おじいさんとの対話 7   伝染病の解明と黴菌有用論   

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himaari:もう少し、軽くて済めば安心してその細菌やウイルスに任せるんですがねえ。もうひどく重い症状だったら、不安になりますよ。中には死んでしまう人が居るし。

おじいさん:最初に気づいていたのならそれほど重度なものにならなかったのじゃろうが、逆にとってしまった。余計な物を入れたりして、極力出さないように永年月かけて人体を汚してきた人類の結果じゃよ。

自然の方は時々人類の溜まった毒素を一挙に掃除しようとするのじゃろう。それが世界的大流行の形をもって浄化を起こす。それは人類全体にとってのガス抜きの様なものかも知れないね。種全体が汚れていては先が無くなるからね。

himaari:感染症の原理が分かったから即無くなるわけじゃないのですね。たとえ必要な浄化作用と分かっていても嫌なものですね。

おじいさん:長い間にそのような体にしてしまったからじゃ。いくら避けようとしても自然が相手だからね、いつまでも防ぐ出来ない。先延ばしするほどツケが増えるというわけじゃ。

himaari: そうですか・・・・やっぱりいつかは返さないといけないのでしょうね。予防接種でどうにか間に合わせたいという気持ちも分かりますが。その予防接種は本当の予防では無いとすると。

おじいさん: 予防接種とは病気にかかれなくする体質の劣弱化を狙ったものじゃ。

himaari:「病気にかかれないほど劣弱化」というのは変ですね。「病気にかからないほど丈夫になる」というならよいのですが。

おじいさん:「体をきれいにする為の浄化能力が劣化した」という事じゃ。確かに病気にかかるのは不調和になっている状態、つまり本当の健康体では無い状態じゃ。それを本来の健康体に戻すための力が浄化力だから、その力が無い、すなわち病気にかかる力が無いという意味じゃ。

himaari:なんだか、ややっこしくて・・。

要するに「本当に健康だから病気をする必要が無い」のと、「不健康体質なのにそれを健康体に戻す力が無い」の違いという事でしょうか。

真の免疫

おじいさん:毒があるのに出せないで居る状態、それは「本当の健康状態ではない」のじゃ。ゆえに予防接種で作用するのは「毒素が無くなった状態」ではなく、「毒素がある状態を維持する」という働きじゃ。

「毒素があるのに排毒出来ない不健康者」にするというのが予防接種の本質じゃ。

himaari:予防とは言っても「浄化する」のでは無くて、「浄化しない」というわけか。「毒素を出せないでいるから偽健康体である」というのですね。

おじいさん:「体内毒素を微生物の協力によって掃除される」という感染症の形で行われる浄化作用なのじゃからね。だが、医学の予防接種ではその浄化作用を起こさせないようにする。つまり生命力を弱める働きじゃ。

himaari:生命力が弱るから浄化能力も減衰するという事か。それでも良いから感染症は絶対罹りたくないという人も居るわけでしょうね。

おじいさん:原理を知っていてやるのならそれは自由なんじゃ。ただ何も知らないでいるからお気の毒だと思って話しているのじゃ。後は医学の論を信じようとわしの論を信じようと、好きにするがよいのじゃ。

himaari:そう言われると、また迷いますね。予防接種で予防しない事が良いのか、弱体化しても予防した方がよいのか・・。

おじいさん:君はいくら話しても駄目なようだから先に行くが、予防効果は偽の予防だということがひとつ。さらにもうひとつが、予防接種そのものがまた毒素となり得る。

毒素を出さないよう抑圧、固める「浄化停止方法」と「新たな毒素を加える」こと。

himaari:そうか、ワクチン自体が一種の異物毒素となるわけか。

それで予防接種を打つと急にいろいろな障害が起こるわけですね。害が直ぐに現れるのはごく少数だそうですけど。それなら誰にでも判るのですが、長期に亘って影響が出てくるとすれば、時間が過ぎると予防接種が原因なのかは不明になりますよ。

おじいさん:確かめられるのはそれぞれ打った人の体質によって異なるのはあるじゃろう。だが、わしの理屈から言えば「予防接種とは「病気の予約」をする事」じゃろう。

将来の病気の予約か?予防接種

himaari:「予防接種」とは「将来の病気の予約」ですか!?

けれど、もしも先に害作用が起こる可能性があるとしても、今だけでも病気から解放されるならそれでも良いのではないでしょうか?

