだから、早く返した方が楽だ」ということか。それで幼児期に麻疹とか風疹とかで古い毒素を精算していたのか。道理で誰でもかかる病気だったのですね。

遺伝的毒素を浄化して大人になる前に丈夫にする。それが生涯免疫となる感染症だったのか。古い毒素が遺伝性だとすればその親たちの肩代わりにもなるのか?

子供って親の後片付けまでしてくれているのか。

おじいさん:ただし、清掃の主人公とは「そのひと自身が持つ【自然良能力】」だと言うことを忘れてはならない。バイ菌やウイルスなどの微生物は病気の主人公では無いという事じゃ。それはあくまで従属的な存在であり、結果の様なものじゃ。

himaari:浄化お掃除の手助け役ですね。

おじいさん:病気、すなわち浄化作用の本当の主人公とは「自然良能力」という自分の持つ生命力じゃ。そしてその原料は自分の体内の毒素じゃ。

himaari:病原も病気を起こすのも治すのも自分自身だということか。

おじいさん:病気とは体内の浄化作用を行う働きじゃ。その浄化を苦しいからと不自然な方法で拒否したりすると大人になってから利子までつけて返済が待っているのじゃ。

himaari:別の形で出てくるか、もしくはもっと症状が重くなって出る訳か。予防接種とかいうけど最終的には怪しいものですね。

おじいさん:ところが、人間様の方はそれを知らないゆえに黴菌等を極単に恐れて、感染する事を嫌い予防に躍起になっているというわけじゃ。

それが医学の基本となっているから大問題なのじゃ。

himaari:予防接種ですね。天然痘から結核のBCGなど、それにインフルエンザ予防接種、百日咳、ポリオ・・・・

でも、その予防方法自体が考え違いだったという訳ですね。でも、伝染病が必要とは言っても実際は重度の症状は嫌ですね。

予防接種の功罪

おじいさん:浄化作用の原理を知るなら、その様は異物を体内に入れて予防するということ自体が反自然だと気づくじゃろう。病気とは体内毒素の清掃作用であり、その浄化を微生物が出助けしてくれるのが伝染病や感染症と呼ばれる形だと理解できればじゃが。

しかし、君の言うように、多くの伝染病は、それ自体が苦痛でもあり死に至る者も無いわけじゃない。それゆえ人類は伝染病を恐れて忌み嫌うのも当然じゃ。

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