おじいさん:知っていて納得しているならば自由だと言ったじゃろうが。ただ、これは自分だけの体だけでは終わらないじゃろう。その体質は次の世代への遺産となるじゃろう。自分の悪液体質とは毒素の保有者だから、当然、子や孫にまで遺伝するじゃろう。

himaari:そういえば産まれながらにして弱体体質の子供もいますし、同じ親から生まれた兄弟姉妹でも丈夫なのとひ弱な子供が居ますからね。やっぱり親からの遺伝体質なんでしょうかね。しかも目に見えない遺産だとしたら。

おじいさん:借金をサラ金で借りて返すようなものじゃ。自分の代で返せなかったら子孫が返さなければならない。それが体質としての借金じゃな。その繰り返しを子々孫々に続けていけばどうなると思うかね。その子孫が何時までも返すのが嫌だと言って拒否していたとしたら、ついには全部取り上げられてしまうじゃろう。

それが個人の家系だけで無く、その系統の親戚縁者まで拡がって行くじゃろう。どこもかしこもそのような借金をしている部落なら部落そのものが滅びてしまうじゃろう。

himaari:なるほどね、世代が続くと相当な数に及ぼす影響かな。人類を一族としてみるとこれは一時期の問題では収まらないですね。いつまでも抑えきれないものか。

おじいさん:自然はそれを解消する為の浄化作用、それが各種の伝染病というものを用意して、全滅を防いでくれているようなものじゃろうな。汚れた体を受け継いだ者にはお気の毒の様じゃが、それは全体の為になっているから、自分で選んで生まれてくるのじゃろう。

伝染病を嫌う気持ちは分かるが、勘違いの予防法をいくらやっても、やるほど利子は増え続けるから、そのうち強い浄化作用が待っているわけじゃ。

himaari:それで近年になって重い伝染病が増えたり、薬に強い耐性菌が増えてきたのですね。それに対して人間の方はもっともっと予防しようとして、予防接種が盛んに勧められる。でも、将来の病気を呼ぼうという予防接種なんでしょうね。

おじいさん:効かない予防接種の害まで加わって、感染症の恐怖と両方の不安を抱えているというのが君たち現代人じゃろう。

himaari:はい、もう現代というよりもずっと昔から黴菌恐怖症にかかっているようです。

世界中もそうでしょうけど、特に日本では学者さんをはじめとして国民まで、ウイルスや細菌に対して非常に警戒や不安を持つようになりましたね。

いまや「抗菌グッズ」というものが大流行ですよ。なんでもかんでも病原になるバイ菌だから殺してしまうとね。いかにして細菌には触れないという努力を一生懸命しています。

無菌生活は不可能だと知ること

おじいさん:「細菌に触れないで一生生活出来るのは不可能だ」という事実が分からないのかね。そんな当たり前の事が分からないのが不思議なくらいじゃ。

人間が生活するうえで細菌と接触しない環境などあり得ないじゃろう。人間生活をしていて感染を防ぐことなど不可能な事はちょっと考えてみれば誰でも分かるじゃろう。それなのに、細菌から隔離出来るとか撲滅出来るとかを信じるというのは学者の言やそれを報道するジャーナリストなどの影響じゃろう。

himaari:はい、僕たちは学者さんなどの権威ある筋からの情報を鵜呑みにしますからね。それを流す報道にも全幅の信頼を置きますから。

国や学者さんたちをはじめとして、あらゆるところで「細菌やウイルスは怖いもの」としてかなり宣伝教育されますからね。

おじいさん:いくら細菌類を嫌ったとしても、実際に人が人と接触をしないでは生きられないのじゃ。まして電車やバスへ乗る事は危険であるとか言えばどこにも出られなくなる。

となりの乗客は何かの伝染性病気に罹っているかも知れない。窓を閉め切れは満員の際など少なくとも数人以上の伝染性患者もいるであろうから、空気伝染の危険は免れ得ない。

また人と談話する事も危険である。先方は伝染性疾患を保有しているかも知れない。と言って一々数メートル以上離れるという事は実際上不可能である。その他劇場、映画館、レストラン、ホテル、各種学校、会社等多数人の居る所は危険千万である。 -- という訳になろう。

himaari:うーむ、まったく細菌類と縁を切るのは不可能ですよね。

たとえ直接でなくても間接的になると、お金からとか、トイレとかドアのノブなど・・もう数え切れないほどの接点がありますし。学者の中には空気感染などと言うものも居ますから、もう空気防ぐわけには行きませんよ。

学者の言うように「細菌やウイルス感染源説」を鵜呑みに信じていたとしたら、社会生活など絶対出来ないですよ。こんなの本気で考えていたら恐怖感でいっぱいになりますよね。

おじいさん:どこにでも存在している細菌から逃れられるはずが無いわけじゃ。生活の中で菌と関わりの無い人間など存在しないというわけじゃが、病原細菌説を唱える学者の話を聞くといつもビクビク生きた心地がしなくなる。

himaari:新聞、テレビなどで報道されますからね。学者さんのコメント入れていかにバイ菌が危険であるとか、感染力が強力だとか、強毒性だとか。

おじいさん:怖い恐ろしいバイ菌とは言うが、実際にはバイ菌などどこにでも居るわけじゃな。生活環境を調べると無数に発見される事でわかるじゃろう。

himaari:そのうえ、最近では黴菌よりもずっと小さなウイルスが病気の原因にされるの多くなりましたよ。バイ菌の場合はマスクや手洗いなどで気を使っていましたが、ウイルスに対してはナンセンスなんでしょうけど。

それでも当局は医学上の解決法が無いから、「手を洗え。ナマ物をさけよ、うがいをせよ、マスクをしなさい・・・」等と言うけど、実際には効果がほとんど無いのではと思いますね。

おじいさん:学者の言うように「予防とは病原としてのウイルスや細菌からの隔離」だと

言うのだが、それ絶対信奉するとすれば、先ず社会と全く絶縁しなければならなくなるじゃろう。

即ち山奥の一軒家か、海上遥か沖合で船住居をするより他に理想的方法はないであろう。人や動物との完全隔絶が究極の予防法となるからじゃ。だが、吾々が割合恐怖感にとらわれらはれないで生活し得るという事は心の奥では医学の説を丸呑みにしないからじゃ。

himaari:そうですね、学者さんたちや当局の言うことをまったく鵜呑みにしていたら、人間生活などできませんね。それにしても、まだまだ当局や学者さんの言うことを鵜呑みにしてしまう人が結構多いですよ。学者さんとか医者とかと言うとまるで鵜呑み丸飲みになってしまうのですからね。

おじいさん:昔から人間はそのような権威筋に弱いものじゃよ。特に医学などは筆頭にあがるじゃろう。

himaari:この年に中国から起こったSARS(サーズ)など典型的なものでしたね。(※この記事を書いていた年代)

皆が皆マスクをしていましたが、けっきょく感染した者は隔離されることでしか防衛策が無かったようですよ。後で知ったのですが実際には有効な治療薬など無かったそうですから。当たり前と言えばあたりまえですけど、対症療法の薬でしかないわけでして。

おじいさん:隔離といっても完全隔離など不可能に近いのは分かるじゃろう。どこにでも居ると考えた方が実際に合っている。無菌状態など自然界には不可能じゃ。

細菌にしてもウイルスにしても大小に違いがあるが、根本は同じじゃ。存在理由とその目的としては「きれいな物を育て、汚い物を掃除する」だけじゃ。よく言われる「発酵と腐敗」どちらも菌の助けを借りているが形が違うじゃろうが。

himaari:すると普段は発酵の方の力で分解して、異常時には腐敗の形で分解するのかな。

浄化作用として。

おじいさん:その浄化作用を「防衛する」という自体がナンセンスなんじゃ。

真の予防とは「体の中に汚物毒素を作らない、入れない」に尽きるじゃろうがね。

himaari: でも反対のやり方でも「予防」とか「防衛」という言葉につい乗せられちゃうんですよ。文字や言葉に欲する希望が乗っちゃうのかな? 毒を使うのに「消毒」とかね。

おじいさん:ウイルスに関しては、わしの時代はビールスと呼んでいたものじゃ。まだ細菌が主役の時代だったからね。抗生物質などが出始めたばかりだったし、その効果に世界中が賞賛の声を上げていた時代じゃ。もちろん、わしは抗生物質など駄目になると警告していたがね。

himaari:はい、いまやウイルスは感染症主役になりつつありますよ。

ガンにまでウイルスが発見されとして、ガンを予防するワクチンまで作られる時代になりましたね。でも「細菌には抗生物質」という時代も終わりそうです。どんどん薬剤耐性菌が出現してしまいましから。

ウイルスも同じ目的では細菌と同質

おじいさん:細菌とウイルスが体内浄化作用に手助けしてくれるという意味で根本は同じなんだが、ちょっと働きが違うだけじゃね。細菌は大きいから直接的に毒素分解の為に浄化作用をするが、ウイルスの方は小さいから間接的な毒素の掃除する手助けじゃろう。

わしは昔、無機質界からウイルスの自然発生、そこから連続して細菌にまで進むという説明をしておいたのだがね。最終的には人体内の浄化を行うという意味では小さいも大きいも浄化として働き本質は同じ事じゃ。

himaari:はい、でもその「自然発生」説は医学では否定されていますね。何も無いところから発生するわけがない、というわけです。「無から有が発生」などあり得ないとね。

おじいさん:それについてはまた別の機会に話そう。それには「無」というものの正体も知らないとね。見えないだけに説明が難しい。

himaari:「無の正体」も知りたいものですね。ところで細菌には抗生物質が対抗してきたのですが、ウイルスに対してはほとんど対抗する薬が無いようでして、予防するというしか手が無いようで、ワクチン接種が盛んに薦められていますね。

おじいさん:細菌に対しては一時的にせよ、抗生物質という対抗手段があったのだが、それより微少なウイルスが主流になってきたのもおもしろいものじゃ。この小さな生き物には薬物がまったく効かないというのも、自然界の働きがいかに巧妙か分かるものじゃ。

もう人間には手が出すことが出来ないのだという意思表示みたいじゃな。

himaari:そのウイルスについては未だ謎が多いようです。なにしろ突然現れたり消えたりするような感じですから。簡単には殺すことができないので症状を抑える対策しかないようですよ。体の外ではただの無機物のようになっているのに、細胞に入ると生き物のように振る舞うそうですから、変幻自在の働きですね。

人間はお釈迦様の手のひらで遊ぶ

おじいさん:それが自然界の妙というものじゃろう。人間が闘えば闘うほどその対応も進化するようだね。所詮、人間がいくら賢くなっても自然界の中では孫悟空がお釈迦様の手のひらの中で遊んでいるようなものじゃろう。

himaari:ウイルスで手こずっていたのに、それどころか細菌の世界でも大変な事が起きていますね。抗生物質から新たに菌が湧くかのように抗生物質薬剤耐性菌が猛威をふるい始めてしまいました。特に薬剤を頻繁に使う病院の方が危ないという「院内感染発生」で医療現場では深刻な問題となっているようですよ。

おじいさん:それは、わしがずっと昔から警告していたのだが、自然の働きからすると当然な結果なのじゃよ。自然界は浄化する、人間界は浄化を停める、その綱引きが何時までも続くかな。人間は自然界から護られている存在だからね。護られるという事は必要がなくなれば消え去る運命も含まれるのじゃ。

himaari:そうか、汚いものをかたづけて環境を整えるのが護りだとすれば、その汚い状態になれば片付けられるか・・・。

人間が存在できるのは微生物の護り

おじいさん:人間の体の内から汚れを取り除かない限り、感染症微生物は永遠に無くならないだろう。そもそも病原菌とか病原性ウイルスの存在理由はそこにあるからじゃ。

himaari:細菌やウイルスの存在理由か。彼らを無くす事は不可能だが、病原として働くのを防ぐことは可能ということか。菌やウイルスには立派な存在理由があったのですね。

おじいさん:自然界にとっても人間にとっても必要不可欠な存在なのだからね。

地上から黴菌やウイルスと病気としての関係と縁を断ち切るには、この種の微生物のお世話にならないで済む体になるしかない。絶対の予防方法じゃ。

himaari:実に単純な答えですね。しかし、今日明日に直ぐ出来るものでもない様ですから、これから長い道のりになりますかね。体内に原因がある限りは「自然に現れ、自然に感染する」訳ですね。

おじいさん:そうじゃな、人間が長いあいだ汚して来た体をただ一度に掃除しきれるものじゃない、もしもそれをやるとしたら体力が持たない位じゃろうよ。

それよりも、もうこれ以上入れない様に気をつけて、入っているものは出す。それを自然界が手助けしてくれるときは素直に従う。これが一番の伝染病対策じゃろう。

himaari:罹ったときは素直に受けるという事か。一番よいのが軽いインフルエンザ程度が一番でしょうかね。結局、病原菌、ウイルスなどを撲滅するのではなく、私たちの体内をきれいにするしか根本解決はないのですね。

おじいさん:そういうことになるじゃろうな。またそれしか無いじゃろう?あとは、君がどう思うかで決まる。どちらも選択の自由じゃ。

himaari:悩みながらも考えてみます。実際に罹るのは嫌だけど、原理から言うと有り難いものですからね。 

今回もありがとうございました。だいぶ古い時空からお呼びいたしまして。

では次回はまた違った視点から感染症についてお話してください。

ということで、今回も悩みつつも少しは理解が深まったかな?

 おや、声が・・・

 「・・・・これだけ聞いているのに、まだ、君は悩むのかね・・・」


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